(64)インド仏跡巡りへ出発~ブッダの足跡を訪ねる旅。三島に呼ばれた私の最後の旅へ

インド仏跡 第三次インド遠征~ブッダゆかりの地を巡る旅

【第三次インド遠征】(64)
インド仏跡巡りへ出発~ブッダの足跡を訪ねる旅。三島に呼ばれた私の最後の旅へ

いよいよ始まった。私の最後の旅だ。

私はこれからおよそ1か月をかけてインドやネパールの仏跡を巡る旅に出る。

昨年8月に初めて訪れたインド・・・。その時は仏教ではなくヒンドゥー教の聖地であるハリドワールを訪れた。

ここで見た光景は忘れられない。聖なるガンジスで繰り広げられる聖俗の混沌。インド人の姿。

「神聖なガンジスの聖地で沐浴する人々」

こう言うのは簡単だ。

しかしそのガンジスの中でいかに多様な世界が繰り広げられていることか!

やはりここにはブッダが入り込む隙間はない。ここにいる人達に「沐浴は意味がない。慎み深く生き、善いことをして悪いことをするな、輪廻から解脱せよ」と言っても通じるはずがない。ここの人達は皆ガンジスの浄化を信じ、現世と来世の幸福を祈っている。そしてハリドワールが生み出すヒンドゥー教的な祝祭空間を心の底から楽しんでいる。インド人にはインド人のメンタリティーや文化があり、信仰があるのだ。

このようなインドの国民性、宗教性の中でブッダはそれらを否定した。やはりブッダはとんでもないアウトサイダーなのだ。彼の教えがインド中に広まったというのはどういうことなのかもっと突き詰めなければならない。

私はこのことに着目して8月の帰国から仏教の再復習を始めた。そしてスリランカの旅を通してもこのことに対して大きな視点を得ることになった。特に「(49)なぜスリランカで大乗仏教は滅びてしまったのか~密教の中心地でもあったスリランカ仏教界に何があったのか」の記事でお話ししたように、仏教における国家との関係性は見逃すことができないことを知った。

また、インドにおいても仏教教団の流れを知るためには当時の時代背景を知らなければならない。この観点から仏教の開祖ブッダの生涯を綴ったのが【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】である。

この連載記事はこの2月の仏跡紀行の帰国直後から執筆したものだ。この連載では仏教を知らない方にも読んで頂けるよう気を配った。インドにおいてなぜ仏教が広まったのかがこの連載を読めば伝わると思う。やはり時代背景は重要だ。「宗教は宗教だけにあらず」なのである。

そして、この私の最後の旅は単なる仏教の旅ではない。

この旅は三島由紀夫から始まったのである。

スリランカからの帰国便で私は言葉にできぬほどのショックを受けた。『彼は早稲田で死んだ』は私の何かを根本的に変えてしまった。

しかしこれが現実なのだ。私はもっとこの世を知らねばならぬ。

はじめは学生紛争とは何かということだけだった。

しかし、『彼は早稲田で死んだ』を読んだ私はもう後戻りできないところまで来てしまった。もはや私は掴まれてしまった。私は三島由紀夫を知らねばならないのである。

あの全共闘と討論した三島由紀夫とは何者だったのか。あれほどのカリスマを発する三島とは何者なのか。日本において三島由紀夫はどんな意味を持っていたのか。私はそれを尋ねずにはいられなかった。

スリランカから帰国してからの2か月、私は猛烈な勢いで本を読んだ。しかも三島だけでなくディズニーのことも学ぶことになった。いわば、仏教という本筋を外れたことに2か月の間没頭していたのだ。

だが、これは決して無駄なことではない。むしろ三島の文学によって私は言葉の力を知った。三島は自らの思うところを迷いなく表明する。その自信に私は惹かれずにはいられなかった。そしてその美しく力強い文体は確実に私の力となった。

三島は私の心を捉えた。

それはなぜか。三島は「生と死」について語るからである。

しかも三島は量的な「生」を否定し、徹底的にその質を問う。一瞬に生を凝縮し、その一瞬をもって生の価値とする。無為に長く生きたところで何になろうか。命を燃やせ。

若さは美だ。限りなく尊い。

老いは醜く、病は絶望だ。

三島は老いを極度に恐れた。三島は全てを自分の力で制御し、律し、打ち克とうとした。

そうした究極的にストイックな人間にとって、老いや病は絶望でしかなかっただろう。

こういうわけで三島は生と死の問題を私達に突き付ける。

そしてこの生と死の問題は三島をインドや輪廻転生、仏教の唯識思想へと結びつけた。三島と私はもはや同じ問題を共有している。そして私はこれからインドへ向かうのだ。三島と共に。

今回、『豊饒の海』4冊を私は旅のお供に持参している。もちろん旅に出る前にこの四部作は一読しているが、この作品はあまりに巨大であまりに見事なため再読が必要と私は判断した。

これほどの長編をこの短期間で再読しようと思うのは私としても珍しいことだ。しかもそれをインド滞在中にやろうというのである。そうだ。この本は私にとって『ドン・キホーテ』と同じ位置に来たのである。

これから私はインドの仏跡を巡る。だが、例によって私は数々の寄り道をすることになる。その最初の目的地からして仏教遺跡ではない。

私が一番最初に向かったのはタンジャーブルという南インドの都市だ。ここはスリランカの目と鼻の先にある街で、ここにかつてスリランカに侵攻したチョーラ朝の王都があったのである。そう。私のスリランカの旅は実はまだ終わっていなかったのだ。その積み残しを片付けてからインド仏跡巡りを始めようという狙いである。

では、次の記事より私の最後の旅、インド仏跡紀行を始めていこう。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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