川村悠人『ことばと呪力 ヴェーダ神話を解く』あらすじと感想~意外と身近な「ことば」の力とは?私達の日常とも繋がる発見が満載!
川村悠人『ことばと呪力 ヴェーダ神話を解く』概要と感想~意外と身近な「ことば」の力とは?私達の日常とも繋がる発見が満載!
今回ご紹介するのは2022年年に晶文社より発行された川村悠人著『ことばと呪力 ヴェーダ神話を解く』です。
早速この本について見ていきましょう。
【ことばは、世界を創造するとともに、神をも滅ぼす】
Amazon商品紹介ページより
ことばの本来の力が発揮される「呪文」とは何か。
なぜ「真の名前」は秘されるのか。
古代インドのヴェーダ文献・神話を中心に、
ことばの持つ無限の力を探究する。
呪文・呪術の源泉に迫る、シリーズ神話叢書、第2弾!
呪文を唱えて火を操り、敵の部族や悪魔を倒す話。
呪術師たちを引き連れて呪文を唱えることで、神が洞窟の壁を打ち砕く話。
名前をくれ、名前をくれと懇願してくる神の話。
ことばを間違えて取り返しのつかない失敗をした魔神の話。
世界を理解するための知識が集積された「ヴェーダ文献」。
神々への賛歌を集めた『リグ・ヴェーダ』とヴェーダ祭儀書文献に
おける「ことばと呪力」にまつわる物語を読み解く。
この本は古代インドの神話を題材に「ことば」の持つ力について考えていく作品になります。古代インドの『ヴェーダ』と言われると何やら難しそうな気がして一歩引いてしまうかもしれませんがご安心ください。インドについて何も知らない方でも気軽に楽しく読めるよう著者は心を砕いておられます。このことについては「はじめに」では次のように述べられています。
本書は、古代インドのヴェーダ神話の中から、ことばのカや名前のカがある一定の役割を果たしている神話を選んで紹介し、同時に私なりの考察を行っていこうとするものです。その過程で、日本においてあまり馴染みのないヴェーダ神話というものを取り巻くさまざまな要素についても丁寧に解説していきます。
本書が想定している読者は、専門家であるかどうか、研究者であるかどうかを問いません。「専門知を一般へ」という標語のもと、できるだけわかりやすいことばで書いています。ぜひ気軽に手にとって読んでみてください。見たことも聞いたこともない世界への扉が開くかもしれません。また、その開いた扉の先の世界が、実は現代の私たちの世界と重なり合うものであることにも気づかれるかもしれません。
本書の構成について簡単に述べておきます。
序章では、まず、ことばの力を発揮する呪文というものについて、古代インドとは異なる地域の文化からも例を引きながら、その概要を見ていきたいと思います。次に、本書の対象となる古代インドのヴェーダ文献とヴェーダ神話というものについて概説した後、ことばとことばのカというものが古代インドのヴェーダ文化の中でどのようなものとして理解されていたのかを略述します。
その後、本書の第1章、第2章、第3章ではことばのカに関わる実際のヴェーダ神話の紹介と考察を行って、ことばの力の現れ方をおさえていきます。
まず第1章では、人が発声したことばの内容通りに事が実現することを描く神話群を見ます。続いて第2章では、ことばが何らかの対象を物理的に打ちのめす、または破壊することを描く神話群を扱います。そして第3章では、ことばの中でも人物の「名前」に焦点をあて、名前というものをめぐるさまざまな観念を素描した後、そのような名前の力が鍵となっている神話群を取りあげたいと思います。そして終章では、本書でなした紹介や考察をもとにし、現代社会におけることばというものについて私なりに総括してみます。
もちろん、本書で扱う神話がことばや名の力に関わるヴェーダ神話のすべてではありません。今後もし機会があれば、ここでは扱わなかった神話群もぜひ取りあげてみたいと思います。また、私はインド古典学と言われる分野に属する研究者なのですが、本分野のことを少しでも知っていただけたらという想いのもと、主に日本語による本分野の研究成果を、話に関係する範囲内で気の向くままに書き留めています。これが読者の皆さんにとってさらなる読書案内となることを期待します。
晶文社、川村悠人『ことばと呪力 ヴェーダ神話を解く』P9-10
『「専門知を一般へ」という標語のもと、できるだけわかりやすいことばで書いています。』という言葉通り、この本はとても読みやすいです。すでに上の文章でも感じられたと思いますが、著者の語りはとても丁寧ですっと入ってきます。
そしてこの本で面白いなと思ったのが時折出てくる漫画のお話です。特に週刊少年ジャンプの『BLEACH』と絡めて古代インドが語られるのはものすごく面白かったです。私もこの漫画が好きで、「おぉ!あれはそういうことだったのか!」とわくわくしながら読みました。他にも私たちに身近な例をいくつも示して下さるので、遠い世界だと思っていた古代インドがとても親しみ深く感じられてきます。
私たちが普段何気なく使っている「ことば」。
実は私たちは意識せずにその言葉の力と共に生きている。
言葉は単なる情報伝達の道具としてだけではなく、実際に効力のあるものとしてそれは現にある。
こうしたことを知れるのは非常に興味深いです。
宴会などの締めでも使われる「お開きにする」という言葉などはその大きな例です。終わりにするという意味ではなく真逆の意味の「お開きにする」という言葉をあえて使う意味は何なのか。これもとても面白かったです。
