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(24)ベルニーニのライモンディ礼拝堂~見事な光のスペクタル!劇作家・演出家としてのベルニーニ

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【ローマ旅行記】(24)ベルニーニのライモンディ礼拝堂~見事な光のスペクタル!劇作家・演出家としてのベルニーニ

今回ご紹介するのはベルニーニが1630年代後半に手掛けたライモンディ礼拝堂。この礼拝堂はローマのトラステヴェレ地区にあるサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の一画にある。

サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会 Wikipediaより

今回の記事ではまずこの教会にあるライモンディ礼拝堂についてお話しする前に、ベルニーニと演劇のつながりについて見ていきたい。彫刻家、建築家ベルニーニと演劇に何のつながりがあるのかと不思議に思われるかもしれないが、実はこれこそベルニーニ芸術の根幹に関わる事柄なのである。ベルニーニを知るには彼と演劇についての関係も知らねばならない。では早速始めていこう。

劇作家・演出家としてのベルニーニ

種々の祝祭フェスタに彩られたバロックのローマは、まさしく祝祭フェスタ都市まちであったが、同時に劇場芸術テアトロ都市まちでもあった。とりわけ、一六三〇年代にバルべリーニ家のパラッツォで上演された、有名な『サン・タレッシオ』をはじめとする数々のオペラは、オペラの発展に重要な役割を果したといわれる。

ローマの美術界の頂点に立って活躍したべルニーニが演劇テアトロの世界に惹かれたのは、まさしくこの時期であった。ドメニコの伝えるところによれば、病み上がりでのみを手にできなかった時、べルニーニはコメディーを作ってみようと思いつき、それをフランチェスコ・バルべリーニに話したのがきっかけで、コメディーを自ら手がけるようになったのだという。

コメディーは当時、謝肉祭の時期だけに上演が許されていた。そのコメディーをベルニーニは自ら作り、一族の者ととみに上演したのであるが、こうした彼の活動に関しては、二人の伝記作者の記述とそれを裏づけるいくつかの資料の他に、べルニーニ自身がパリでシャントルーに語った話から、ある程度その内容を推察することかできる。それらを総合すると、少なくとも一六三三年からウルバヌス八世が世を去る一六四四年までの間、べルニーニはほとんど毎年のようにコメディーを上演していたと考えることかできる。

たとえば一六四四年にローマにいたジョン・イーグリンは、日記に「べルニーニは公開のオペラを上演し、そこで彼は背景を描き、彫像を刻み、装置を考案し、音楽を作曲し、コメディーを書き、そして劇場を建てた」と記している。

彫刻家や画家、建築家らを自分のアトリエに擁していたから、背景や装置を考案して舞台ごしらえをすることは、いとも簡単なことだったであろう。けれども、舞台には不慣れな一族な者たちを役者に仕立てるのが一苦労だった。そのため「彼自身がすべての役柄を演じて他の者に教え、それから各々がその役を演ずるのに、しばしば丸一カ月かかった」とバルディヌッチは伝えている。

またべルニーニ自身もシナリオを書いてそれを演出するだけでなく、自ら主役として舞台に出た。彼は生来、役者としての才能に恵まれていたのである。この点については、シャントルーが次のように証言している。「彼は言葉と表情と動作とでものごとを表現するまったく独自の才能をもっており、最も優れた画家が絵筆でもってなすのと同じように、快くものごとを表わすことができた。疑いなく自作のコメディーの上演で彼がかくも成功した理由はここにある」。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P86-87

建築家・彫刻家ベルニーニがまさか演劇の才能を持っていたとは驚きだ。演劇を生み出し、さらには自分で演じても抜群の才を示す。レオナルド・ダ・ヴィンチの万能の才とはまた違ったジャンルの万能人がこのベルニーニだったのだ。

そしてこの演劇的感性が彼の建築や彫刻に素晴らしい影響をもたらすのである。

演劇的才能がベルニーニの建築と彫刻をさらに飛躍させた!

