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グラナダのカテドラルと王室礼拝堂~「1492」の衝撃 スペイン編26

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グラナダのカテドラルと王室礼拝堂~「1492」の衝撃 僧侶上田隆弘の世界一周記―スペイン編26

グラナダ3日目の朝、今日はグラナダ旧市街にあるカテドラルと王室礼拝堂を訪ねる。

カテドラルは旧市街の中心部にある。ぼくが滞在した宿のあるヌエボ広場からもすぐ近くだ。

アルハンブラ宮殿のアルカサルから見たカテドラル。

写真中央の一際大きな建物がカテドラルだ。

遠くから見てもその大きさは際立っている。

近くから見てもその大きさは圧倒的。

正面までやってくる。

巨大すぎて写真に収まらない。

巨大な柱が作り出す高い天井と広い空間。

プラハの聖ヴィート大聖堂を思い出すかのような内部構造だ。

しかし主祭壇の構造はやはり異なる。

まるで黄金の門のような額縁に絵が飾られている。

ステンドグラスよりもこれらの絵のほうに目が向く。

そしてこちらがプラハの聖ヴィート大聖堂の主祭壇。

違いがはっきりわかる。

祭壇がグラナダと比べてずいぶんとシンプルに作られている。

それに、黄金による装飾もない。

もちろん、時代の違いもあれば国の違いもある。

現在の姿の聖ヴィート大聖堂が作られ始めたのは1344年からで、このグラナダのカテドラルが作られ始めたのが1518年。

内部構造の違いがあって当然ではあるが、その違いを比べてみるのも興味深い。

カテドラルの回廊には多くの祭壇があった。

その多くが金で装飾されている。

さすがはスペインの黄金時代に作られたカテドラル。

スペインの黄金時代は1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見したことから始まる。

そしてその後アメリカ大陸から大量の黄金が持ち帰られ、その黄金でスペインは一気に国力を増していくことになった。

その黄金がこのカテドラルにはふんだんに使われているのだ。

そして次に向かったのがカテドラルのすぐそばにある王室礼拝堂という建物。

ここにはフェルナンド2世と女王イサベル1世というスペインの二人の王が埋葬されていることで知られている。

さて、この2人の王は一体何者なのか。

実はこの2人の王こそ、「カトリック両王」と呼ばれるスペイン黄金時代を築いた伝説的な人物なのだ。

スペインは先の記事でも述べたように8世紀から国土の大半がイスラム教徒の支配下に入っていた。

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そしてそれを奪還するための戦いはレコンキスタと呼ばれ、700年以上続いたその戦いに終止符を打ったのがこの両王だったのだ。

その記念すべき出来事があった年が「1492」年。

1492年をもってスペイン全土はキリスト教徒の支配下に返り咲いたのだ。

だが、実はこれがぼくにはものすごく不思議だったのだ。

と言うのもコロンブスがアメリカ大陸を発見したのも「1492」年。

この年号の一致は偶然なのだろうか。

1492年・・・あまりに盛りだくさんすぎはしないだろうか。

なぜ長い長い人間の歴史においてこんな年号の一致が起こるのだろうか。

不思議に思い調べてみると、思いの他シンプルな回答と出くわすことになった。

その答えとは、

「グラナダの征服を終え、王室にも余裕があったためコロンブスの提案を両王が受け入れたから」

というものだった。

どうやらコロンブスは1492年のだいぶ前から、スペインだけではなく様々な国の王に大西洋を渡る航海をプレゼンしていたそうだ。

しかし行く先行く先でその案は却下され、その計画は前に進むことがなかった。

それはそうだ。誰がそんな無謀な事業にお金を出資するだろうか。

大西洋を渡るためには莫大な予算が必要だ。

「大西洋の先には魔物がいて、世界は終わる」という聖書の教えに従っていた世界において、大西洋の先などという「行く必要のない危険な世界」のために大金を賭けるような人間はいなかったのだ。

だが、スペインのカトリック両王は違った。

ちょうどグラナダの征服も終わり、スペイン全土が支配下に収まり、国力は一気に増すことになった。

さらにこれまでレコンキスタに使っていた予算も必要なくなる。

そう、コロンブスの案を受け入れるだけの余裕がこのときの両王にはちょうどあったのだ。

さらに海洋政策で先を行かれてしまったポルトガルに追いつくためにも思い切った策が必要だったのだ。

コロンブスはカトリック両王の命を受けて大西洋へと漕ぎ出す。

そして彼は予想をはるかに超える成果を得て帰還する。

インド航路の発見どころか、尽きることのないような黄金の眠る大陸を発見。

これがスペイン黄金時代へと繋がっていくのだ。

ここは館内写真禁止のため写真はないが、内部は外観の見た目以上に広く立派なものだった。

お土産のポストカードを買ってみた。

こちらが両王のお墓。

近くで見てみるとものすごく精巧な彫刻がびっしりと施されている。

これだけでもものすごい芸術品だ。

そしてこの下に地下空間があって棺が納められている。

以上、見てきたようにスペインの歴史において、いや、世界の歴史において1492年というのはとてつもなく大きな意味を持っている。

「1492」の持つ意味を考えさせられたカテドラルと王室礼拝堂であった。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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