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和島芳男『叡尊・忍性』あらすじと感想~鎌倉中期、戒律復興や慈善事業に努めた律宗僧の知られざる業績とは

叡尊・忍性
目次

和島芳男『叡尊・忍性』あらすじと感想~鎌倉中期に活躍した律宗僧のおすすめ伝記。戒律復興や慈善事業に努めた彼らの知られざる業績とは

今回ご紹介するのは1959年に吉川弘文館より発行された和島芳男著『叡尊・忍性』です。私が読んだのは2024年のオンデマンド版です。

早速この本について見ていきましょう。

戒律再興と社会事業に献身する師弟2人の高僧。わが国慈善救済史上に不滅の光彩放つ香り高い伝。

Amazon商品紹介ページより

本書の主人公、叡尊、忍性は鎌倉時代中期に活躍した律宗僧です。

叡尊(1201-1290)Wikipediaより
忍性(1217-1303)Wikipediaより

この二人は戒律復興や慈善事業に努めたことで有名な僧ですが、同時代の親鸞や道元、日蓮などに比べると知名度が低いのも事実。そんな二人について著者は冒頭で次のように述べています。

人物にもいろいろある。この叢書の第一巻に描かれた明智光秀のように、浄瑠璃や歌舞伎でおなじみで、その名を聞いただけでその時代の姿を想起することもでき、またその生涯についても劇的なクライマックスがあって読者の興味をひきつけやすい人物もあるが、またここにとり上げた叡尊・忍性のように、鎌倉時代の仏教革新運動や慈善救済事業の歴史を考える上に決して見のがすことのできない重要な存在でありながら、高等学校の教科書にもわずかな記載があるかなしかで、一般には名の通らない人物もある。これは叡尊・忍性が南都六宗の中でも最もやかましい戒律宗の復興をはかった人々だけに、文字通り律儀な人々で、そのふるまいにいわゆる芝居気がほとんどなかった上に、かれらが宗義の実践のために精進した慈善救済ということがまた本質的にじみ、、な仕事であり,人々の耳目をそばだたせるような抑揚・変化に富むはずがなかったからであろう。今日まで、叡尊・忍性の伝記を扱った独立の書物がほとんど世に出なかったのも、二人の事蹟に多くの読者の興味をひきつけるようなやま、、がなかったことが主要原因であったように思われるのである。

戒律というものは、本来出家の修道生活の規律ではあるが、それはまた在家の日常生活の準則としても適用され、そこに一層の価値を発揮したものであった。また慈善救済は、もちろん施主一人の自己満足に終るべきものでなく、社会大衆の福祉に直結してこそ始めてその意義を主張できるものなのである。歴史が民衆の手に解放され、いわゆる王侯将相も民衆によって形づくられた社会的基盤の上に立つ存在として見なおされつつある今日、多くの英雄偉人にもまして直接に民衆の生活に触れ、かれらの現実そのものの中に安心立命の境地を切り開かせようとした叡尊・忍性師弟二代の宗教活動の歴史は、当然世人の注目を要求する権利があるといっては言い過ぎであろうか。幸いにも畏友森克己君の斡旋により、日本歴史学会の理解と吉川弘文館の協力を得、ここに人物叢書中の一編として新しい叡尊・忍性伝を世に送ることができたのは私の欣快にたえないところである。

吉川弘文館、和島芳男『叡尊・忍性』P1-3

叡尊、忍性は西大寺流として戒律復興や慈善事業など尊敬されるべき生涯を送りましたが、法然や親鸞、栄西や道元、日蓮や一遍などの祖師と比べるとどうしても「じみ」である。これは想像するよりはるかに重要なポイントなのではないかと私は感じています。

と言いますのも本書の最終盤で語られる次のお話が非常に興味深いのです。少し長くなりますがじっくり読んでいきます。

西大寺流が南都律学の復興と弘布とに力を尽し、日本仏教の革新に貢献したばかりでなく、戒律の実践面としての慈善救済の諸施設をおこない、御家人・地頭・荘官・名主層の帰依をあつめ、荘園制爛熟期の人心を指導した業績は社会史上にも不滅の光彩をはなつものであろう。ことに叡尊の戒徳と忍性の行業とはいにしえの行基菩薩とならび称せらるべきものであったに違いない。

しかし南都の律宗はいうまでもなく一つの学問として組織された戒律であり、従ってその学のかたちのままでは人心を教導し、宗教としての活力を発揮することはできなかった。叡尊の盟友覚盛の開いた招提寺流が覚盛の没後久しからずして沈滞におちいったのも、唐招提寺が天平の伝統を墨守し、もっぱら律学の道場として立ち、布教の機関として信徒の外護を獲得すべき宗教性にとぼしかったためであった。

これに対して西大寺流は、叡尊・忍性ともに元来真言僧であり、祈禱・修法を媒介として教学を宗教化する方策がおのずから身についていた。かれらは地方の武士を相手として、いかめしい律書を平易に解説するとともに、文殊信仰など庶民性ゆたかな要素をとり入れ、地方民にもなじみ深い密教の儀軌によって持戒の作法をととのえ、律宗の宗教化に成功したのであった。

