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(71)ブッダ生誕の地ネパールのルンビニー、マヤ・デヴィ寺院へ

ルンビニー
目次

【インド・スリランカ仏跡紀行】(71)
ブッダ生誕の地ネパールのルンビニー、マヤ・デヴィ寺院へ

ブッダがその生涯で最も長く滞在した場所のひとつである祇園精舎。日本人にも馴染み深いこの聖地を訪れた私の次の目的地はブッダ生誕の地ルンビニーだ。いよいよ国境を越えてネパールに入国する。

この日の移動時間もかなり長いので早めの出発になるはずだったのだが窓の外を見て驚いた。ものすごい霧だったのである。

北インドの濃霧は悪名高いが、それは12月と1月の話だったはず。今はもう2月の中旬である。これは参った。ガイドさんもこれは珍しいですねと困惑していた。これでは車の運転も危険。出発時間を遅らすことになった。

「霧くらいで運転ができないの?」と不思議に思われた方もおられるかもしれないが、ここが日本ではなくインドであることを思い出してほしい。

あのカオスな道路状況で視界がないとしたらどうなるだろうか。車線関係なしに走るインドである。しかも田舎の道はそもそも車線のない細い道が多いのだ。出会いがしらの衝突もありうる。そう考えるとこの霧の恐ろしさも見えてくるのではないだろうか。

ただ、この霧の中を歩いてみて私は恐怖だけでなく神秘的な雰囲気も感じたのも確かなのである。そしてその神秘的な空気に影響されたのか、「2500年にひとりの偉人でありカリスマたるブッダならば空を飛んだり、自在に超能力を使えてもおかしくないかもしれない」と思ってしまった。いかんいかん、最近神秘的な気分になりつつある。これも何でもありのインドの影響かもしれない。

さて、本日の目的地ネパールのルンビニーへはおよそ5時間以上の道のりである。地図で見ると舎衛城からの近さがよくわかるのではないだろうか。直線距離で140キロほどである。ただ、この直線距離140キロの道のりでなぜ5時間もかかるのかというと、入国の際にぐるっと遠回りしてネパールに入らなければならないのである。そしてこの後私達もこの入国でてこずることになる。

霧が少し晴れてきたので出発。田舎道を抜けて幹線道路に入ると渋滞にはまった。何の渋滞だろうか。まさか事故で道がふさがっているのか?

焦る私だったがなんてことはない。踏み切り待ちの渋滞だったのだ。でも、それにしても長い。全く進まない。するとガイドさんが「踏切を見に行きましょうか」と誘ってくれた。私は車を降りてガイドさんと一緒に踏切まで歩いていった。それが上の写真である。

とんでもないバイク渋滞だ。これ、踏切が開いたらどうなるのだろうかと笑わずにはいられなかった。ものすごい圧力である。道幅いっぱいに広がったバイクやら車やらが「我れ先に」と押し寄せてくるのである。しかもこれが双方向からなのだからたまらない。

ようやく電車がやって来た。インドらしい年季の入った車両だ。そしてこの電車が何両編成なのかわからないくらい連結されていたのである。なるほど、こんな長い列車が通ったら開かずの踏切化してもおかしくない。

間もなく踏切が開くので私達も急ぎ車に戻った。そして驚くことに、この踏切を特に混乱もなくすんなり通れてしまったのである。先ほど想像したカオスは起こらなかったようだ。いや、そこはインド人。きっとうまいことそのカオスを乗り越えていったのだろう。

しばらくすると霧も晴れてきた。霧のエリアを抜けたのだろう。見慣れた農村風景を眺めながら我々はひた走った。

さて、ネパール国境付近までようやく到着。

入国エリアは黒丸で囲んだ位置にある。こう見てみるとルンビニーまでかなりの遠回りしなければならないのが一目瞭然ではないだろうか。

インド側で出国手続きをした後、車を降りて手荷物検査が国境で行われる。その後さらに名簿登録のようなものを済ませて、また歩いてネパール側の入国審査を受けに歩いていく。車は車で入国審査があるのでドライバーさんとはしばらく別行動になった。上の写真はネパール側の入国審査所まで歩いていく途中の風景だ。

排気ガスと乾季のせいだろうか、空気がカサカサしていて喉がイガイガする。ネパールに入ったのだという実感はまだないが、ここはもうネパール国境内だ。インドからの出入国の手続きは予想以上に時間を要し、私もぐったり来てしまった。

ルンビニー近郊

では、これよりルンビニーへと向かおう。ブッダは紀元前463年にネパールのルンビニーでシャカ族の王子ゴータマ・シッダールタとして生まれた。ブッダの父親はスッドーダナ(浄飯王じょうぼんおう)というシャカ族の王様で、母親はマーヤー(摩耶夫人まやぶに)という。