こうしたべルニーニの演劇テアトロの分野での活動は、彼の芸術を考える上で非常に重要な背景となる。なぜなら、これまで述べてきたことからも分かるように、べルニーニには彫刻作品を一種の演劇とみなす発想が顕著だからだ。

まず、彼は作品を一つのドラマとして表現しようとした。このことは、第一章で触れた《アポロとダフネ》や《聖女ビビアーナ》を思い起こしていただければ納得がゆこう。

そして次に、作品を観る者をいわば劇の観客として、できる限りその劇の空間の中に誘い込み、現実とフィクションの境を取り払って劇を実感できるようにした。

そして第三には、作品の置かれる場所をその劇の舞台とみなして、全体の有機性と劇を高める光の効果を追求したのである。このように、作品の置かれる場所と作品、そして観者との関係は、舞台と劇、そして観客との関係になぞらえることができる。

べルニーニの場合、この比較は単なる便宜上のものではなく、彼の芸術の本質に迫る重大な意義を有しているといわなければならない。つまりべルニーニは、ミケランジェロと同じように大理石彫刻を天職と考えていたが、ミケランジェロがいわば完璧な彫刻を探求したのに対し、彫刻を諸美術の中心にすえ、それに種々の媒体を加えて一つの総合的作品をつくり上げようとしたのである。それは演劇テアトロが総合芸術であるのと同じ意味で総合美術であり、しかもその中心となるドラマは常に彫刻が表現しなければならなかったのである。

べルニーニにとってコメディーは、魅惑的ではあっても、しょせんその場限りの世界であった。だが彫刻は、いわば永遠の観客のための永遠の劇でなければならなかったのである。このように彼が演劇的総合美術を志したかげには、スぺクタクルと演劇の時代という時代背景があったことを無視するわけにはゆかない。その意味で、べルニーニはまさしく時代が生んだ天才であった。スぺクタクルと演劇に関しては、おそらく最も貧困な時代に生きている我々は、べルニーニとバロック美術に接する際には、この点を重々胆に銘ずる必要があろう。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P92-93

上の解説に出てきた二つの像については以前お話しした「(18)ベルニーニ『アポロとダフネ』~初期の最高傑作!芸術の奇跡と称えられたボルゲーゼ美術館の至宝!」「(20)建築家ベルニーニのデビュー作サンタ・ビビアーナ教会へ!最強のパトロン、ウルバヌス八世の存在」の記事をご参照頂きたい。

ベルニーニ初期の作品においても演劇的効果を狙った作品は制作されてきたが、ここに来てベルニーニはその手法をさらに自分のものとしていく。

「作品の置かれる場所をその劇の舞台とみなして、全体の有機性と劇を高める光の効果を追求したのである。このように、作品の置かれる場所と作品、そして観者との関係は、舞台と劇、そして観客との関係になぞらえることができる。」

ミケランジェロのように彫刻作品一つで完結する芸術作品ではなく、彫刻、舞台、観客の全体を意識した総合芸術を求めた所にベルニーニの独創性がある。彫刻作品も舞台に立つ役者なのだ。舞台があるからこそ、観客の目があるからこそ役者はさらに輝くのだ。そしてさらに言えば役者が輝くための舞台装置、演出にも徹底的にこだわり抜くという姿勢もそこから生まれてくるのである。ベルニーニ作品は空間そのものが彼の演劇世界なのである。

ローマ・トラステヴェレ地区サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のライモンディ礼拝堂

この記事の最初にも述べたがベルニーニのライモンディ礼拝堂はトラステヴェレ地区のサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会内にある。

私はテルミニ駅近くに宿を取っていたため、テヴェレ側対岸のこのエリアは少しアクセスしにくい。私はテルミニ駅からバスに乗りテヴェレ川を渡ってすぐのところで下車しそこから歩いて教会に向かった。

