ブッダ悟りの聖地ブッダガヤのマハーボディー寺院(大菩提寺)を訪ねて
【インド・スリランカ仏跡紀行】(88)
ブッダ悟りの聖地ブッダガヤのマハーボディー寺院(大菩提寺)を訪ねて
これまでの記事でブッダガヤ近郊を紹介してきたが、いよいよここからブッダ悟りの聖地ブッダガヤについてお話ししていきたい。
ブッダガヤのマハーボディー寺院(大菩提寺)周辺は慢性の渋滞が起きているとのことで、宿からは小回りの利くリキシャで向かった。
こちらが大菩提寺の入り口。
ゲートから境内に入ると右手側に大菩提寺の大塔がすぐに視界に入って来た。
こちらがブッダガヤのシンボルの大塔である。この大塔は5~6世紀頃の創建とされていて、あの玄奘三蔵法師もこの大塔にお参りしている。
ただ、この大塔も他の仏跡と同じく近年大規模な修復がなされ、今のような姿になっている。
大塔の近くまでやって来た。かなりの混雑である。2月は乾季ということで巡礼者が最も多い季節でもある。
大塔の入り口の奥に光り輝く御本尊が見えた。この仏像は9~10世紀頃に制作されたものとされている。
大塔内部に入るにも大行列。各国からの巡礼団がお参りしていく。
内部は想像よりもかなり狭い空間だった。それもそのはず、ここは大勢でお参りをするためのお堂ではない。あくまで塔なのである。だがこの狭い空間の中でそれぞれの巡礼団がお経を唱えていくのだ。これは大行列になっても仕方がない。
塔内から出て大塔の周りを歩いてみると、塔に向かって座り瞑想している人も多かった。
こちらがブッダが悟りを開いた菩提樹。もちろん、当時の木そのままではなく、何代目かの木である。そしてこのブッダガヤの菩提樹の分木がスリランカにもたらされ、アヌラーダプラで今もその子孫が生きている。(「(28)スリランカの古都アヌラーダプラ~ブッダガヤ伝来の菩提樹が立つ上座部仏教の聖地を訪ねて」の記事参照)
現在はこの木の周りが柵に囲まれている。この柵によってかなり見えにくくなってしまっているが、この木の下に金剛宝座が置かれている。1863年に発掘された金剛宝座は紀元前3世紀にアショーカ王によって作られたとされている。
そしてガイドさんの話によれば、オウム真理教の麻原彰晃が勝手にこの金剛宝座に座るという冒涜行為を行ったためこの木の周りに柵を作ることになったという。この時の大顰蹙はとてつもないものがあったそうだ。「なんてことをしてくれたのだ」と私も強い怒りを感じた。
境内にはアショーカ王柱も立っていた。
この日は満月近くということで月がとても美しかった。
さて、これで私の大菩提寺の体験が終わったのだが、ここで私は皆さんにお話ししなければならないことがある。
率直に言おう。
私はブッダガヤという地に対して全く感動できなかったのである。いや、それどころではない。私はこの地でネガティブな感情に支配されてしまったのだ・・・
なぜ私がこんな感情になったのか、そのことを説明するためにもまずはこの地の歴史をお話ししたい。次の記事ではブッダガヤに関する衝撃の事実をお伝えする。私達がイメージする仏教聖地ブッダガヤの実態に皆さんもショックを受けることだろう。
・・・これはもしかしたら知らない方が幸せなことなのかもしれない。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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