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ムンバイ沖エレファンタ石窟の巨大シヴァ神像に感動!ヒンドゥー教彫刻の白眉!

エレファンタ石窟
目次

【インド・スリランカ紀行】(18)
ムンバイ沖エレファンタ石窟の巨大シヴァ神像に感動!ヒンドゥー教彫刻の白眉!

サーンチーの大ストゥーパを堪能した私が次に向かったのはインド西海岸の国際都市ムンバイ。

ボーパールから飛行機でやって来た私はこの南インドの湿度に驚いた。着いた瞬間わかるほどの湿気の違い。サーンチー付近は渇いた大地が広がっていたので余計この変化に敏感になっていたのである。

道に生えている植物もまさに南国。

北インドとはまるで違う熱帯気候であることがよくわかる。ムンバイはデリーのような酷暑も寒気もない。あるとすれば乾季雨季の存在くらいである。

何もしていなくてもじんわり汗をかく。そしてその汗がいつまで経っても引くことなくまとわりついているような感覚。東京の暑さに似ている。あぁ、東京もすでに熱帯地方ということか・・・

ムンバイの象徴、インド門

今回私がムンバイに来たのは有名な仏教遺跡のあるアジャンタとエローラに向かうためであった。ムンバイはそこへ向かうための拠点になる街なのである。

だが、ムンバイそれ自体にも興味深い遺跡がある。それが今回お話ししていくエレファンタ石窟というヒンドゥー教遺跡なのだ。

エレファンタ石窟のシヴァ神の三面像 Wikipediaより

上の地図にあるように、エレファンタ石窟はムンバイ湾に浮かぶエレファンタ島にあるヒンドゥー教遺跡だ。ここのシヴァ神の三面像はインドを代表する傑作として名高い。アジャンタ、エローラに向かう前にぜひ私もこの像にお会いしたい。というわけで私はムンバイから船でエレファンタ島へ向かったのであった。

船はインド門のすぐそばから出ている

インド人だけでなく外国人観光客も多い。私が乗った船はほぼ満席だった。

正面に見える宮殿のような建物は最高級ホテルのタージマハルホテルだ。2008年、多数の死者が出たテロ事件の被害に遭ったことでも記憶に新しい。

ムンバイを出港して1時間ほどでエレファンタ島に到着。

船を降りてすぐの場所にはトロッコ列車が待機していた。船着場からエレファンタ石窟へは歩くとかなりの距離がある。炎天下の中それを歩いていくのはかなり厳しい。観光客の多くはこの列車に乗って島中心部へと向かった。

数分間の乗車だったが、海の風を感じながらのんびり揺られるのは実に風情があった。先頭車両は見ての通りどこかの遊園地にでもありそうなメルヘンスタイル。もしかすると、本当にどこかの遊園地から持ってきたのではないだろうか。インドなら十分ありえそうなことである。

参道にはお土産屋や食べ物の屋台などが軒を連ねている。ここからは歩きだ。

エレファンタ石窟は山の上にある。ここからひたすら階段や坂道を上ることになる。ブルーシートが頭上に掛けられているのは強烈な直射日光を避けるためだ。

だが、この覆いのせいで今度は蒸し風呂のように熱気がこもることになってしまいどちらにせよかなり暑い。すでに汗だくである。

もう少しで到着だ。青の世界にも慣れてきた。

ようやくエレファンタ石窟に到着。かなりの達成感。

さっきまでいた船着場がものすごく遠くに感じられる。かなり高いところまで上ってきたのがわかる。

こちらがエレファンタ石窟の入り口だ。

まさに岩山を彫ってできた洞窟といった雰囲気。

そして中に入った瞬間驚いた!空気がひんやりしているのである!中村元先生が『仏教美術に生きる理想』の中でこうした石窟寺院の内部を「昔のインド風のエア・コンディショニング」と表現したのもよくわかる。高温多湿の屋外とはまるで違う。実に快適。これは古代インド人の知恵だ。南インドの岩山は彫り進めるのに適した岩質なのだそうで、高温多湿の気候を避けるためにこのような石窟寺院が多く作られたのだという。

デリーなど北インドとは異なる巨大石窟寺院が南インドに数多くあるのはこうした地質的、気候的な違いが大きく影響しているのである。

入ってすぐ石窟内の涼しさに驚いた私であったが、視覚的な衝撃も大きかったのはぜひ付け加えておきたい。

空間の広がり、どっしりとした柱、そしてこれらの巨大な石像にも圧倒された。力強さの中に静謐さも感じさせる。この圧倒的存在感は東大寺法華堂の仏像達を連想させる。

これらの像に守られたこの石室には「(15)インドのシヴァ・リンガ信仰~男根信仰が今なお篤く信仰されるヒンドゥー教の性愛観について」の記事でもお話ししたシヴァ・リンガが祀られていた。

他にも石窟内には様々なバリエーションのシヴァ神の彫刻が施されていて、そのどれもが高度な技術によるものであるのは一目瞭然だ。この石窟は7世紀から8世紀頃にかけて造営がなされたとされ、この技術はエローラ石窟や後のカジュラーホー彫刻にも影響を与えたとも言われている。

