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『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』概要と感想~大乗仏教思想の最高峰を学ぶのにおすすめの解説書!

仏教の思想4
目次

服部正明、上山春平『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』概要と感想~大乗仏教思想の最高峰を学ぶのにおすすめの解説書!

今回ご紹介するのは1997年に角川書店より発行された服部正明、上山春平著『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』です。

早速この本について見ていきましょう。

唯識は、中観思想とともにインド大乗仏教の二大学派の一つとして、仏教思想における最高の理論的達成とされる。アサンガ(無着)やヴァスバンドゥ(世親)によって構築されたその思想は、7世紀には日本にも伝えられた。日本仏教の出発点であり、また、ヨーガの実践と深い関わりをもつ唯識思想の本質を浮き彫りにする。

Amazon商品紹介ページより

前回の記事で紹介した『仏教の思想2 存在の分析〈アビダルマ〉』では上座部仏教(正確には説一切有部)の仏教哲学の頂点であるアビダルマについて解説されましたが、本作『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』は大乗仏教思想の最高峰とされる唯識思想についてのおすすめの参考書です。

この唯識について共著者の上山春平氏は「はしがき」で次のように述べています。

唯識思想は、仏教思想における最高の理論的達成であるといわれる。それだけに、私のように、ただ仏教思想に強い関心をもつというだけで、とくに専門として研究に従事した経験のないものにとっては、ほとんど歯が立たないほどの手強い相手である。

この全集のおかげで、すぐれた専門家の方々の導きを得て、華厳・倶舎・中論という仏教思想の名峰を巡歴する機会を与えられた私は、最後に唯識の峰をおとずれたのだが、この峰は、他の峰々にくらべて、とりわけ峻嶮であった。

仏門の人びとのあいだには、「唯識三年、倶舎八年」という言い慣わしがあるようだが、倶舎と唯識の両方に接してみた私の印象からすると、「唯識八年、倶舎三年」と言いたいくらいである。

角川書店、服部正明、上山春平『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』P13

「専門として研究に従事した経験のないものにとっては、ほとんど歯が立たないほどの手強い相手である」と著者は述べますが、これは一介の僧侶である私にとってもまさに同じです。私も唯識に関しては基本事項以外はほとんどわからないというのが正直なところです。これはよっぽど力を込めて学ばなければ太刀打ちできるものではありません。

そんな難解な唯識ですが、本書はその入門書としてとてもおすすめな作品となっています。

本書ではまず唯識とはそもそも何なのか、どのような流れから生まれてきたのかということを歴史的な側面から見ていきます。いきなり難解な思想の話から始まっても私たち読者からすると厳しすぎます。というわけで本書は入門書ということで、まずは唯識の難解な哲学よりもその成立過程を見ていき、その大まかな全体像を掴んでいくことから始まります。これは読んでいて非常に助かりました。いくら難解で抽象的な哲学思想であっても、生きた人間の人生や歴史の流れから生まれてきます。まずはこうした大きな流れを知ることでいざ唯識へと突入していくちょうどよい助走となるのを感じました。

そしていよいよ唯識とは何かという思想面に入っていきます。

ですがやはり入門書とはいえ、そもそも唯識自体が難解なことには変わりありません。ですので全てがごく簡単に解説されていてわかりやすいというわけにはいきません。ただ、これ以上簡単に解説してもそれは唯識の本質から離れてしまうというぎりぎりの所なのではないかということも感じます。こればっかりは勉強を重ねていくしかないというのが正直なところだと思います。

そしてこの「仏教の思想シリーズ」のありがたい点は第二部で座談方式でその巻のテーマについて語られる点にあります。今作でもここでの対話のおかげでより唯識についてわかりやすく学ぶことができます。仏教思想の解説書でこうした対話形式の解説があるというのは実に画期的です。本シリーズが仏教学の先生達からも好評なのもまさにここにその理由のひとつがあることでしょう。

