(26)『共産党宣言』『資本論』にも大きな影響を与えたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』
『共産党宣言』『資本論』にも大きな影響を与えたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(26)
上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。
これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。
この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。
当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。
この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。
一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。
その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。
では、早速始めていきましょう。
『イギリスにおける労働者階級の状態』とは
今日、その妥協しない情熱ゆえに、この書(『イギリスにおける労働者階級の状態』 ※ブログ筆者注)は「イングランドの状況」に関する正典として―ディズレーリの『シビル、あるいは二つの国民』、カーライルの『過去と現在』、ディケンズの『ハード・タイムズ』、エリザべス・ギャスケルの『メアリー・バートン』と並んで―西洋文学で最も名の知れた主要な論争の書でありつづけている。
しかし、彼の作品をこれら(階級区分を平和裏に撤廃することを望むキリスト教的な弱腰)の小説から際立たせたのは容赦ない糾弾的文体だった。
この書は、当時のほかの報告書では考えられないほど、自由放任主義の産業化と都市化がもたらした惨状をありのままに読者に突きつけた。「僕はイギリス人にすばらしい起訴状案を提出するつもりだ」と、エンゲルスは執筆途中でそう宣言した。
「全世界を前に、殺人、盗みなどの罪を壮大な規模で犯したかどでイギリスのブルジョワ階級を告訴するのだ」。この作品は歴史や統計を織り交ぜ、さまざまなテーマを網羅するものとなり、「大都市」から「アイルランド人移民」や「炭鉱で働くプロレタリアート」にまで言及し、それぞれについてブルジョワの足元にうんざりするほど罪状を並べ立てるものとなった。
彼自身がじかに見聞きした話や、ジェームズ・リーチから引用した事例と並んで、エンゲルスはとりわけイギリス政府が発表した公式記録(「いわゆる青書」)を大量に利用するのを楽しんだ。「私はつねに自由党の情報源からの証拠を提示するようにし、ブルジョワ自身の言葉を面と向かって投げつけて、自由党のブルジョワ階級を打ち負かすように心がけた」。これはマルクスが『資本論』で完成させた論争術だった。
そのため『イギリスにおける労働者階級の状態』には、工場の委員会報告や法廷記録、『マンチェスター・ガーディアン』紙や『リヴァプール・マーキュリー』紙からの記事、それにピーター・ギャスケルやアンドリュー・ユーアなどのリべラル派による産業化する陽気なイギリスのばら色の報告の引用がぎっしりと詰まっていた。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P135-136
※一部改行しました
マルクスとエンゲルスのことを学ぶまで私は『イギリスにおける労働者階級の状態』という作品の存在を全く知りませんでしたが、まさかここまでのものとは思ってもいませんでした。
マルクスとエンゲルスはやはり二人で一人の存在なのだなと思わされます。
では、これよりこの作品についてより詳しく見ていきましょう。
『イギリスにおける労働者階級の状態』の強みとは
同書の強みはその厳密な議論と豊富な経験にあった。紙面から飛びだしてくるのは、エンゲルスがメアリー・バーンズとともに遭遇したマンチェスターの詳細な説明―その悪臭、騒音、汚れ、人間の惨事などだ。
ドイツの社会民主主義者ヴィルヘルム・リープクネヒトがのちに述べたように、フリードリヒ・エンゲルスは明晰な頭脳をもち、ロマンチックな曖昧さや感傷的なもやに惑わされることがないため、人や物を色眼鏡や霞のかかった空気を通して見ることはなく、つねに澄んだ明るい空気のなかで、澄んだ明るい目をしており、表面だけに留まらず、物事の底辺も見て、それらを徹底的に見通していた」。
『イギリスにおける労働者階級の状態』は、この知的痛烈さの見事な結晶だったが、そこにはいかにもジャーナリスト的な許容と、青年へーゲル派の「幻像」や「理論上の戯言」を「現実の生きた物事」と対比させようとする彼の強い衝動も表わされていた。政治哲学と物質的現実のこの組み合わせは、彼の数ある論争の書の前例となった。「プロレタリアートの状況に関する知識は、社会主義の理論に確かな根拠を与えるうえで絶対必要である」と、彼は明言した。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P137
※一部改行しました
この作品の強みはエンゲルスの実体験に基づいたリアルな語りにありました。
しかもそれだけでなく、彼が夢中になって学んだヘーゲル哲学の素養がそこに生きてきます。