トラステヴェレ地区自体は少し下町っぽさがある賑やかな場所なのだが、私の目指す教会はそこから少し離れた位置にある。教会は丘の上に立っているので最後は急坂を上らなければならない。

丘を上りきるとこの絶景である。かなり高い位置まで上ってきたことを実感する。

これがサン・ピエトロ・イン・モントリオ教会。

左の写真が教会内のライモンディ礼拝堂と右がその外観。手前の突き出ている区画がちょうどライモンディ礼拝堂にあたる。

では石鍋真澄の解説を聞いていくことにしよう。少し長くなるが一気に読んでいく。

こうした演劇的総合美術の発想は、すでに聖女ビビアーナの祭壇やサン・ピエトロの交差部の装飾にも現われていた。けれども、財政難のために一六三〇年代の後半以降、教皇庁の仕事が減ずるのに反比例して増加してゆく個人の家の礼拝堂の装飾では、この発想がさらに一層鮮明な形をとってゆく。しかもそれが、彼の実際の演劇活動と並行していることは強調されてよいであろう。その例としてはサン・ピエトロ・イン・モントーリオのライモンディ礼拝堂やサン・タゴスディーノのピオ礼拝堂、あるいはサンタ・マリア・イン・ヴィア・ラータの主祭壇の企画などがあげられるが、その中でも最も顕著なライモンディ礼拝堂の場合を次に見ることにしよう。

サン・ピエトロ・イン。モントーリオにある小さなライモンディ礼拝堂は、《聖フランチェスコの法悦》を表わす浮彫を納める祭壇と、両脇の壁につけられた二つの墓、そして《聖フランチェスコの昇天》を中心とするフレスコ画とストゥッコによる天井装飾とから成っている。こうした礼拝堂装飾の実際の仕事は、この種の他の仕事と同様に弟子の手でなされており、そのため個々の作品の質はまちまちである。しかしながら、全体は完璧に調和して、べルニーニのアイディアを見事に実現している。

べルニーニがここで意図したのは、礼拝堂全体をあらゆる意味で調和のとれた統一体にすること、そしてそれを聖フランチェスコの神秘劇の劇場テアトロにすることだといえる。彼は注意深く各部と全体のバランスを考え、我々の注意が祭壇の《聖フランチェスコの法悦》を表わす浮彫に無理なく集中するように礼拝堂を設計している。そしてその浮彫を壁龕エディコラに入れるとともに、その左上方に窓を切って、浮彫を照らす光源としている。

べルニーニはすでに聖女ビビアーナの祭壇において同じような試みをしているが、ここでは隠された光源から入る光は完全に統御され、前者の場合よりも直接的に、そしてより効果的に用いられている。なお浮彫が初めから左上方の光を前提として制作されたことは、その構図を見れば明らかである。またこの左上方からの光は、浮彫全体に凸型のゆるいカーヴをつけるという独創的な試みによって、一層その効果を高めている。つまりこうした試みの結果、この浮彫は彫刻というよりも光と陰から成る類稀な絵画のように見えるのである。いいかえれば、この礼拝堂の主役は光そのものだということだ。当時聖フランチェスコの法悦は彼の聖痕スティグマータと同一視され、その聖痕は神の光によって顕現したと信じられていた。したがってベルニーニが隠された窓から招じ入れた光は、この礼拝堂における視覚上の主役であると同時に、聖フランチェスコの神秘劇の真の主役たる神の光でもあったわけである。

このライモンディ礼拝堂について、パッセリは「彼はいつもどおりの特異な才能によって、奇妙な新しさを建築に導入した」と述べている。反べルニーニ感情の強いパッセリも、この礼拝堂の「新しさ」を認めているわけである。その「新しさ」とは、一言でいえば、彫刻と絵画を建築に融和させた点にあるといえる。いいかえるならば、建築空間を一つの劇場とみなし、その中で建築と彫刻と絵画とを融合させて演劇に比せられるような総合的作品を作ろうとしたのである。