のこる問題はこの持戒の宗教に、どのような現世的意義を附与するかということであった。例えば法然がある武士の問に答えて、「罪人は罪人ながら名号をとなへて往生す。これ本願の不思議なり。弓箭の家にうまれたる人、たとひ軍陣に戦ひ、命を失ふとも、念仏せば本願に乗じ、来迎に預からんこと、ゆめゆめ疑ふべからず」と教えたように、西大寺流も御家人・地頭たちを主たる外護者とするからには、こういう身分上破戒を余儀無くされる人々のために、持戒と破戒との関係について一層積極的に教説を展開すべきであった。

もとより西大寺流が南都の慧学たる伝統をすてないかぎり、智恵を離れて本願に乗ずるなど、思いも及ばぬことには相違無い。しかしすでに西大寺流が教学にとどまらず、宗教として立つからには、在家の生活における持戒の価値について、当然新見解を樹立しなければならなかったはずである。

恐らく叡尊も、忍性もこの宗門の一大事について考えもし、悩みもしたことに違いないであろう。しかるにかれらがまだこの課題について恐らく十分に思いを致さぬうちに、かの叡尊の導入した光明真言がたちまち多くの荘官・名主たちの帰依と寄進とをあつめ、西大寺流の教団を飛躍的に発展せしめたために、右の教理上の大切な課題の解決が遷延され、等閑視され、はては忘却されたことは、西大寺流の宗教にとってまことに運命的な事実であった。

この光明真言という、亡者の罪障をも消滅させる呪術の流行のために、人々の罪感がおのずから軽減され、持戒の宗教はなかばその意義を失ったばかりでなく、持戒そのことについてさえ、滅罪生善の呪術的効果を期待せしめるようになったのである。

殺生禁断が庶民の生活を圧迫した事実が物語るように、戒律の形式的実践がその反面において別個の救済の必要を増大せしめるという矛盾は、叡尊にとっても忍性にとっても、またひとつの大きな課題であったろう。それにもかかわらず、客観的情勢はまたしてもこれが解決の余裕を与えなかった。すなわち文永・弘安の危機に際会し、叡尊・忍性が、律僧としてよりも真言僧として、朝幕の祈禱・修法にしきりに効験を示し、ますます公武の信敬をあつくしたがために、西大寺流における呪術的要素はいちじるしくその重要性を増し、これに反比例して本来の持戒の宗旨は一層生彩を失った。

戒律の実践としての慈善救済にしても、それはまず功徳のための作善であるが故に、施主には与えるものの法悦が無く、これを受ける側にも真実報謝の念うすく、しかも両者はしばしばたがいに反撥した。

忍性の経営の才を以てしても、その慈善救済施設を、宗門の伝統とともに長く後世にとどめることができなかったのも、戒行にまつわるかような功利主義にわずらわされたためであろう。こうして西大寺流は、叡尊・忍性二代にわたる戒律の超人的実践にもかかわらず、真実の救済教としての倫理を確立するに至らなかった。これは果して人の罪であろうか。それともまた世の罪であろうか。

※スマホ等でも読みやすいように一部改行した

吉川弘文館、和島芳男『叡尊・忍性』P189-193

少し長くなりましたがいかがでしょうか。

本書では偉大なる戒律実践者であり、慈善事業家でもあった二人の生涯を見ていくのでありますが、その総まとめがこの箇所になります。

一番最後の「こうして西大寺流は、叡尊・忍性二代にわたる戒律の超人的実践にもかかわらず、真実の救済教としての倫理を確立するに至らなかった。これは果して人の罪であろうか。それともまた世の罪であろうか。」という言葉は強烈ですよね。

よく宗教を批判する言葉で多いのは「宗教家が堕落したからその宗教はだめになっていく」というテンプレートですが、戒律を堅固に守り、慈善事業を行っていたにも関わらず人々からの支持を得られず衰退していった歴史がここにあるのです。

どの宗教が人々の間で繁栄するかは単純な話ではありません。

「宗教は宗教だけにあらず」

これが私が宗教を考える上で大切にしている考え方です。宗教はただ教義や信仰、儀礼だけで成り立つのではなく当時の時代背景や政治経済、文化、土地柄などあらゆるものが関わって成立します。

叡尊、忍性は確かに圧倒的に立派な人物です。ですがそれだけでは宗教教団としての存続は不可能だったということが上の箇所から見て取れます。宗教は本当に複雑です。そもそも多面的で複雑な存在であるのに、さらにそれをどの立場から見るかによってもまた見え方は変わってくるでしょう。

特に平安末期から鎌倉時代は様々な思想が生まれた時代です。自然災害や疫病、戦乱という混沌の中で各々が「救いとは何か」を決死の思いで追い求めた時代でもあります。その中で法然や親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍などの祖師が生まれています。彼らの劇的な生涯や思想と比べると確かに叡尊、忍性は地味です。ただ、地味で目立たないからこそ見えてくるものもあります。この二人の生涯や教団の展開を見ていくことは必ず鎌倉仏教の祖師達を学ぶ上でも役に立つことでしょう。私も鎌倉仏教の新しい側面を見させてもらったように思います。

地味で読むのにも多少忍耐が必要な本ではありますが、貴重な示唆を与えてくれる作品です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

以上、「和島芳男『叡尊・忍性』あらすじと感想~鎌倉中期に活躍した律宗僧のおすすめ伝記。戒律復興や慈善事業に努めた彼らの知られざる業績とは」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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