森三樹三郎『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』あらすじと感想~仏教信仰に篤かった中国王の善政と悲劇を知るのにおすすめ!曇鸞とのつながりも
森三樹三郎『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』概要と感想~仏教信仰に篤かった中国王の善政とその悲劇を知るのにおすすめ!曇鸞とのつながりも
今回ご紹介するのは2021年に法藏館より発行された森三樹三郎著『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』です。
早速この本について見ていきましょう。
皇帝菩薩と呼ばれ篤い仏教信仰を持った武帝は、侯景の侵入に遭い、儚くも幽閉の身のまま餓死した。果たしてそれは仏教溺信が招いた悲劇だったのか。六朝時代における士大夫の精神を縦横に描出した傑作。待望の文庫化。
Amazon商品紹介ページより
この本は6世紀前半から中頃にかけて中国の梁という国の王の伝記です。この本について巻末の解説では次のように述べられています。
本書は、中国の南北朝時代の政治史・文化史・宗教史をこれから学ぼうとする入門者だけでなく、一通り学んだ後に、思想史や文化史の大きな枠組みの中から梁の武帝の特徴を知ろうと試みたい人にも勧めたい名著である。(中略)
本書は書名からは専ら梁の武帝に特化した内容であるような印象を受けるが、実はそうではない。一読すれば分かるように、本書は中国中世の六朝時代(後漢と隋の間をつなぐ三国呉・東晋・宋・斉・梁・陳の六王朝)の政治と文化を見通しよく概説しながら、梁の武帝の特徴を解きほぐす。広い枠組みの縦糸と緻密な横糸を織り込んだ佳品である。縦糸は、後漢から梁陳に至る政治的動向と「玄儒文史」つまり儒学・玄学(老荘)・文学・史学の四科から成る学術に注目した通史的な論述である。一方、横糸は武帝を中心とする個人やその著作、言動に関する、文献に即した綿密な分析である。その結果、本書は、武帝を時代的な大きな流れの中に置きつつ、武帝の個性を描写するのに成功している。
法藏館、森三樹三郎『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』P209-210
ここで述べられるように、本書では単に梁武帝ひとりについて見ていくのではなくもっと大きな視点で当時の中国を見ていく作品です。梁武帝は仏教を篤く信仰した驚くべき大人物でありますが、この人物がどのような時代背景で生まれてきたのか、そしてどのような最期を迎えたのかは非常に興味深いです。
著者も本書と梁武帝について次のように述べています。
梁の武帝は、古今に稀な仏教の篤信者として有名な天子であり、その仏教への傾倒ぶりは、ついに亡国の運命を招いたとまでいわれた人である。その故に、仏教者の側からは皇帝菩薩として崇められながらも、他方では仏教に好感を持たぬ人々から、手きびしい非難の声を浴びなければならなかった。この事実だけを取り上げてみても、梁の武帝は歴史的な興味をそそるに十分な人物であるかも知れない。しかし、ここに梁の武帝を問題にしようとするのは、必ずしもそのような挿話的な事件に対する興味からだけではなく、もう少し広い歴史的な視野からである。(中略)
この論のいま一つの意図は、そうした時代の問題、歴史の問題を越えて、一般に仏教が現実の世界に対して、どのような関係に置かれているかを見極めたい、という希望に結びついている。周知のように、梁の武帝は仏教国家の建設を念願としたと言ってよいほど、仏教に傾倒した。しかも不幸にして、梁朝は侯景という一蛮将の侵入によって、あえなくも滅亡の運命に陥り、武帝自らも一室に幽閉されたまま、ついに餓死したといわれる。この亡国の悲運は、果して排仏論者の言うように、仏教への溺信が招いた結果なのであろうか。もしその通りであるとすれば、仏教は亡国の宗教であるという批評を甘受しなければならないことになる。或はまた、それは仏教だけに限らず、一般に宗教というものが、現実の国家を指導する原理としては不適当であることを示すものであろうか。もしそうだとすれば、神のものは神に帰し、カイゼルのものはカイゼルに帰せということは、ひとり宗教者の立場からだけでなく、政治家の側からも主張されなければならぬ事実となるであろう。宗教と政治、永遠と現実とは、ついに交わらざる平行線なのであろうか。かような大きな問題が、このような小論によって解決することは望まれないにしても、少くとも問題の所在を提示することができれば、一応の使命は果されたといえよう。
法藏館、森三樹三郎『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』P7-9
ここで語られるように、本書では梁武帝の政治と宗教の問題を詳しく見ていくことになります。武帝は当時としては考えられないほどの善政を行っていました。武帝の仏教的な平和文化路線は明らかに人々の生活を豊かにしました。しかしその善政そのものに国の崩壊の原因があったというのは何たる悲しい皮肉ではないでしょうか。
本書ではそんな武帝の善政と国家の崩壊を詳しく見ていくことになります。上の引用にありましたように、国が滅亡していく様はものすごく悲しくなります。武帝自身も脇の甘さと言いますか、失策がもちろんないわけではないのですがそれでもやはり「歴史のもし」を想像したくなります。
また、今作の主人公梁の武帝は浄土真宗にとっても実は非常に深いつながりのある存在です。
浄土真宗で大切にされている親鸞の『正信偈』の中には、「本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼」という一節が出てきます。この一節は「梁の天子が常に曇鸞を菩薩として礼していた」という意味合いの箇所ですが、この「梁天子」こそまさに梁の武帝であります。浄土真宗が重んじている七高僧の一人、曇鸞が中国において王からも敬意を受けていたことがここで謳われていたのでありました。
親鸞の「鸞」の文字はこの曇鸞から来ています。親鸞自身にとってもこの曇鸞は非常に大切な存在であり、その重要人物の一節でわざわざ梁武帝の名を出すというのはやはり見逃せません。親鸞にとっても「あの梁武帝が常に曇鸞を敬い尊敬していた」というのはぐっと来るものだったのでしょう。
親鸞や浄土真宗について考える上でもこの梁武帝のことを学ぶことは大きな意味を持つと私は思います。
本としてもものすごく面白い作品です。森三樹三郎さんの著作は以前「森三樹三郎『老荘と仏教』~中国における仏教受容と老荘の関係を知れる刺激的な一冊!」の記事でも紹介しましたが、もう間違いのない名著です。森三樹三郎さんの刺激的な解説は本書でも健在です。ぜひぜひおすすめしたい一冊です。
以上、「森三樹三郎『梁の武帝 仏教王朝の悲劇』~仏教信仰に篤かった中国王の善政とその悲劇を知るのにおすすめ!曇鸞とのつながりも」でした。
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