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サラエボオリンピック競技場の墓地とヴレロボスネ自然公園と~平和の象徴が紛争犠牲者の墓地に… ボスニア編④

ボスニア
目次

平和の象徴が紛争犠牲者の墓地に…ヴレロボスネ自然公園とオリンピック競技場の墓地 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編④

トンネル博物館の見学を終えたぼくらが次に向かうのはヴレロボスネ自然公園。

サラエボの街を囲む山の麓にある自然公園で、きれいな湧水で有名。

天気のよい日にはボスニア人もよく訪れる憩いの場なのだそうだ。

目の前に山がせり立っている。

たしかにサラエボの街が山に囲まれていることを実感。

街中の喧騒を離れて自然の中でリラックス。憩いの場としては完璧だ。

ヴレロボスネ自然公園の入り口に到着。

舗装された遊歩道を歩いて行く。

周りは綺麗な芝生。

天気のいい日には芝生の上に寝転がりながら日向ぼっこなんかも気持ちよさそうだ。

今日はついさっきまで雨が降っていたからか人はまばら。

水源地だけあってきれいな水が勢いよく流れ出している。

思いのほか流れが激しくて少し驚く。

時折体に感じる水しぶきが涼しくて心地がよい。

少し歩くと美しい池が現れてくる。

池の底の茶色い模様と透明な水面に映った木々の緑が絶妙な形で混ざり合っている。

晴れた日だと光の反射具合ももっと違うだろうので、きっとまた別人のような姿を見せてくれるのだろう。

なんと、この池には白鳥も遊びに来ていた。

鮮やかな緑色の景色の中にぽつんと佇む白鳥。

なんと美しく、優雅な光景だろう。

―とってもいいところですねこの公園は。

 これは人気あるのもわかるような気がします。

「そうですね。サラエボは夏になると40度を超えるほど暑い日もあります。

とてつもなく暑い日が続きます。

そんな日にここで過ごすのは素晴らしい時間です。

面白いことに最近ここにアラブ人がバカンスに来るようになってきました。

砂漠に住むアラブの方達にとってはこのような水も緑も豊かなこの場所がとても珍しいのでしょうね。

彼らは朝から日が暮れるまでここで過ごしています。

ボスニアはイスラム教徒が多い国です。そして物価もヨーロッパと比べて安い。

それでここが来やすい場所なのでしょう。」

まさかアラブ人がここにバカンスに来ているとは思いもしなかった。

たしかに、緑豊かな日本で暮らしているぼくでさえここはいいところだなあと思うのだから、砂漠に住む人からすればカルチャーショックに近いものがあるのかもしれない。

ヴレロボスネ自然公園の次に向かったのはオリンピック競技場近くにある墓地。

1984年の冬季オリンピックの会場がまさしくここサラエボ。

平和の祭典オリンピックが行われてから10年と経たない内に、この地は紛争へと突入していくことになってしまったのだった。

紛争中、サラエボ市内では多くの犠牲者を出すことになった。

それでもともとあった墓地区画に遺体を埋葬しきれなくなるという事態に。

そこで急遽オリンピック競技場のサブグラウンドを墓地として利用することになったのだった。

ぼくが今目の前にしているのがそのお墓。

平和の祭典の会場がそのまま紛争の犠牲者となった人たちのお墓となっている。

こんな皮肉があっていいものなのだろうか。

ぼくはなんともいたたまれない気持ちで目の前のお墓を呆然と見続けたのであった。

お墓の中心部には塔のようなモニュメントがあった。

このモニュメントにはここに埋葬されている犠牲者の名が刻まれている。

一人一人の名前が刻まれていることで、その一人一人の人生があったことを感じさせられる。

ただ数字で「何人が犠牲になりました」と言われるのとは感じる重みがまるで違う。

さて、本日のサラエボトンネルツアーはこれにて終了。

明日は旧市街のウォーキングツアー。

サラエボの歴史や文化を学びつつ、紛争当時のお話を聞くツアーだ。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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