(31)サンタ・マリア・デル・ポポロ教会のダニエルとハバククの像~ベルニーニの神秘性と古代ローマのインスピレーション
【ローマ旅行記】(31)サンタ・マリア・デル・ポポロ教会のダニエルとハバククの像~ベルニーニの神秘性と古代ローマのインスピレーション
前回の記事「(30)新たなパトロン教皇アレクサンデル七世の登場!ベルニーニ第二の黄金期を支えた建築教皇の存在!」では教皇アレクサンデル七世という新たなパトロンが現れたことをお話しした。
今回の記事では教皇即位後間もなくベルニーニが手掛けたサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のキジ礼拝堂についてお話ししていく。
ラファエロが設計したキジ礼拝堂のダニエルとハバクク像を手掛けるベルニーニ
「新しい教皇が誕生したその幸福な日に騎士が教皇に召された時、陽はまだ沈んでいなかった」とドメニコは記している。アレクサンデル七世は、ケルンに赴任する前にウルバヌス八世周辺の文人・芸術家らと親しく交っていたから、べルニーニとは旧知の間柄だった。ケルンから戻った彼は教皇庁でべルニーニに会うと、さっそくサンタ・マリア・デル・ポポロにある自家の礼拝堂の整備を依頼している。この仕事は彼が教皇に即位するとすぐに進められ、べルニーニはここに二つの傑作を制作するのだが、これはべルニーニが天職とした彫刻の仕事であった。(中略)
ところで、アレクサンデル七世が枢機卿時代に整備を依頼したサンタ・マリア・デル・ポポロのキジ礼拝堂というのは、前世紀にラファエㇽロが親交のあったアゴスティーノ・キジのために建物と装飾の設計をした、盛期ルネッサンス美術の傑作の一つに数えられる礼拝堂である。べルニーニは、このうち空いたままになっていた二つの壁龕に納める彫刻を制作し、また床などの装飾を整えて礼拝堂を完成させる仕事を、依頼されたのである。礼拝堂の四隅に設けられた壁龕のうち、奥の二つには、ラファエㇽロのデッサンに基づいてロレンツェットが制作したヨナとエリアの像がすでに納められていた。けれどもべルニーニは、このうちの一方を手前に移動して、ロレンツェットの二つの作品と彼のハバククとダニエルの像とが、それぞれ対角線上に向い合うように配置換えしている。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P127-129
なんと、このキジ礼拝堂はあのラファエロによって作られたものだった。その内装の完成をベルニーニは託されたのである。
こちらがベルニーニが手掛けた二つの彫刻。
では、引き続き解説を見ていこう。
彼がこのような作業をした理由は、彼の二つの像があらわす物語を知った上で礼拝堂を訪れればすぐに納得がゆく。獅子の穴に投げ込まれたダニエルのところへ、天使に導かれたハバククが食物をとどけるという、このあまり一般的ではない物語は、ダニエル外典の『べルと竜』の中に出てくる。(中略)
この物語からべルニーニは、まさに天使が微笑みながら、当惑するハバククの髪をつかんでバビロンに運ぼうとするところと、クーポラに描かれた父なる神に、ひざまずいて感謝と祈りの言葉を発するダニエルの像とを制作した。
そして前者を礼拝堂の右奥の壁龕に、後者を左手前の壁龕に安置したのである。したがって、礼拝堂でこの作品を観る我々の注意は、礼拝堂を斜めに横ぎり、さらにクーポラへと昇ってゆくことになる。つまり礼拝堂の空間全体が物語の舞台となり、そこに立つ我々は、その物語のただ中にいるように感じるのである。「おそらく我々より前の時代においても、また彼の時代においても、彼ほど大理石を自在に大胆に扱った者はなかった」とバルディヌッチは記している。
このことは、このキブ礼拝堂の二つの作品を見ても痛感することだ。そこには『アポロとダフネ』や『聖女テレサの法悦』のような華々しさはない。だが全体の造形には寸分の隙もなく、かつどの部分にも大理石とは思えないニュアンスの豊かさと美しさがある。この微妙な大理石の質感の変化を理解するためには、どうしても自然光で作品を見なければならない。彫刻作品一般に言えることだが、教会に備えつけられた照明はしばしば作品の効果を損なう。採光をも作品の一部とみなして現場の光を注意深く考慮し、かつ大理石彫刻のあらゆるニュアンスの表現に誰よりも精通していたべルニーニの彫刻の鑑賞には、とりわけ自然光が大切である。まして強いライトを当てて撮影された図版では、とうてい原作の豊かさは望めない。このキジ礼拝堂の二つ作品をつぶさに観察すると、こうしたことを痛感させられる。この礼拝堂はルネッサンスとバロックとが共存しているため、両者の比較には好都合であるが、光の効果に対する強い関心がバロック美術の特質の一つであることは、この礼拝堂の作品の比較からも明らかであろう。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P129-131
