目次
心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく―お釈迦様のことばに聴く
三三 心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。―弓矢職人が矢柄を直くするように。
三五 心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす。
三六 心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。英知ある人は心を守れかし。心を守ったならば、安楽をもたらす。
三七 心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう。
三八 心が安住することなく、正しい真理を知らず、信念が汚されたならば、さとりの知慧は全からず。
三九 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることが無い。
岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P15
今回のことばは第三章「心」に収められたものを見ていきます。
私の心が世界を作る。私達が世界をどう感じるかによって世界は変わっていくとお釈迦様は仰られました。
ではその心そのものは一体いかなるものなのか、それがこの章では簡潔に説かれるのです。
はじめに、
「心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。―弓矢職人が矢柄を直くするように」
と述べられるように、私たちの心は制御することが難しいということが第一に語られます。
そして、
「心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。その心をおさめることは善いことである。心をおさめたならば、安楽をもたらす」
と続きます。
欲するがままに動いてしまう心をおさめること。これが心の平安になると述べるのです。
この章では心がいかに制御困難で、私たちの意思とは離れたものであるかを様々なたとえを用いて語られます。「心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる」というのはまさにその例です。
「胸の奥底の洞窟にひそんでいる」というのはいかにも不気味で近寄りがたい存在のように感じてきますよね。
それだけ私たちの心というのは制御しにくく、そもそも完全に見つけることすら難しい存在であるということが語られるのです。
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