ガンダーラの最高傑作「断食仏像」に会いにパキスタンのラホール博物館へ!あのブッダの目が忘れられない!
【インド・スリランカ仏跡紀行】(96)
ガンダーラの至宝「断食仏像」に会いにパキスタンのラホール博物館へ!あのブッダの目が忘れられない!
バラナシ郊外の初転法輪の聖地サールナート。
ここを訪れたことで私は仏教八大聖地を全て巡ったことになる。
・ルンビニー 誕生の地
・ブッダガヤ 悟りの地
・サールナート(鹿野園) 初転法輪の地
・ラージャグリハ(王舎城)ブッダ滞在の地
・サヘート・マヘート(祇園精舎)ブッダ滞在の地
・ヴァイシャーリー 猿王奉蜜の地
・クシナガラ 入滅の地
・サンカシャ 三道宝階の地
普通の仏跡旅行であればこれでめでたく旅は終了であるが、私の旅はまだ終わらない。
たしかに八大仏跡は全て訪れたが、インドの仏教や宗教を知るにはまだ行かねばならない場所が残っている。
次の目的地はパキスタンのラホールという地。
「パキスタン?ラホール?」
この急な展開に皆さんも疑問符が浮かんだと思うが、このラホールにはあの有名な断食仏像があるのである。
このガリガリに痩せ細った強烈な仏像を教科書などで見たことがある人も多いのではないだろうか。
ガンダーラ仏像の最高傑作のひとつとして知られるこの有名な仏像を見に私はパキスタンへと向かったのである。
バラナシからデリーへ戻った私はその翌日早朝、インド北部のアムリトサル空港へと飛んだ。
上の地図を見て頂ければわかるように、アムリトサルからラホールはすぐ近くだ。ここから私は陸路でインド・パキスタン国境を通過しラホールへと向かったのである。この国境移動に関してはガイドさんもなしでひとりで行わなければならない。ガイドさんと国境前で一旦お別れし、私は先へと進んだ。
さて、インド側の手続きも済ませてパキスタンに入国だ。
ちなみに、この国境ゲートの両側は巨大なスタジアムのようになっている。こちらはインド側。そして次の画像がパキスタン側である。
このインド・パキスタン国境には名物がある。
それがフラッグセレモニーというインド・パキスタン両軍によるパフォーマンスである。インドとパキスタンといえばインド独立後に分離し、その後何度も戦争となったほど仲が悪い。そんな両国であるがこの国境においては共同で毎日国境閉鎖のセレモニーを行っているのである。このセレモニーについては後の記事で改めて紹介するのでぜひご期待頂きたい。
さて、この国境のスタジアムを抜けてしばらく道なりに歩くとパキスタン側のイミグレーションがある。
そしてそこで手続きをしていると、日本人が珍しいのかぞろぞろと係の人達がやってきた。さすがに緊張感が増す。イミグレでは毎回緊張するが、ここパキスタンは私にとっても未知の国。なかなかに怖い。しかもよくあることだが、皆むすっとして不愛想なのである。
パキスタンといえば、どこか怖いイメージが漠然と私にはあった。皆さんにもそれは共感してもらえるのではないだろうか。だが、入国早々私は「おや?」と思う出来事と遭遇したのである。
「仕事は何をしている?」と聞かれて私は「priest」と答えた。「ワオ」と向こうは驚くがどうやら信用していないらしい。笑いながら「何か見せてよ」と言ってきたので私はスマホを取り出してこのブログを見せた。すると一同大盛り上がり。「これ本当に君がやっているのかい?」とニッコニコで聞いてくる。どうやらもう疑っていないらしい。急にフレンドリーになった彼らに私も驚いた。
う~む、パキスタンは想像していたものとどうやら違うのかもしれない。あのフレンドリーさには驚いた。
そしてイミグレを通過するとさらに道なりに進む。この先の門でパキスタン側のガイドと合流することになっていたのだが、それらしき人は誰もいない。
まずい、これは困ったぞ。こんなところでひとり取り残されても私にはどうもできない・・・
どうしたものかと思案していると、門の付近にいた軍人さんに声をかけられた。まずい、不審者と思われたか?
「Where are you from?」
「Japan!」
「What’s your name?」
「Takahiro Ueda」
すると、こっちへ来て待っていろと椅子を勧められた。
しかも、「チャイ飲むか?」とわざわざお茶まで用意してくれたのである。しかも笑顔で。
何だこのフレンドリーさは!こともあろうに国境警備の軍人さんがこんなに優しいなんて!私はありがたくチャイを頂戴した。現地のものは一切口にしない派の私であったが、この時はありがたく頂いた。グプタさんに各地で美味しいチャイを飲ませてもらっていたので、チャイに関しては私もオッケーなのである。何せ、加熱しているからね。そして軍人さんから頂いたチャイも実に美味しかった。
そしてチャイを飲みながらゆっくりしていると、軍人さんからもう少しでガイドが来るからと伝えられた。そうか、最初からそういう手はずで進んでいたのか。国境に日本人が来たらそこで待っててもらうよう現地ガイドさんが依頼していたようだ。
チャイも飲み終わろうかという頃、ガイドさんを乗せた車がやって来た。うむ、これで無事合流である。ここからパキスタンの旅が始まるのだ。
車に乗って早々、ガイドさんに「チャイを飲んでいましたよね?よくあそこで飲みましたね!」と驚かれた。「いえいえ、加熱してますから」と笑って答えた。ん?もしかしていつの間にか自分は少しインドに馴染んできているのではないか?