「彫刻作品一般に言えることだが、教会に備えつけられた照明はしばしば作品の効果を損なう。採光をも作品の一部とみなして現場の光を注意深く考慮し、かつ大理石彫刻のあらゆるニュアンスの表現に誰よりも精通していたべルニーニの彫刻の鑑賞には、とりわけ自然光が大切である。」
この指摘はベルニーニを知る上で非常に重要だ。私もローマでベルニーニ作品を観るときはこのことを強く意識するようにしていた。
神秘性の表現に磨きがかかるベルニーニ
このニつの作品は一六五五年、つまりアレクサンデル七世が教皇の座についてから制作が始められ、ダニエルは五七年六月までに完成し、ハバククは六一年の一一月になってようやく壁龕に納められたことが知られている。この年代から予想されるとおり、ニつの像にはべルニーニの晩年の彫刻作品の特徴である神秘性が明瞭に現われてきている。ハバククと天使では物語の性格上、神秘的雰囲気はそれほどでもないが、神に祈るダニエルはほとんど法悦の状態といってよい神秘的献身を感じさせる。つまり、ダニエルにまとわりつく衣が暗示する神秘的な力によって、ダニエルの肉体は重力から自由になって上昇するように感じられるのだ。そしてその無重力的な、脱力状態の肉体によって、ダニエルの法悦と天に向かう祈りとが表現されているのである。重力を感じさせない彫刻、言葉で言うのはたやすいが、それを実際に大理石で達成するのは至難の業であろう。それは、べルニーニ以前には探求されたことのない大理石彫刻の可能性だったのではなかろうか。しかもこの作品において、《聖女テレサの法悦》のように複雑な衣の表現によるのではなく、ただポーズと肉体と一片の布だけ、て、それが達成されているのは驚くべきことだと思う。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P131
たしかに左の『ダニエル』は衣服がほとんどない。ベルニーニ得意の衣襞表現をあえて用いていないのがわかる。だがそれでもなお神秘性を感じさせるところにベルニーニの驚異がある。
そしてこの『ダニエル』においてもうひとつ石鍋真澄は重要なポイントを述べる。
古代ローマ美術、特に『ラオコーン』にインスピレーションを受けたベルニーニ
そしてこれに加えて、この彫刻が古代の作品にインスピレーションを得て制作されたという事実を知る時、我々の驚きは倍化される。この作品に関しては一連のデッサンが残っているので、その制作過程をさかのぼることができる。
それらを見ると、べルニーニはこの彫刻を構想するに当って、まずラオコーン群像中の《父》のトルソのデッサンから出発したことが分かる。そして次第にそれを彼の考える表現に適合させていったのである。そうした制作過程を経て、しばしば「反古典的」、あるいは「ゴシック的」とまでいわれる、ダニエルの引き伸ばされた肉体表現が生まれたのである。
再三述べたように、古代との関係、すなわち古典主義の問題はイタリア美術史の根本問題の一つである。我々にとって、べルニーニはバロックの創造者であり、古典主義的潮流とは対極にある美術家だが、べルニーニ自身は古代とアンニバレ・カラッチの正統な後継者を自認していた。後年パリのアカデミーで美術家の教育について講演した時にも、彼は古代の作品から学ぶことの重要性を強調し、べㇽローリの古典主義的理論をほとんどそのまま繰り返している。とはいえ彼は、他のバロックの美術家たちと同じように美術理論そのものにはあまり関心を示さず、その制作も理論の実践という性格は希薄であった。彼の制作は理性を基にしながらも、本能的・感覚的に行われたのである。
こうしたべルニーニとプサンをはじめとする一七世紀の古典主義的傾向の美術家たちとの違いは、ウィットコウアーが論じたとおり、古代美術のモデルの用い方によく現われている。つまりプサンらは、禁欲的な道徳に価値をおき、古代の造形によって自らの想像力の過剰を抑制し、そうすることで形態を浄化して、より高貴な表現に達しようとしたといえる。これに対してベルニーニは、逆に出発点に古代の造形を用い、幻視的な想像力を奔放に働かせてそれを変形し、彼の宗教感情に適合するような形態表現に近づけていったのである。イタリアにおいて古代は「第二の自然」であった。自然に対する美術家の態度が多様であったのと同様に、古代に対してもさまざまな対応が可能だったのである。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P131-133
※一部改行した
ベルニーニといえば革新的な芸術家と思われがちだが、この本でもこれまで何度も指摘されていたように彼は古代美術から多くのことを学んでいる。
今回の『ダニエル』もまさに古代ローマの『ラオコーン』にインスピレーションを受け作品を制作している。身体のひねりや筋肉の作りなど、たしかに共通する点が多く見られる。
ベルニーニの独創的なオルガン装飾~オルガンと木が一体化
そしてここサンタ・マリア・デル・ポポロ教会にはもうひとつベルニーニゆかりの興味深い作品がある。それがこちらだ。