シャカ族の国はルンビニーから西へ車で1時間弱の距離にあるカピラヴァストゥ(カピラ城)に城を構えていた小国だった。

そしてこの国は王様の浄飯王の名にある通り、米がよく収穫できる豊かな国であったと言われている。

カピラヴァストゥ周辺は今もほとんどが畑で、米や小麦、豆や菜の花、各種野菜を栽培している。それは車窓からの景色を見ても明らかだった。

これからブッダ生誕の地ルンビニーを見ていくことになるのだが、その前にブッダの誕生についてざっくりと見ていくことにしよう。

ブッダの母マーヤーは妊娠の際、夢の中で白い象が彼女の中へ入ってくるのを見たと言われている。インドにおいて象は幸福を運ぶ存在として尊ばれていたのでこれは実に素晴らしい吉夢である。インドではコウノトリではないというのも面白い。そして彼女は実際にブッダを身ごもることになったのである。

そしてブッダの母マーヤーは出産のため故郷コーリヤ国に帰る途中、ルンビニーに立ち寄ることになった。2500年前にも里帰り出産があったというのは興味深い。そしてそこで産気づき、そのままブッダを出産することになった。

その聖地がこれから訪れるルンビニーのマヤ・デヴィ寺院なのである。

マヤ・デヴィ寺院の入り口に到着。

マヤ・デヴィ寺院の敷地はかなり広い。正確にはここはまだマヤ・デヴィ寺院の敷地ではないのだが、その周辺が各国寺院エリアと公園エリアになっており、そこには車は入れない。そのためかなりの距離を歩かねばならない。

中には大きな池もあり、ここはのどかでゆったりした雰囲気がある。散歩しているだけで気持ちがよい。

ここまで来るのに20分ほど歩いただろうか、ようやくマヤ・デヴィ寺院に到着である。写真左の白い建物がブッダ誕生の聖地、マヤ・デヴィ寺院本堂だ。

マヤ・デヴィ寺院正面にはアショーカ王柱が立っている。サンカシャでお話ししたように、この柱に書かれた碑文によってここがブッダ誕生の聖地であることが史実として確定されたのだ。これがなければブッダがどこで生まれたかはわからずじまいだったことだろう。このマヤ・デヴィ寺院も1896年に発見され、1939年に再建されることになった。そして現在の建物は2003年にさらに再建されたものである。

アショーカ王柱の碑文

また、マヤ・デヴィ寺院内にはブッダが生まれ落ちたとされる標石が安置されていて、参拝者はそれを見ることができる。寺院内は撮影禁止なので写真はここで紹介できないが、通路から足元の円形のガラスを見下ろすとその先に1メートル弱ほどの灰色の岩があるのが見えた。

寺院横にある池はマーヤーが沐浴したとされる池だ。その先に見える大きな木の下では多くの僧や参拝者が瞑想をしていた。

全体的にここはゆったりとした穏やかな雰囲気のある場所だったのが印象に残っている。

マヤ・デヴィ寺院にお参りした後、私は各国寺院エリアも少し散策することにした。

こちらの地図にあるように、広大な敷地内に各国の寺院が建てられているという巨大複合聖地となっているのが現在のルンビニーである。これは1978年より始まった「ルンビニマスタープラン」に基づいた設計だそうで、日本の建築家丹下健三氏がデザインしたのだそうだ。(ユネスコHPより)

ミャンマー寺院
ネパール寺院

私もミャンマー寺院やネパール寺院などいくつかのお寺を見て回った。時間の都合上これ以上は見ることができなかったが、各国の特徴が出ていて実に興味深いものがあった。まるで仏教の万国博覧会のようだった。

ルンビニーはマヤ・デヴィ寺院周辺だけでなく、町自体が急速に観光地化が進んでいる。近くには新たに国際空港も整備され、いたる所で道路建設が行われている。ネパールは経済的に貧しい国であるが、外貨獲得のためにここを観光地化したいということなのだろう。観光需要が世界的に増している今、こうした動きはインドの仏跡でも旺盛である。特に経済発展著しいタイからの仏跡巡礼者が急増しているのは私も現地に行って特に実感することになった。

こちらは敷地内の誕生仏像。いかにも新しく作られたモニュメントであるが、ブッダは生まれてすぐ7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と唱えた。その伝説は今でも大切にされている。(このことについては「【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑴ネパール、ルンビニーでの王子様シッダールタの誕生!」の記事参照)

夕暮れのルンビニーは実に美しかった。私はこののどかでゆったりしたネパールの雰囲気を感じながら帰途に就いた。

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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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