こうした意図をべルニー二自身が述べた言葉は伝わっていないが、次のバルディヌッチの言葉は、べルニーニのそれを反映しているとみてよいであろう。すなわち、「彼は全体が一つの美しい融合体ベル・コンポストをなすように建築を彫刻と絵画とに結び付けた最初の美術家である、と広く信じられている」。このように、べルニーニは建築と彫刻と絵画とから成る一つの総合的作品をめざしたが、それはさまざまな素材や形態、そして光と色彩とが互いに響き合い、融け合うイリュージョンの世界である。こうした総合的視覚芸術の世界が、ベルニーニの演劇テアトロへの傾倒と深く関係し、また彼の時代のスペクタクルと演劇テアトロの体験に根ざしていることは、誰の目にも明らかであろう。ライモンディ礼拝堂は、べルニーニのこうした意図を実現した最初の作品なのである。
※一部改行した

吉川弘文館、石鍋真澄『ベルニーニ バロック芸術の巨星』P93-95

ライモンディ礼拝堂はベルニーニが光の統御に完全に成功した最初の作品である。

電気がない時代においてベルニーニはいわば独自の方法で舞台空間を照らすスポットライトを生み出したのだ。

私はこの教会に夕方にやって来た。開館時間が終わるぎりぎりの時間だったのだが、私はあえてこの時間を選んだのである。なぜなら少しでも暗くなった方がベルニーニの光の魔法をより体感できるのではないかと思ったからだ。

次の写真に注目して頂きたい。

一番左がベルニーニが設計したライモンディ礼拝堂だ。ここだけ圧倒的に明るいのがわかるだろう。

この教会の左側、右側の写真を並べてみた。こう見比べてみてもライモンディ礼拝堂の明るさだけ飛び抜けているのがわかると思う。

改めてじっくりとこの礼拝堂を観察する。

たしかに左窓からの光を強く感じる。中央の《聖フランチェスコの法悦》の彫刻が浮き上がって見える。光の存在によってたしかに陰影が強くなり彫刻の立体感が生かされている。

そして両窓から斜めに入ってくる光は手前の墓を柔らかく照らしている。こうしたいくつもの光の角度、パターンをベルニーニは全て計算していたのだ。

この明るさには私も心の底から驚いた。上の写真にもあるように他の礼拝堂の暗さと比較してみたことでよりその明るさを感じることになった。ベルニーニの演劇的手法、光のスペクタルの発想には脱帽だ。これが1630年代の作品のだからなおさらである。電気時代を生きる私たちには「光を窓から取り入れて作品を照らす」と言われてもあまりピンと来ないかもしれない。だが、電気もなく、光で彫刻を照らすという発想が全くなかった時代にこれを思いつくというのがやはりベルニーニのすごさだと私は思う。私達の当たり前を作ってくれたのがこのベルニーニだったのだ。

私は閉堂ぎりぎりの時間までこの教会で時を過ごした。中心部から離れた小さな教会なのでここはとにかく静か。しーんと静まり返った薄暗い堂内で私は心ゆくまでこの教会を味わった。夕暮れ時の教会の心地よさに私はそれこそ恍惚としてしまった。

この教会で過ごしたこの時間は私のローマ滞在の中でも特に印象に残っている。もしまたローマに行けるならぜひまたこの時間に訪れたいと思う。

ベルニーニの光のスペクタクルを感じるのにもこの教会は非常に素晴らしいスポットとなっている。

ぜひおすすめしたい教会だ。

続く

主要参考図書こちら↓

サン・ピエトロが立つかぎり: 私のローマ案内

サン・ピエトロが立つかぎり: 私のローマ案内

ベルニーニ: バロック美術の巨星 (歴史文化セレクション)

ベルニーニ: バロック美術の巨星 (歴史文化セレクション)

※以下の写真は私のベルニーニメモです。参考にして頂ければ幸いです。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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