国境エリアからラホール博物館までは順調に行けば車で45分ほどの距離である。
ラホール市内を走っていて驚いた。車窓から見える景色が整然としていて、きれいなのである。車のクラクションもない。インドとの違いにかなり驚いた。
そして何より、川が綺麗だった。
幹線道路に沿って流れるその川は穏やかで、茶色でありながら澄んだ美しさが感じられた。これはごみや下水の色ではない。この地特有の土を含んだ川の色彩なのである。
川岸に並ぶ木々の緑も美しい。そして水面が近いというのも私の好みである。何かこの川はかつて見たオランダの風景を思わせるものがある。オランダは国土の大部分が低地であり、その川の流れは止まっているかのように穏やかであった。そうだ、あの時バスの車窓から見えた景色がふとここで思い出されたのである。
この写真を見ればインド的な雰囲気も感じられるかもしれないがやはり何かが違うのである。そしてラホール中心部を走るとこの街が実に近代的な「シティ」であることも感じさせられた。私がイメージしていた後進的で貧しいイメージというものとはかなり異なる世界がそこにはあった。
さて、ラホール博物館に到着だ。
博物館に入場してすぐ左手側の展示室にガンダーラ仏像は展示されている。
ここには貴重なガンダーラ仏像の数々が展示されている。
ガンダーラ特有の衣の表現や、明らかにインドとは異なる人物造形は重厚で静謐な雰囲気を漂わせている。
世界の歴史において仏像が初めて作られたのは紀元1世紀から2世紀頃とされている。仏滅後400年も経ってようやく作られ始めるようになったのである。
仏像の始まりとしてよく言われるのがガンダーラではあるが、実はもう一か所候補地がある。それがタージマハルのあるアグラからも近いマトゥラーという地だ。
ちなみに、かなりざっくりではあるが赤い丸で囲ったエリアがガンダーラ。
そしてこちらが1世紀末頃から2世紀にかけて作られたマトゥラーの仏像だ。
マトゥラーがインド的で肉感的なものを感じさせるのに対し、ガンダーラはより写実的でシャープな印象を受ける。人種も互いに明らかに違う。
ただ、この両者、どちらが先だったのかというのは学術的にもまだ決着がついていない。ただ、どちらが先かはわからないが、「ブッダの姿を芸術化してはいけない」というタブーを打ち破ったという点で非常に画期的なことだったと言える。ここから先、ストゥーパよりも仏像製作が盛んになり、仏像への信仰も生まれてくることになる。
そしてこの博物館においては何と言ってもこの仏像だろう。これこそ私がパキスタンはラホールまでやって来た理由なのである。
極限まで筋肉や脂肪を削り、もはや骨と皮だけとしか言いようのない恐るべき姿のブッダである。肋骨も血管も浮き出ていて、その壮絶さを物語っている。
私もこの仏像を間近で見て強烈なショックを受けた。
そして何よりも、この目だ。
これまで私は仏教の教科書などで何度となくこの断食仏の写真を見てきた。しかしこの深く窪んだ眼窩の奥に優しく閉じられた目があったことに私は初めて気付いたのであった。
断食という想像を絶する苦行の中でこれほど優しい目をしておられることに私は強烈なショックを受けることになった。私はこの仏像の前から動けなくなりしばらくの間呆然としていた。
そしてその日の夜、私は写真チェックのためこの断食仏を改めて眺めていたのだがふと思った。
「本当にこれは優しい目だったのだろうか。苦行中に本当にそのような目をするのだろうか」と。
私は自分の印象がどんどん不安になってきた。そして居ても立っても居られず、すぐにガイドさんに連絡し、翌日の予定を変更してもう一度ラホール美術館に行き、この仏像をじっくり見てみることにした。
パキスタン、ラホール美術館の断食仏 pic.twitter.com/uhRICnFOo5
— 上田隆弘@函館錦識寺 (@kinsyokuzi) March 13, 2024
何度も何度も角度を変えて丹念にこの仏像と向き合う。
すると、私の中である考えが浮かんできた。
「これは優しい目というのではなく、『停止』を意味しているのではないだろうか」と。
苦行はある意味、私達の全神経を支配する苦痛に耐え、それを克服する行でもある。言い換えれば肉体と精神の分離だ。肉体活動を停止し、精神的な無の境地に没入する。これはまさにアーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタの「無の境地の瞑想」にかなり近いのではないだろうか。
そう考えるとあの優し気な目は優しさを示しているのではなく、感覚器官の停止、無の境地を表していたのではないだろうか。
だとすると、きりりと引き締まった口角や、柔和ながらもどこか緊張感を感じる腕の組み方にも納得がいく。
つまり、この仏像は優しさを示していたのではなく、やはり断食という想像を絶する苦行に立ち向かう瞑想的な姿が表現されていたのであった。
このような極限状態の苦行をブッダは6年間も続ける。そしてこの苦行の先にブッダはついに光を見出したのであった。
この博物館には他にも世界を代表するガンダーラ仏像の傑作達が展示されている。
そのクオリティはどれも折り紙付きである。信じられないほどの技術だ。さすがガンダーラである。
だが、やはり印象に残るのはあの断食仏像なのである。これはもう別格だ。
この目を私は忘れられない。
はるばるパキスタンまで来たかいがあったというものである。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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