オルガンをそのまま木と一体化させてしまうというベルニーニらしいファンタジー世界が表現された作品と言えるだろう。以下石鍋真澄の解説を付す。
さて、このキジ礼拝堂の整備計画は、ファビオ・キジが教皇に即位したことでサンタ・マリア・デル・ポポロ全体の装飾計画に発展した。主としてストゥッコによるこれらの装飾は、いつものごとく弟子たちの手で行われたので、とりたてて論ずるまでもないが、ただ一つ右翼廊上部にあるオルガンの面白さが我々の注意を惹く。オルガンと樫の木が一体となったその装飾は、バロック的幻想と「転身」の好例だからである。このオルガンの装飾については、べルニーニのデッサンが残っているので、彼の脳裏に描かれたイメージがどのようなものだったかを知ることができる。すなわち、そこでは樫の木にオルガンがつつまれ、樫の木がオルガンになり、またオルガンが樫の木になっている。その樫の木は「系図の樹」のようであり、アダムとエヴァの「原罪の樹」のようでもある。だがそれと同時に、キジ家の紋章の樫の木が成長したものでもあるのだ。天上の音楽はそこから流れる、とべルニーニは言っているのである。こうした「着想」と形態の幻想はまったくもってべルニーニ的であり、バロック的である。しかし実際に制作されたオルガンの装飾は、べルニーニのデッサンのとおりではなく、幻想がだいぶん後退したものとなっている。だがそれでも、そのアール・ヌーヴォーを思わせる装飾は、観る者を充分楽しませてくれる。
吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P133-134
『ダニエル』と『ハバクク』があるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会へ
さて、私も『ダニエル』と『ハバクク』のあるサンタ・マリア・デル・ポポロ教会までやってきた。この教会はその名の通りポポロ広場に面した位置にある。(ポポロ広場については以前紹介した「(1)ローマの玄関ポポロ門とポポロ広場~一瞬で旅行者を引き込む目の一撃!劇場都市ローマの真骨頂とは!」の記事参照。)
では、堂内に入っていこう。
想像していたよりもシンプルな構造の堂内。この写真で堂内に人が写っていないのは開堂と同時に私が入場したからである。
実はこのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会はベルニーニよりもカラヴァッジョで有名な教会。ここには彼の『ダマスカスへの途中での回心』が納められており、この絵の前は人でごった返して大変なことになる。ゆっくり鑑賞どころではない。
さらに言えば、カラヴァッジョの傑作『聖マタイの召命』のあるサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会も同様で、ここもカラヴァッジョの絵の前はもう大混雑。私もカラヴァッジョが好きで今回の旅で楽しみにしていたのだがこの混雑、混乱ぶりには正直がっかりしてしまった。これでは絵を鑑賞するどころではない。もしこの絵をじっくり観るのならば人の少ないであろう時間に行くしかないだろう。残念ながら私はスケジュールの都合で時間を合わせることができなかった。カラヴァッジョ巡礼を予定されている方にはぜひこの混雑を避けて見学することをお勧めする。
こちらがキジ礼拝堂。写真右奥に『ハバクク』がある。
壁龕から突き出てくるような躍動感。最小限ながらも存在感のある衣の表現。ベルニーニらしいドラマチックな瞬間を捉えた作品だ。
こちらがダニエル像。上の解説にもあったように、『ハバクク』と『ダニエル』は向かい合うように設置されている。となれば正面に見えた『ハバクク』とは反対に、この像は必然的に我々には見えなくなってしまうのである。これは残念!私は『ハバクク』より『ダニエル』が見たかったのである。石鍋真澄が絶賛するその神秘的な肉体表現をぜひ間近で観たいと楽しみにしていたのだが、私が見れたのは横からの姿が精いっぱいだったのである。
お目当ての『ダニエル』は見ることができなかったがここはラファエロの設計した礼拝堂でもあり、この教会には他にも数々の美術作品が納められている。アクセスもしやすい教会なので、ここもぜひおすすめしたい教会だ。ベルニーニ詣でに限らず、ローマ観光の一つのスポットとしてぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。
続く
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「ローマ帝国の興亡とバチカン、ローマカトリック」
「イタリアルネサンスと知の革命」
※以下の写真は私のベルニーニメモです。参考にして頂ければ幸いです。
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