また、最後にもう一点、個人的に「おっ」と思ったところがあります。それが「はしがき」の上山春平氏の次の言葉です。

私は、本全集の執筆に当たって、華厳の巻(第六巻)ならば『華厳経』、アビダルマの巻(第二巻)ならば『倶舎論』、中観の巻(第三巻)ならば『中論』といったぐあいに、中心となるテキストを一冊だけ選び、そのテキストと期限づきの格闘を試みてみて、その間に得た感想なり問題意識なりを一種のフィールド・ノートのつもりで記録してみるといった方針を立て、一応それを実行してきたつもりなのだが、こんどばかりはこの方針をつらぬくことができなかった。この一冊と思って選びとった『摂大乗論』という本に、全く歯が立たなかったからである。

角川書店、服部正明、上山春平『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』P14

「この一冊と思って選びとった『摂大乗論』という本に、全く歯が立たなかったからである。」

上山氏はここでこのように語りましたが、驚くべきことにかつてこの言葉とほとんど同じことを語った人物がいます。

その人物こそ、あの三島由紀夫でした。

三島由紀夫(1925-1970)Wikipediaより

彼は『豊饒の海』執筆についてのエッセイで次のように述べていました。

幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。が、私の知つてゐた輪廻思想はきはめて未熟なものであつたから、数々の仏書(といふより仏教の入門書)を読んで勉強せねばならなかつた。その結果、私の求めてゐるものは唯識論にあり、なかんづく無着むぢゃく摂大乗論せふだいじょうろんにあるといふ目安がついた。その摂大乗論の註釈を、いくら読んでも、むづかしくてわからない。

新潮社、『決定版 三島由紀夫全集35』P411

そうなのです。あの三島由紀夫が晩年最後の大作『豊饒の海』の執筆に際し唯識について関心を持ち、その鍵として『摂大乗論』を読もうとするも全くわからなかったと述べていたのです。

この三島由紀夫と上山春平氏の言葉の合致に私は驚いたのですが、この後の上山氏の言葉で私はさらに「う~む」と膝を打たずにはいられませんでした。

歯が立たないといえば、『中論』にしても『倶舎論』にしても、ニか月や三か月つきあっただけで歯の立つしろものではないのだが、ともかく何となく理解のいとぐちだけはつかめたように思われた。そのためには、梵本(サンスクリットのテキスト)の和訳や梵本注釈の和訳が大へん役に立った。その点、いまのところ梵本を欠いている『摂大乗論』は、私などのように手ぶらでこれに立ちむかおうとするものにとって、とりわけ接近の手がかりが得られにくいように思う。

しかし、『摂大乗論』がむずかしいのは、もちろん、そのせいだけではない。何よりも、それが、瑜伽行ゆがぎょう派ともよばれる実践的傾向の強い唯識派の論書であるという点に、そのむずかしさの本来の根があるように思う。瑜伽行というのはヨーガのことであり、仏教だけでなくインドの宗教に共通して見られる精神集中の行法である。この行法にかんする深い体験がなくては、唯識系の論書は理解できないしかけになっている、ということを、私は思い知らされた。

もちろん、『倶舎論』や『中論』なども、仏教的な修行の体験ぬきでは理解できない点が少なくないにちがいないのだが、『倶舎論』の方は、常識的な思考を手がかりとして、かなり平明な仕方で仏教的世界像を描いて見せてくれているし、『中論』のほうは、このような世界像の描き方にたいする根本的な批判を、一応は理窟の筋道として納得のゆくような形で示してくれている。

ところが、『摂大乗論』となると、常識的な思考やただの理窟ではどうにも及びかねる世界の話になってくる。唯識系の根本経典が、「解深密経げじんみっきょう」と呼ばれるのも、このような事情によるのかもしれない。

角川書店、服部正明、上山春平『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』P14-15

「瑜伽行というのはヨーガのことであり、仏教だけでなくインドの宗教に共通して見られる精神集中の行法である。この行法にかんする深い体験がなくては、唯識系の論書は理解できないしかけになっている」

なるほど、唯識の難しさはこういうところにもあったのですね。知的な哲学そのものの難解さだけでなく、実践的な鍛錬を積まねば理解ができないとなれば、専門家以外ではわからないのも納得です。三島由紀夫も案の定そこに躓いたのでしょう。

さて、何はともあれ、難解な唯識の入門書として本書はまずおすすめしたい一冊です。唯識とは何かという大まかな全体像を掴める素晴らしい参考書です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「『仏教の思想4 認識と超越〈唯識〉』~大乗仏教思想の最高峰を学ぶのにおすすめの解説書!」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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