そしてこの記事の冒頭にも少しお話ししたが、この石窟におけるハイライトは何と言ってもシヴァの三面神像だ。

正直、これほどのものとは私も想像していなかった!サーンチーの時もそうだったが、参考書やガイドブックに載っている写真ではその大きさが伝わってこないのである。これがどれほど大きなものなのかなど、行く前には想像すらしていなかったのだ。

それがどうだろう。6メートルはあろうかというこの巨大なシヴァ神の像に私はすっかり圧倒されてしまったのである。ただ単に大きいだけではない。正面の穏やかで瞑想的な表情を見てほしい。私の全てを包み込み、見透かすかのような慈愛のこもった眼差し・・・あぁ、実に素晴らしい。ここにも精神的な空気を感じる。

どうしたことだろう!インド、素晴らしいではないか!8月のインドは一体何だったのだろう!今のところ、今回のインドは実に楽しい!まず、今回は田舎やエレファンタ島という喧噪を離れた地ばかりを巡っている。そのおかげでインド的なカオスから離れることができた。これはインドにアレルギーを持ってしまった私には実に大きい。二度目のインドということで慣れてきたとはいえやはりしんどいものがあるのである。

そして今回の旅で訪ねているのはインドの誇る優れた芸術作品ばかりだ。ハリドワールのような現代も続く熱狂的な信仰とはまた違ったインドの姿を私はここで目の当たりにしているのである。こうした精神的な空気を好む私にとって、これは楽しくないはずがない。

そしてこのシヴァの三面像について、私の個人的な体験もお話ししたい。

あくまで個人的な話なので話半分で聞いて頂きたいのだが、私はこの像に実際に救われたのである。

もっと具体的に言おう。この像は私の腹痛を治してしまったのである。

実は私はこのエレファンタ島に着いたあたりから腹痛に襲われていたのだ。カジュラーホー、サーンチーとここまで無事に来たがついにまたあれがやって来たかと真っ青になった私だったがどうしようもない。ここは陸の孤島。帰ろうにも帰れないのだ。(※あれについては「(8)ついにやって来たインドの洗礼。激しい嘔吐と下痢にダウン。旅はここまでか・・・」の記事参照)

急な階段を上りながら私は決断を迫られていた。トイレに行くしかない。だが、インドのトイレだけは絶対に嫌だ・・・。

案の定、エレファンタ石窟の入り口近くにトイレはあったのだがとてもじゃないが私には無理だった。

というわけで私は気合いで乗り越えることにしたのである。

だが、そう甘いことも言ってられない。もはやここまでかと思われたその時、私はこの三面像に出会ったのである。

この三面像の素晴らしさは上に述べた通りである。私はこの像に強い感銘を受け、この像に見入ってしまった。まさに夢中。しばらくこの像の前から動けなくなってしまったほどだった。

そして私はふと気付いた。不思議なことに、私の腹痛が収まったのである!これには私も驚いた!しかもこれからムンバイに帰った後も腹痛はどこへやら、お腹の調子もすっかり元通りになったのである。

これはただの偶然だろうか・・・。

偶然と言えば偶然かもしれない。だが、必然と言えば必然とも言えないだろうか。

私がこの奇跡をシヴァ神のおかげだと信じれば、それはもうシヴァ神のお力なのではないだろうか。仮に今から1000年前に私がここを訪れ、腹痛が治った奇跡(偶然)を村の人に語ったとしよう。そうしたらどうなるだろうか。村の人はこぞってこのシヴァ神にご利益を求めてお祈りを始めることだろう。そしてその中からまた何人かが何らかの奇跡(偶然)に出会うかもしれない。この繰り返しがやがてここを信仰の聖地へと押し上げていくのではないだろうか。

こうした信仰のあり方について森本達雄著『ヒンドゥー教―インドの聖と俗』では次のように説かれている。少し長くなるがこれがすこぶる面白いのでぜひ紹介したい。

ホーリー祭の様子(インド・バンガロール)Wikipediaより

ヒンドゥー教とはこんな宗教

私も初めてのホーリー祭に興奮して、少年時代の雪合戦のようにはしゃぎまわったせいか、さすがに心地よい疲れを感じ、友人の宗教学の教授と木陰に坐りこんだ。そのとき、ふと芭蕉の名句「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな」を思い出し、日本の俳諧に興味をもっていた友人にその句を紹介し、共感しあったことを覚えている。

それから二人は、しばらく春のけだるい沈黙のなかで、それぞれの想いにふけっていたが、そのとき私の脳裏に去来したのはこの半年あまり、私の思いを讃嘆・嫌悪・狼狽・憧憬とさまざまに翻弄しながら、なかなかその実体を現わさぬヒンドゥー教という得体の知れぬ宗教のことであった。

私はホーリー祭の開放感から、思いきって自分の疑問を宗教学者にぶつけてみた―「ヒンドゥー教というのは、ひとことで言うと、どんな宗教でしょうか?」と。

敬虔なヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ宗)信徒である教授は、外国人の唐突な質問に一瞬驚いたようであったが、やがて私の質問の意味が了解できたらしく、「ヒンドゥー教というのは、譬えて言えば、このような宗教だと言えるかもしれません」と、語りはじめた。

