The Biography of High Priest Hoken (Butsuguoki) - The earliest record of a trip to India by a Chinese monk! What was the grueling journey of Hoken, who also came to Sri Lanka to seek the Dharma?

biography of Hōken, a high priest Buddhism in Sri Lanka, Nepal and Southeast Asia

『高僧法顕伝(仏国記)』概要と感想~中国僧による最古のインド旅行記録!スリランカにも来島した法顕の過酷な求法の旅とは

今回ご紹介するのは1971年に平凡社より発行された長沢和俊訳『法顕伝・宋雲行記』所収の『法顕伝』です。

アショーカ王宮殿跡の法顕 Wikipedia.

今回ご紹介する『高僧法顕伝』あるいは別名『仏国記』の著者法顕(337頃-422)は中国を代表する求法僧です。

法顕の残した偉大な業績について、以前紹介したA History of Buddhism in New Asia 06: China I, Northern and Southern Dynasties: The Eastern Propagation and Reception of Buddhism.The following is explained in the following section.

この頃の求法僧の中で最も有名なのは法顕である。彼は、戒律がいまだ完全には伝わっていないことを嘆き、還暦に近い年齢をも顧みず、何人かの同志と共に隆安三(三九九)年に長安を出発した。道中に同志の慧景らを失いながら、ついにインドのラージャグリハ(王舎城)にまで至り、『摩訶僧祗律』『雑阿毘曇心論』などを得る。帰りは海路で獅子国(スリランカ)を経由して、義熙十(四一四)年に戻った。そのとき戻ったのは、法顕ただ一人であった。彼が著した旅行記録である『高僧法顕伝』(『仏国記』とも呼ばれる)は、単なる旅行記というだけではなく、インドの様子を記録した最古の記録であり、玄奘の『大唐西域記』、義浄の『南海寄帰内法伝』『大唐西域求法高僧伝』とともに、西域やインドの様子を知る重要な資料となっている。

佼成出版社、沖本克己、菅野博史編集『新アジア仏教史06 中国Ⅰ 南北朝 仏教の東伝と受容』P90

なんと、法顕は還暦に近い年齢で過酷な旅に出たのでありました。当時の旅路はあまりに危険で、若くて健康な男性ですら命を落とす者が続出するほどの道のりでした。法顕自身もこの『法顕伝』で次のような名文を残しています。

「沙河中、多く悪鬼熱風あり。遇えば則ち皆死す。一も全き者なし。上に飛鳥なく、下に走獣なく、遍望極目、度る処を求めんと欲して、則ち擬する所を知るなし。ただ死人の枯骨を以て、標識となすのみ」

平凡社、長沢和俊訳『法顕伝・宋雲行記』P233

砂漠を抜け、険しい山脈を抜けながらのまさに命がけの旅を還暦近くの僧侶がしたというのですから驚くしかありません。

このシルクロードの旅の雰囲気を少しでも味わうために何かよい画像や動画はないかと探したところ次の映像がありましたのでここに紹介します。

法顕が歩いたそのものの道ではありませんが、その過酷さが伝わるのではないかと思います。

そして今回私が法顕のこの作品を読もうと思ったのは、彼がスリランカを訪れていたということに興味を持ったからでした。

私は今スリランカについて学んでいます。最初はインド仏教との比較という位置づけで学び始めたのですがいつの間にかスリランカに大はまりしてしまい、片っ端からスリランカ関連の本を読んでいるという状況です。

というわけで法顕がスリランカへ来てどのような体験をしたのかを学ぶためにこの本を手に取ってみたのでありました。

本書巻末の解説では彼のスリランカでの体験が次のようにまとめられていました。

法顕と道整は、大体西方から東方へあまねく仏跡を巡礼し、パータリプトラで三年研学し、ここで道整は残留研学することとなり、以後法顕はただ一人ガンジス川河口に至り、タームラリプティ国で二年さらに研学した後、商人の大船に乗ってセイロン島に至ったことが分かる。セイロン島には仏跡が多く、彼は各地を巡遊したが、たまたま城北の無畏山僧伽藍に青玉像を礼拝した時、さすがにしみじみとした旅愁に心打たれた。漢地を去って以来、常に出会うのは異国の人ばかり、山川も草木も風変りなものばかりである。またともに志を立てて同行した同志たちも、或いは帰り、或いは病没し、或いはインドに滞留して、いまは自分一人きりである。孤影悄然として常に心淋しく、わびしく青玉の仏像前にぬかずくと、どこの商人か中国製の白絹の扇を供養したものがあった。それを見た彼はさすがに胸を打たれ、涙はとめどもなくあふれたのであった。

それでも法顕はこの国になお二年滞在し、弥沙塞律蔵、長阿含、雑阿含のほか一部の雑蔵を得たが、これらはことごとく漢土にないものばかりであった。これらの梵本を得てから、彼は商人の大船にのり、いよいよ帰国の途についた。

平凡社、長沢和俊訳『法顕伝・宋雲行記』P237-238

共に旅した仲間とも離れ、たった一人でスリランカにやって来た法顕。その孤独さたるや計り知れないものがあったことでしょう。しかしそれも仏教興隆のため。彼はそこから二年も研学し、さらには困難な海路を経て中国へ帰国します。ただでさえインドに到着するのは困難中の困難であるのに、そこから無事大量の経典を携えて帰国するというのは当時においてあまりにも想像を絶する偉業だったのでありました。

この法顕の偉業を記した『法顕伝』について同じく巻末の解説では次のように記されています。

かくて『法顕伝』(仏国記)は、当時のインド・西域諸国の実情を伝えた書として多くの僧侶に愛読されたのみでなく、実際の西域求法僧のもっとも適切な旅行手引書として大いに愛用されたと思われる。しかも全文九千五百字の簡潔な紀行の内には、「誠の感ずる所は窮否として而も通ぜざるはなく、志の将ひるところは功業として而も成ぜざるはなし」といった彼の至誠一貫の思想が脈々と流れており、人間法顕の暖かな情緒をしのばせる一端も窺われ、すぐれた紀行文学としても高い価値を有しているのである。

平凡社、長沢和俊訳『法顕伝・宋雲行記』P239

ここで述べられるように、『法顕伝』は非常に簡潔に書かれていながらも彼の人柄が見えてくるような素晴らしい紀行文です。前半の壮絶な旅路を終えると、今度は私達もよく知るインドの仏跡がどんどん出てきてわくわくしてきます。

Hoken's journey was a long one, spanning more than 10 years. By the time he returned to Japan, he was almost 80 years old, an amazing feat of vitality. It is unbelievable! A great man who has left his mark on the history of the world has a different scale.

さて、ここまで『法顕伝』についてお話してきましたが本書自体は漢文の書き下し文ではなく読みやすい和訳で書かれています。漢文の味わいを楽しみたい方には物足りないかもしれませんが、私のようにとにかく法顕の旅路を知りたいという方にはぜひぜひおすすめしたい一冊となっています。注や写真、地図も充実していてとても読みやすくわかりやすいです。

スリランカとのつながりから手に取った本書ですが大満足の作品でした。ぜひ皆さんも手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「『高僧法顕伝(仏国記)』~中国僧による最古のインド旅行記録!スリランカにも来島した法顕の過酷な求法の旅とは」でした。

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