サン・ジョアンの道とモンセラットの絶景と出会う スペイン編㉑
プチトレッキング!サン・ジョアンの道とモンセラットの絶景と出会う 僧侶上田隆弘の世界一周記―スペイン編㉑
前回の記事「モンセラットとサンタ・コバの巡礼~ガウディにインスピレーションを与えた山を散策 スペイン編⑳」ではサンタ・コバという黒のマリア像が見つかった庵を紹介した。
今回はモンセラットのもうひとつの見どころ、サン・ジョアンの礼拝堂とモンセラットの絶景を眺めるプチトレッキング道を紹介していきたい。
サン・ジョアンの礼拝堂にはモンセラット修道院からケーブルカーで上って行くことができる。
ルートとしてはこの看板の3aのルートでこれから進んで行く。
サンジョアンの礼拝堂へはケーブルカーを降りてから歩いて20分ほどの距離だそうだ。
ケーブルカーを降り、目の前の巨大なのこぎり山を眺めながら歩いて行く。
岩山を背に山の下を眺めてみるとモンセラットのパノラマが広がる。
15分ほど歩いてきた。間もなくサン・ジョアンの礼拝堂に到着する。
贅沢すぎるほどの絶景を楽しみながらの15分はあっという間のものだった。
写真の左側にぽつんと写っている建物がサン・ジョアンの礼拝堂だ。
こちらがサン・ジョアンの礼拝堂。
建物自体は意外と新しく、1893年に建てられたものだ。
せっかくここまで来たのでぼくはサン・ジョアンの礼拝堂から先に進んでみることにした。
これまでの道とは異なり、岩山沿いに進んで行く。
「岩山に沿って」というより岩山にへばりついて進んでいるという感覚。
歩いてきた道を振り返ると、自分がどういう道を通ってきたのかがよくわかる。
岩山のくぼみを利用して無理やり削り取って作ったかのような道。
柵と岩を手で掴みながら恐る恐る進んで行く。
かなりスリリングな道だった。
そこから先に進むと、道らしい道はなくなり、山の中へ入っていく。
たいして下調べをしてこないでここまで来てしまったのでもはや自分がどこにいてどこに向かっているのかわからない。
写真ではわかりにくいがここは崖のようなものすごい急坂だった。
転ばないように気を付けて先に進む。
この辺から呑気な散歩というよりちょっとしたトレッキングという様相になり始める。
息も上がり、汗ばんできた。
急坂を上りきると少しだけ視界が開けてきた。
ちょうどこの位置からモンセラットの修道院を眺めることができた。
ずいぶんと遠いところまでやって来たことを実感。
これは修道院から撮った写真だが、きっとこの正面の岩山のどこかからぼくはここを眺めているのだろう。
いよいよトレッキングらしくなってきた。
目と鼻の先には崖。そしてのこぎり山の絶景。
足元を見てみると、なだらかな弧を描いて崖の方へと斜面が続いていく。
しかしある一点から斜面は急転直下。底から下は断崖絶壁と化していく。
さて、間もなく頂上に到着だ。
目の前にどんとそびえ立つ岩山。ものすごい存在感。まるで岩が地面からにょきっと生えてきたかのようだ。
ついに頂上へ到着。
おそらくここが「サン・ジョアンの高台」と呼ばれる場所であろうと思われる。
ここはモンセラットの麓の町から地平線まですべてを見渡すことができる。
ぼくは本格的な登山経験もトレッキングもしたことがない。
今回図らずともこうした山を登ることになってしまったのだがこれは素晴らしい爽快感。
山にはまる人が続出する理由もなんとなくわかるような気がした。
さて、急な山道を下りサン・ジョアンの礼拝堂の辺りまで戻ってきた。
ここからはなだらかな道を散歩がてら歩いて行くことができる。
もともと散歩がてら歩きに来ようとここまで来たのに、まさか山登りになってしまうとは想像もしていなかった一日だった。
日も沈み、また夜のモンセラットがやってくる。
月明りと修道院付近の明かりでぼんやりと浮かび上がってくるモンセラットの岩山。
こうして眺めていると自分が非日常の別世界にいることを感じさせられる。
これは先ほど山登りをして見た巨大な奇岩山を眺めていた時にも感じた感覚だった。
サンタ・コバの記事でも少しお話ししたように、サグラダ・ファミリアを設計したガウディもこのモンセラットの独特な景色にインスピレーションを受けていたという。
ここには何か人間のインスピレーションを刺激するような何かがあるのだ。
そしてモンセラットは西暦880年に黒のマリア像が見つかった時以来、聖なる山として多くの修道士を惹き付け、瞑想修行の場として繁栄してきた歴史がある。
ここもイスラエルのマルサバ修道院やボスニアのムスリム修道院と同じく、俗世から離れて神との交わりを実践する修行の場として最適なものだったのだ。
神との交わりの実践もやはり俗世間を離れた静かな場所が必要だ。
街中には誘惑が多すぎる。雑音に惑わされて集中どころではない。
さらに言えば、瞑想修行もやはり自然から受けるインスピレーションが重要だ。
修行者の聖地に独特な景観を持つ場所が多いのはおそらく偶然ではあるまい。
日本でも空海が開いた真言宗高野山金剛峰寺や最澄の天台宗比叡山延暦寺も人里離れた山の中、そして霊場たる独特の空間がそこにはある。
日常の世界からできるだけ離れた世界こそ、修行者にとって理想的な環境なのだ。
モンセラットの最後の夜。
ぼくは夜のミサの後、一人聖堂に残りモンセラットでの滞在を思い返していた。
毎晩毎朝修道士さんのお祈りに参加し、宿坊ホテルに泊まり、そして修行者の庵を訪れた3日間。
俗世間から離れて山に籠り、ひたすら神に仕えて生きるという生活をほんの少しだけ垣間見ることができた。
ぼくにとってはそれがとても貴重な経験だった。
と言うのも、ぼくが所属している宗派は浄土真宗。
実は他の宗派さんと違って浄土真宗は山に籠っての長期間の修行というものをしない宗派なのだ。
だからこういう「人里離れた別世界」で修行をしているという人たちがぼくにとっては興味深い世界だったのだ。
ぼくはよく「修行はどこでされたんですか?やっぱり滝に打たれてたんですか?」と聞かれる。
それに対して「いやぁ、実はぼく達は修行というものがない宗派なんですよ」と答えるとみなさん驚いた顔をされるものだ。
「なぜ浄土真宗は修行をしないのか」
「そしてそもそも修行とは一体何なのか。何のために行うのか」
これはこの世界一周記の記事を終えてから改めてお話ししていきたいと思う。
さて、何はともあれモンセラットでの滞在は素晴らしい経験となった。
バルセロナに行かれる方はぜひモンセラットに足を伸ばして訪れることをお勧めしたい。
そしてできればここに1泊すればさらに素晴らしい体験ができるということをお伝えしてこの記事を終えたいと思う。
続く
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