最期に、この本の終章で著者が述べていた言葉を紹介したいと思います。少し長くなりますがとても大切な提言ですのでじっくり読んでいきます。
ほんのかすり傷が人の命を奪うことはまずありませんが、何の悪気もなくかけられた些細なことばが、人の命を奪ってしまうことはあります。ほんのかすり傷は少し時間が経てば完治しますが、何の悪気もなくかけられた些細なことばが、人を実に長きにわたって苦しめることがあります。何気なくかけられた些細なことばにこれだけの力があるのですから、それが強い悪意のもと、相手を傷つけるために発せられたものならば、人に極めて大きな傷を負わせるのは必定です。さらに、そのことばがこのような強い意思のもと、外的なあるいは内的な枠組みによって高められた上で発せられたならば、強大な力を発揮して、人知を越えた現象をも引き起こしてしまうのかもしれません。
一度発せられたことばは取り消すことができません。芸能人や政治家の失言は、後で必死になって撤回しても、本人の地位を失墜へと追い込むことが多々あります。ヴェーダ神話においても、誤ったことばを発した魔神たちは滅んでしまいました。そのような失言は、儀礼の場でなされればなされるほど重いものとなります。ことばが外的に高められた状態にあるからです。SNS上で書かれた失言の場合、たいていその失言を示す文字列を視覚的に削除して謝罪すれば何となく許される風潮があるように感じます。視覚的にことばが取り消された印象を残せるからでしょうか。しかし、発せれた失言の場合には、そうはいきません。古典サンスクリット文学でよく描かれるものに仙人の呪詛というものがありますが、仙人が呪詛を発した後になって、その呪詛の効果が続く期間を付け加えることはあっても、その呪詛自体を取り消すことは基本的にありません。一度発したことばは決しく取り消すことができないのです。
村崎羯諦さんの短編小説集『余命3000文字』(小学館、ニ〇ニ〇年)の中に、書名になっている「余命3000文字」という名前の物語が収録されています。余命はあと三〇〇〇文字であると医者から宣告を受けた主人公の物語です。これがどのような話なのかここには書きませんが、もし、この先の人生で書いたり話したりできることばの数が限られていたら、私たちはどうするでしょうか。平凡な言い方になりますが、一つひとつのことばを大事に使おうとするのではないでしょうか。
何が大事かは人によって違います。親、配偶者、子どもなどに気持ちを伝えようとする人もいるでしょう。神や仏にことばを捧げる人もいるでしょう。三島由紀夫のように、大勢の人に自分の心情を訴えかける演説をする人もいるかもしれません。しかし、特定の人を傷つけるような目的で、その場の一時的な感情にまかせて、限られた量のことばをわざわざ浪費しようとする人は多くないのではないでしょうか。ことばを大切に使おうと少し意識するだけで、社会はより良い方向へと動いていくかもしれません。
ことばの否定的な側面ばかり述べてきましたが、ことばにはこれほどの力が備わっているのですから、使い方次第では人に良い結果をもたらすこともできるはずです。鬱々とした生活を送っていた人や地獄のどん底にいた人が、たった一言、何かしらのことばをかけられただけで救われることはありえるでしょう。何らかのことばが、それまでとはまったく違う新たな生を導いてくれることになった事例は少なくないと思います。
良い結果をもたらすにせよ悪い結果をもたらすにせよ、ことばとは、これだけの重みを持ったものなのです。今、無責任で軽率なことばが世の中に溢れてしまっているような気がします。匿名でことばを簡単に書いたり消したりできるネット社会がもたらす必然の成り行きなのかもしれません。僭越ながら申し上げると、私たちはことばを使うことの重みをもう一度思い出すべきときに来ているのではないでしょうか。ことばがどれほど凄まじい力を持っているかを教えてくれる一連のヴェーダ神話は、私たちが忘れかけていることを気づかせてくれるものであるように思えます。
晶文社、川村悠人『ことばと呪力 ヴェーダ神話を解く』P266-268
「ことばを大切に使おうと少し意識するだけで、社会はより良い方向へと動いていくかもしれません。」
「私たちはことばを使うことの重みをもう一度思い出すべきときに来ているのではないでしょうか。ことばがどれほど凄まじい力を持っているかを教えてくれる一連のヴェーダ神話は、私たちが忘れかけていることを気づかせてくれるものであるように思えます。」
私も著者の川村悠人さんに強く賛同します。
ことばはその人自身を表します。もちろん、「言葉、言葉、言葉」と言われるように、時には言葉そのものも信用できない時もあります。ですが普段何気なく使っていることばはやはりその人を表すものです。その人の内から現れ出るものがことばだと思います。
ことばというものを改めて考えてみるきっかけとしてこの本は非常に素晴らしいものがあると思います。そして普段接することのない古代インドの歴史や文化も楽しく学べるありがたい作品です。これはぜひおすすめしたい一冊です。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「川村悠人『ことばと呪力 ヴェーダ神話を解く』~意外と身近な「ことば」の力とは?私達の日常とも繋がる発見が満載!」でした。
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