哲学的ジャーナリスト・エンゲルスの特徴がこの作品で示されているのでありました。
労働者階級の悲惨な生活を鮮明に描き出すエンゲルスの文才
まるで自分の身に起きたことのように、エンゲルスは嬉々として工場の作業現場につきものの大怪我や身体の変形を徹底的に並べあげた。
「膝は内側および後方へと曲がり、足首は変形して太くなり、脊柱は前方へ曲がるか片側へ寄ることが多い」と、彼は綿工場で長時間を過ごした影響について書いた。鉱業では、石炭や鉄鉱石を運ぶ労働があまりにも過酷であるため、子供が思春期を迎えるのが不自然に遅れた。そのうえ時間管理も過酷だった。
「ブルジョワはプロレタリアートを奴隷制のくびきにつなぐがそれがどこよりも顕著に表われたのが工場システム内だった」。
エンゲルスは工場規則の写しを前にして、「これによれば、三分の遅刻をした工員は誰でも一五分相当の賃金を差し引かれ、二〇分の遅刻ならば、一日の四分の一相当が引かれる。朝食時間までに出社しなかった者はすべて、月曜日に一シリング分の罰金が科せられ、そのあと一日おきに六ぺンスが科される、といった具合である」。
しかし、ジェームズ・リーチが最初に明らかにしたように、時間は変動しうる現象だった。
「……工場の時計が一五分進められ、ドアが閉まっていることに工員が気づくと、なかで罰金帳簿をもった事務員が動き回っていて、多数の欠席者の名前を書いている」。
こうしたことはいずれも、当時の過激な言い回しを使えば、労働者階級は「アメリカの黒人以下の奴隷」だったことを意味した。「なにしろ彼らはより厳しく監視され、それでいて人間らしく生き、人間のように考え、感じることを要求されているのだ!」
不潔な住居に、身体を消耗させるその日暮らし、職場での精神的・肉体的責め苦―「女たちは出産に適さない身体になり、子供は身体が変形し、男は衰弱し、四肢をつぶされ、どの世代も単にブルジョワ階級の財布を満たすためだけに、疾患や衰弱に蝕まれ、冒されている」―せいで、飲酒と売春の悲惨な罠に落ちていった。
シェフィールドでは確かにこうした事例が見られ、エンゲルスは次のように記した。「若い世代は日曜日をまる一日、通りに寝そべってコインを投げ、闘犬をさせて過ごすか、ジンを売る安酒場に足繁く通う……。となれば、誰もが証言するように、シェフィールドでは、早期の見境のない性行為や若い娘の売春が、とてつもなく頻繁に十四、五歳から始まるのも不思議ではない。残忍で自暴自棄な類の犯罪は、日常茶飯事である」。
産業都市の住民が直面する苦境は、まさしくカーライルが警告したような社会崩壊だった。「残酷なまでの無関心、それぞれが無感動なまま自分の関心事に引きこもる状態がより不快かつ苛立たせるものになる……。人間が単子に分解され、それぞれが別々の本質と別々の目的をもった原子の世界が、ここでは最も極端なかたちで繰り広げられている」。
では、社会のこの惨状について、中流階級はどう考えていたのだろうか?
「私はマンチェスターには一度、そのようなブルジョワとともに行き、不健康でお粗末な方法で建てられた家々や、労働者の居住区の醜悪な状況について話をし、これほどひどい構造の都市は見たことがないと主張した。相手の男はしまいまで黙って聞いてから、別れ際に街角でこう言った。『それでも、ここでは大量の金が生みだされているんです。ご機嫌よう』」
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P140-141
※一部改行しました
労働者の悲惨な生活を描くエンゲルスの筆はもはや作家の域です。
そして巧みなのはそうした労働者に対置する形で登場させたブルジョワの効果です。
『それでも、ここでは大量の金が生みだされているんです。ご機嫌よう』
労働者の悲惨な生活をこれでもかと見せられたあとに、ブルジョワを登場させこんな言葉を吐かせたら、誰しもがブルジョワに対する怒りを感じます。
エンゲルスの巧みな物語構成能力がここに遺憾なく発揮されているように思えました。
プロパガンダとしての『イギリスにおける労働者階級の状態』
一八四〇年代のマンチェスターに関するエンゲルスの一見、とりとめもなく思われる描写には、都市の目的にたいするこの感性が息づいている。これは単なる文芸欄の記事ではなく、政治的に説得力のあるしなやかなプロパガンダであったのである。
あらゆるものが演ずべきイデオロギー上の役割をもつようになった。そのため、エンゲルスの説明のなかで労働者階級の声を聞くことは決してないし、マンチェスターで労働する大衆内部にいくつもの区分があるようにも感じられない。
たとえば、道路清掃業者も綿紡績工と変わらないし、保守主義者とリべラル派も、カトリックとプロテスタントも違いが見られない。マンチェスターの複数の経済組織―綿工場だけでなく、流通、サービス、建設、小売りなど―は、さりげなく抹消され、団結した労働者と資本家のあいだの、都市全般にまたがる対立に変わっていた。同様に、同市の機械工協会、友愛会、労働者クラブ、政治政党や教会の裕福な労働者階級の市民社会も描かれていない。代わりに、エンゲルスはみずからの歴史的運命の実現を切望する体系化されたプロレタリアート像を示した。(中略)
「革命は起こらねばならない。平和的解決策をもたらすにはすでに遅すぎる」と、エンゲルスは宣言した。一つの望みはできる限り多くのプロレタリアートを共産主義に転向させることで、革命に伴う暴力を軽滅することだった。
