ラホールの象徴バードシャヒー・モスクと世界遺産シャーラマール庭園!ムガル帝国の傑作を訪ねて
【インド・スリランカ仏跡紀行】(97)
ラホールの象徴バードシャヒー・モスクと世界遺産シャリヤーンワーラー庭園!ムガル帝国の傑作を訪ねて
ラホールの象徴バードシャヒー・モスク
ラホール博物館でガンダーラ仏像の傑作「断食仏像」を堪能した私は次の目的地バードシャヒー・モスクを目指した。
ここはモスク前の庭園広場。写真奥の赤褐色の門をくぐるとモスクの境内である。
バードシャヒー・モスクは1671年から73年にかけて建設されたモスクだ。ムガル皇帝六代君主アウラングゼーブの命によって建設され、完成当時は世界最大のモスクだった。現在でもパキスタンで2番目、世界で5番目に巨大なモスクとして知られている。
このモスクはラホールの象徴として人々に親しまれ、1993年にパキスタン政府は世界遺産の暫定リストに掲載している。
これがそのバードシャヒー・モスクだ。四方を壁に囲まれた広大な空間のその奥に方形と玉ねぎ型のドームが組み合わされた巨大なモスクが鎮座している。赤褐色の外壁と白い屋根のコントラストも美しい。そして何より、この迫力である。門をくぐってこの広場に出た瞬間私は声を上げずにはいられなかった。何よりでかい!そして空もこの建築の一部であるような感覚になったのを覚えている。
モスクのすぐ近くまでやってきた。その巨大さに圧倒される。ものすごい圧力だ。この平面で迫って来る構造はタージマハルを思い出す。
ちなみにこのモスクを建てたアウラングゼーブ帝はタージマハルを作ったシャー・ジャハーン帝の息子である。そう、実の父親を幽閉し、無残な最期を迎えさせたあの息子こそアウラングゼーブ帝なのである。(このエピソードについては「(67)インドの象徴タージ・マハルへ~まるで宮殿のような墓とそれを見つめる囚われの王の悲劇」の記事参照)
親子二代そろってこれほどまでの巨大建築を作ったというのはやはりムガル帝国のスケールの大きさを感じさせられる。
モスクでは今も祈りの場として非常に重要な役割を果たしている。
ここは単なる観光地ではない。大切な礼拝の場であることがその雰囲気からも感じられた。実に素晴らしい場所であった。
世界遺産シャーラマール庭園
そしてここラホールでは見逃すことのできない世界遺産がある。それがこれから紹介するシャーラマール庭園だ。
この庭園も驚くことに私達も知っている人物によって作られた。
なんと、この庭園もタージマハルを作ったシャー・ジャハーン帝によるものなのである。もはやさすがとしか言いようがない。
本来はここも噴水によって水が満たされているのだが今は乾季なので水は止められている。
ここも水が止められているが、向こう側の門の先には水も貯められているという。私達も先を見に行くことにしよう。
おお!これは素晴らしい!池の中央に作られた舞台と、等間隔に立つ赤い杭。この写真には写っていないが池の両側には東屋が立っている。
その東屋の列柱越しに見た池。やはり柱越しの景色は言葉に尽くせぬ魅力がある。
すっと伸びた通路の先に舞台と東屋が一直線に見える。そしてその両側には鏡のような水面と赤い杭。何とも現実離れした神秘的な光景である。
やはり水を使わせたらイスラーム建築は超一流である。水の活かし方を憎いほど心得ている。やはり水の少ない地域で盛んであったイスラームだからこそその真価を最大限に生かすことができたのだろうか。スペインのアルハンブラ宮殿でも私はその水を使った建築に感動している。特にライオンの中庭は今も忘れられないほど美しい思い出である。
パキスタン人は人見知りで好奇心旺盛?世界遺産ラホール城での出来事
さて、上の2か所の他にも私は世界遺産であるラホール城も訪れていた。
ただ、正直私はこの城自体にはあまり大きな印象を受けることはなかったのだが、あることがきっかけで随分と面白いことを知ることになったのである。
きっかけは些細なことだった。
パキスタン人がどこに行っても私をじろじろと見てくるのである。これはここラホール城に始まったことではない。博物館でもモスクでも庭園でも全てそうだった。だが、ここではさらに進んで、そのじろじろ見てきた若者達の集団からひとりの青年がやって来て、「あなたはどこから来た?」と聞いてきたのである。
そして「日本からだ」と伝えると、握手してほしいと頼まれた。断るのも悪いので握手に応じた。
すると彼は大喜びで帰っていったのである。彼は誇らしげにそれを仲間たちに語っていた。
一体これは何なのだ?私は馬鹿にされているのか?そこでガイドさんに聞いてみた。
「なぜ皆私のことをじろじろ見るのですか?正直私は怖いです。それなのに今度は握手してくれと言ってきた。何が何だかわかりません。彼らは怒っているのですか?」
「上田さん、気にしないでください。彼らは怒っているのではありません。外国人をあまり見ないので彼らは気になっているだけです。大丈夫です。安心してください。パキスタン人は好奇心が強い人が多いです。だから上田さんをじっと見ていたのでしょう。でも恥ずかしくて何もできないのです」
なるほど、そういうことか。
たしかに入国審査の時も不愛想かと思えば急にフレンドリーになっていた。人見知りなのに外国人に興味深々ということなのだろうか。そして仲よくなればぐっと距離が縮まる。ふむふむ、少し日本人的な感覚とも似ているような気もする。そう考えると急に親近感が湧いてきた。
私はこの後もじろじろと見られ続けたのだが、そこに悪意はないとわかったならば何も怖いことはない。
インドではあまりに人が多すぎて他人なんて気にしないという雰囲気だった。
しかしここラホールではこうも他者に対して関心があるのである。だが注意したいのはラホールもパキスタン第2の都市で人口1100万人ほどの大都市であるということだ。決して田舎だからとか、人が少ないからというわけではないのである。こういう面でもインドとパキスタンのメンタリティの違いが知れて私としては非常に興味深いパキスタン滞在となった。
次の記事ではいよいよ例の国境セレモニーの模様についてお伝えする。私は単にそのパフォーマンスや物珍しさに度肝を抜かれたのではない。そこにインドとパキスタンのメンタリティや国威発揚のシステムがこれでもかと現れていたのである。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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