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⑵ブッダ生後7日後に急死する母マーヤーとシャカ族の国の都カピラヴァストゥでのブッダの幼少期

カピラヴァストゥ
目次

【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑵
 ブッダ生後7日後に急死する母マーヤーとシャカ族の国の都カピラヴァストゥでのブッダの幼少期

ルンビニー
ルンビニー

ルンビニーで生まれたブッダは間もなく王都カピラヴァストゥに戻ることになりました。

しかしここで誰もが予想もしなかった悲劇に見舞われることになります。王妃マーヤーがブッダを出産した七日後に急死してしまったのです。かつて医療が発達していなかった時代では出産はまさしく命がけ・・・。ブッダを生んだマーヤーも彼の成長を見ることなく亡くなってしまったのでした。

この母親の死が後のブッダに与えた影響は計り知れないものがあるはずです。そのことについてもこの後改めて考えていきたいと思います。

さて、妃を失ったスッドーダナ王でありましたが、マーヤーの妹のマハーパジャーパティを後妻に迎えます。多くの仏教書では彼女がブッダの養母となったと書かれていますが、後妻と養母では受ける印象はかなり違いますよね。ですがこのマハーパジャーパティが献身的にブッダを育てたことは後の関係性から見ても間違いないことでしょう。そして彼女とスッドーダナとの間に生まれた子、ナンダは後にブッダの弟子となって出家することになります。ちなみにこのマハーパジャーパティも最初の女性出家者として歴史に名を残すことになります。

カピラヴァストゥ跡

ブッダ一族がその都城として生活していたカピラヴァストゥはルンビニーから車で西に一時間弱の距離にあります。距離にしておよそ30キロ。当時でも馬を使えば一日もかからない距離だったことでしょう。

ブッダは幼い頃から頭脳明晰でバラモン教の教義であるヴェーダやその他学問でも優秀さを示し武芸にも長けていましたが、内省的で物思いに耽るタイプの少年だったようです。同世代の子供たちがキャッキャと遊んでいるのにも全く興味を示さず、樹の下で瞑想をする方を好んでいたというエピソードもあるほどです。

そんなブッダを見た父スッドーダナは恐ろしくてたまりませんでした。あのバラモンの予言が当たるかもしれない・・・!この子はやがて本当に王位を捨てて出家してしまうのでは?ああ!どうしたものか!

そうだ!この世のあらゆる悪や苦悩を遠ざけ、何ひとつ不自由のない生活を与えよう!そうすれば王位を捨てることなど考えることはあるまい!この世の素晴らしさを知ればよもやそれを手放そうなどとは思わないだろう!

スッドーダナはブッダのために季節ごとに住む素晴らしい宮殿を作り、そこに彼を住まわせました。さらに美しい音楽と美女たちの踊りで彼を楽しませ、美食も与えました。彼が何ひとつ不自由ない生活をできるようスッドーダナは取り計らったのです。(スッドーダナ王をここまで慌てさせたバラモンの予言については前回の記事を参照)

もちろんブッダも人間です。仏伝『ブッダチャリタ』によれば最初はその天国のような日々を満喫していたようなのですがやがて彼はそんな日々に苦悩を感じるようになっていきます。

次の記事ではそんなブッダが出家を志すきっかけとなった「四門出遊」のエピソードやブッダが過ごしたカピラヴァストゥの都についての驚きの事実をお話ししていきます。

次の記事はこちら

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⑶ブッダはなぜ家を捨て出家したいと願ったのか~カピラヴァストゥでのブッダの青年期と四門出遊 前回の記事ではブッダの誕生についてお話ししましたが、今回の記事ではそんなブッダの青年期についてお話ししていきます。 ブッダが出家を志すきっかけとなった「四門出遊」についてや、彼が暮らしたカピラヴァストゥの王宮についてもこの記事ではお話ししていきます。

※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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【現地写真から見るブッダの生涯】目次ページはこちら

【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら↓

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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