「プロレタリアートが社会主義的および共産主義的な分子を吸収するにつれて、革命からは流血の事態や復讐、野蛮さが減ってゆく」。たとえ共産主義的な将来を実現させる特定の任務をプロレタリアートが負っていても、新しい社会は昔からの対立がなくなるにつれて、すべての階級を受け入れるようになるからだ。「共産主義は労働者だけではなく、人類にかかわる問題なのである」
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P149-150
※一部改行しました
ここは非常に重要な箇所です。
エンゲルスのこの作品はすでに単なるひとつのジャーナリズム作品ではなく、人々を駆り立てるプロパガンダ作品として機能していたのでありました。
しかもその手法が非常に巧みです。
本来、労働者と一口で言っても、様々な職業、立場があります。待遇も違えば利害関係も異なります。
ですので彼らが団結するといっても、利害関係の対立やら、自分の利益すら確保できればそれでよしとする人もたくさん出てきます。そこに権力闘争も絡み、足並みもそろわず結局内紛というのがよくあるパターンです。チャーティスト運動の失敗もそうした面が大きく影響しています。(チャーティスト運動については以下の記事参照)
ですがエンゲルスはそうした個々の職業や立場を持ち出さず、プロレタリアートとしての人間を語ります。歴史という壮大な進歩物語の中で人間をブルジョワとプロレタリアートという二つに分け、その対立は歴史的宿命だと断じます。そしてプロレタリアートは必ず最後には勝つとエンゲルスは宣言します。
これはまさしく、後にマルクスが説く『資本論』に繋がっていく考え方です。
彼らが語る物語がプロパガンダであると著者が述べるのは非常に重要な点であると思います。今後もその点に注意してこの本を読んでいきたいと思います。
『イギリスにおける労働者階級の状態』の反響~マルクスに絶大な影響を与えたエンゲルス
マルクスはこの本と、そこに満載された、工場主が工場の時計を操作することから、労働者が置かれた物理的状況や、綿産業の経済史にいたるまでの有益なデータに魅了された。同書はマルクスが、資本主義の非人道的行為の具体的な証拠をたびたび求めた情報源だった。
「イングランドで大規模産業が始まってから、一八四五年にいたるまでの時代に関する限り、随所でこれに触れるが、詳細については読者にエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』を参照してもらうことにする」と、彼は『資本論』第一巻の初めのほうの註に書いた。「資本主義の生産方法の本質にたいするエンゲルスの洞察の深さは、彼の書が出版されて以来、登場した工場の報告書や鉱山に関する報告などによって実証されている」
だが、エンゲルスは単なる事実の報告以上の貢献をした。マルクス主義の学者が高く評価することはめったにないが、『イギリスにおける労働者階級の状態』は(「国民経済学批判大綱」とともに)、共産主義理論の草分けとなる文献であった。
エンゲルスは、ヴィルヘルム・リープクネヒトの言葉を借りれば、「脱へーゲル化」したのだ。産業化するマンチェスターでじかに人間の不公正を目撃したことが、ベルリン時代の「単なる抽象的な知識」を超えさせたのだった。
驚くほどの知的な成熟さを見せて、二十四歳のエンゲルスは青年へーゲル派の疎外の概念を、ヴィクトリア朝時代のイギリスの物質的現実に当てはめ、そこから科学的社会主義の思想面の構造をつくりだしたのである。
モーゼス・ヘスから学んだ理論的共産主義の萌芽は、マンチェスターで過ごした時代に大いに充実したものになった。
後年、主流マルクス主義思想として見なされるもののじつに多く―階級分裂、現代の産業資本主義の不安定な本質、ブルジョワ階級によるみずからの墓掘り作業者の創出、社会主義革命の必然性―が、エンゲルスの優れたこの論争の書にいずれも最初に盛り込まれていたのである。
しかし、同書を最後に、その後三〇年にわたって、社会主義思想について彼が実質的な作品を著わすことはまずなかった。一八四四年の夏には、マンチェスターでの見習い期間は終了し、エルメン&エンゲルス商会の御曹司である後継者は故郷のバルメンに戻った。帰路、彼はパリに立ち寄り、カール・マルクスとはるかに温かい再会をはたした。そして、それ以降、エンゲルスのライフワークは管理者である「ムーア人(マルクスのこと ※ブログ筆者注)」に譲り渡されたのである。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P151-152
この箇所を読めばエンゲルスがいかにマルクスに大きな影響を与えていたことがわかります。
マルクスはマルクスのみにあらず。
やはりエンゲルスがいて、二人で共同作業をしたからこそのマルクスなのだなと思わされます。
二人の超人的な天才が合わさったからこそ世界を変える思想を生み出すことができたというのは、人間の歴史を考える上で非常に興味深いものがありました。
また、この引用部分にありますように、エンゲルスは1844年にマンチェスターから地元のバルメンに帰ります。そしてその途中にパリに立ち寄り、マルクスとの運命の日を迎えることになりました。
次の記事ではパリにやって来たエンゲルスとマルクスとの共同活動のはじまりについてお話ししていきます。
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