ある日、村の少年が学校帰りに道端で瀕死の小鳥を見つけた。少年は、二度、三度羽をひくひくふるわせ、やがて身動きしなくなった小鳥の死を見とどけると、なにを思ったか、傍らの木片で小鳥の周りにぐるりと輪を描いて走っていった。

つぎにそこを通りかかったのは、畠仕事を終えて帰る農夫であった。彼はしばらく、輪のなかの小鳥の死骸を不思議そうに見ていたが、肩から鍬をおろすと、穴を掘って小鳥を埋葬し、その上に小石を積んで帰っていった。

夕方いつものように、瓶を頭に乗せた女たちが、にぎやかに談笑しながら村の共同井戸へ水汲みにやってきた。女たちは小さな石塚の前座で来ると、急に黙って立ち止まった。女たちは互いにひそひそ話し合っていたが、それぞれ道路わきの藪から野花を摘んで塚に手むけ、サリーの縁で顔をおおうと、ひとしきりお祈りをして立ち去った。

こうして、いつしか小鳥の塚は村人たちの新しい信仰の場となった。だれ言うとなく、そこにはヴィシュヌ神(シヴァ神と並ぶヒンドゥー教三大主神の一つ)の従者の霊鳥ガルダ(金翅鳥こんじちょう)だということになった。

信心深い村長が長老たちを集めて、新しい祠を建てる相談がまとまった。数か月後、どこからともなく、額にヴィシュヌ宗の印をつけたサードゥ(行者)がやってきて、祠の傍らに小屋を建てて住みつき、毎日朝夕の祭祀をおこなった。村人たちは貧しい暮らしのなかから、行者のもとに食べ物や衣類を届けた。

翌年の春の田植の前に、村をあげて祠の前で豊作を祈願したところ、その年は旱魃にも洪水にも見舞われず、例年にない豊作であった。この噂がロづてにひろがると、近隣の村々から善男善女たちが徒歩や牛車で参詣に押しかけるようになった。こうして、名もなき寒村に立派な寺院が建ち、その地方の人びとのヴィシュヌ信仰の拠点のひとつとなったそうである。

この譬え話がはたしてインドのどこかで現実にあった話かどうか、私は聞きもらしたが、それを問う必要はなかった。ここまで話すと、教授の顔から微笑が消えて、急に言葉があらたまった―

「ヒンドゥー教は、キリスト教やイスラーム教のように宗教を貫く教義・信条が信仰を導くのではなく、教義や信条らしいものはそれぞれの宗派にあるにはあっても、なによりも信仰がすべてに優先します。言いかえると、信仰が教義や信条をいかようにも自在に解釈していきます。

ですから問題は尊師グルです。村にやって来た行者サードウがたまたま、この国にごまん、、、といる金儲け主義のインチキ聖者だったら、村人たちは怪しげな予言にふりまわされ、しこたま金品をしぼりとられ、あげくのはてに女房までさしだすはめになるかもしれません。

いっぽう、彼がほんものの求道ぐどう者・解脱げだつ者であれば、村人たちは深遠な真理に導かれ、日々、信仰と人生のよろこびを味わい、家族と仕事を愛し、人を信じて生きる―それこそ地上に天国を実現することができましょう」。

たしかにヒンドゥー教には、偶像崇拝もあれば偶像否定もある、功利思想もあれば無所有の思想もある、また人間虐待や動物犠牲もあれば、非暴力や自己犠牲もある、さらには奔放な性愛礼讃もあれば、息づまるような禁欲主義もある。この意味では、ヒンドゥー教は宗教の「百科全書」、言いかえると、なんでもあり、、、、、、の宗教である。

そして、そのいずれもが、経典や教義を「いかようにも」解釈することによって正当化されてしまうのである。したがって、ヒンドゥー教は聖と俗、創造と因襲が隣り合わせた宗教であり、そのいずれに向かうかは導師しだいだという教授の指摘は、なるほどと納得がいく。

ヒンドゥー教はまた、ヒマラヤ山中の清らかな氷河ガンゴートリーに源を発し、ヒンドゥスターンの平原に生きる人びとのいっさいの生のいとなみを呑みこみながら蛇行する黄濁の川ガンジスが、そのまま「聖なる川」として、ヒンドゥーの崇拝を集めているのに譬えることができるかもしれない。

※スマホ等でも読みやすいように一部改行した

中央公論新社、森本達雄『ヒンドゥー教―インドの聖と俗』P58-62

私たちからすると複雑怪奇な魔境にも見えてしまうインドだが、そのバックグラウンドにはこのような宗教的事情があったのだ。まさに私はここエレファンタ石窟でそのことをふと思い返したのである。

エレファンタ石窟は想像していたよりもはるかに素晴らしい場所であった。まさに嬉しい誤算。ムンバイに行かれる方はぜひここのシヴァ神像をおすすめしたい。もしかしたらあなたの身にも何らかの奇跡が起こるかも?

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【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら↓

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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