目次
モスタルの象徴~ネレトヴァ川に架かる美しきスタリモストをご紹介 僧侶上田隆弘の世界一周記―ボスニア編⑮
ブラガイの観光を終え、これから向かうのが本日の最終目的地、モスタルだ。
サラエボからは3時間ほどの距離。
先程までいたブラガイからは20分ほどで着けてしまう位置。
モスタルの旧市街の街並み。
モスタルも山の近くにある街だ。
オスマントルコ時代の名残で、石造りの建物が目立つ。
日中は観光客でいっぱいだ。
メインの通りは通るのも大変なくらい混雑する。
ここモスタルはクロアチアからの日帰り観光スポットとしても有名で、ドブロブニクやコトル、スプリットなどのアドリア海沿岸のリゾートからやって来る人も多い。
こちらがスタリモスト。モスタルと言えばこの風景が有名。
ボスニアを代表する景観だ。
もともとは16世紀のオスマントルコ時代に作られたものだがボスニア紛争でこの橋は破壊されてしまった。
現在かかっているのは紛争後再建されたもの。
再建された翌年の2005年、ボスニア初となる世界遺産に登録された。
橋は滑らかな石で作られていて、かなり足元が滑る。
そのため小さな段のような足の踏み場が等間隔で敷設されている。
雨の日はこれがないと滑って転ぶ人も出てくる。
それだけこの橋が滑らかに、そしてなおかつ傾斜がある橋だということがわかる。
よくよく考えて見れば、なかなかこういう橋にお目にかかることはないのではないだろうか。
普通の橋はだいたい平坦だ。
アーチ橋といっても、ぼくたちが通る部分までアーチになっているわけではない。
さらに、そもそもの話になってしまうのだがこんな高い場所にこれだけの石橋を作ったオスマン帝国の技術力の高さに驚く。
一体どうやって足場を組んだのか。
石はどこから切り出し、どうやって運んだのか。
どうやってこんな高い場所で橋の形まで石を組み合せていったのか。
実は現在でも正確なところはわかっていないらしい。
設計者などははっきりしているのだが、いざこれがどうやって作られたかとなると未だに謎のまま。
今ここに架かっている橋は紛争後再建されたものだが、これと同じものがはるか昔に機械もなしで作られていたわけである。
昔の人の技術の高さには驚くほかない。
モスタル旧市街はサラエボと同じく異国情緒たっぷりの街並み。
橋近くのアトリエにはモスタルの絵画がたくさん売られていて、ぼくはその中のある絵に吸い込まれるように引き寄せられた。
この絵を見ていると、スタリモストがまるで天に昇っていく橋のように見えてくるのだ。
たしかにここの案内には「天にかかる橋」というキャッチコピーがあったがまさしくこの絵を見て納得。
ぼくはお土産として絵葉書を買って帰ることにした。
川面から天に向かって舞い上がっていくような、そんな軽やかさを感じさせるスタリモスト。
粘り気すら感じさせる重厚なネレトヴァ川の流れと相まって非常に美しい。
そしてここスタリモストにはもうひとつ、名物がある。
スタリモストに現れる水着姿の男性だ。
彼は今何をしているのかというと、飛び込む前のファンサービスだ。
行くぜ行くぜとアピールし、観光客からのチップを待っているのだ。
そしてある程度のチップが集まるとこの橋の上から川に飛び込むのだ。
水面からの高さは20m以上。
ぼくは滞在中何度も彼らがダイブするのを見た。
ガイドブックには絶対に真似しないでくださいと書いてあったが、ぼくならまずそんな心配はないだろう。とてもじゃないがやろうなんて思わない。ぼくは高所恐怖症なのだ。
話によると、彼らは訓練を積んだベテランなのだそうで、そうでなければ本当に危険らしい。
ネレトヴァ川は穏やかな見た目に反してかなり流れが速い。
着水に失敗してしまったらあっという間に流されてしまうそうだ。
ぼくは一度、飛び込み直後に橋の上へと戻ってきた男がまるで英雄の凱旋のようにたくさんの人から大歓声で迎えられている様子を見た。
観光地らしいというかなんというか、素朴な感じがしてぼくは思わず微笑んでしまったことを覚えている。
さて、これでモスタルの観光も終了。
サラエボ到着からずっとお世話になってきたミルザさんともここでお別れだ。
BEMI TOURのミルザさんと松井さんには本当にお世話になった。
強盗に遭った後も親切にサポートしてくださった。
本当にお二人がいてくれて助かった。
もしお二人がいなかったらと思うとぞっとする。
きっと、もっと心が折れていたことだろう。
そして、立ち直るまでもっと時間がかかっていたことだろう。
ミルザさんと固い握手とハグをしてお別れをした。
ミルザさん、松井さん、本当にありがとうございました。
お二人のおかげで本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。
ボスニアに行かれる方がおられれば、ぜひBEMI TOURさんをおすすめします。
きっと想像よりはるかに深いボスニアを体験することができると思います。
ぼくはお二人に出会えて心から嬉しく思っています。
本当にありがとうございました。
続く
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