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マルクス・エンゲルス『聖家族』概要と感想~青年ヘーゲル派とブルーノ・バウアーへの批判が書かれた2人の初めての共同作品
今回ご紹介するのは1844年にマルクス・エンゲルスによって発表された『聖家族 別名 批判的批判の批判 ブルーノ・バウアーとその伴侶を駁す』(以下『聖家族』と省略します)です。
私が読んだのは大月書店『マルクス=エンゲルス全集第2巻』所収、大内兵衛、細川嘉六訳の『聖家族』です。
早速この本について見ていきましょう。
マルクス=エンゲルス全集第二巻は、一八四四年九月から一八四六年までに執筆された著作をおさめている。
一八四四年八月末、パリでマルクスとエンゲルスが会見した。この会見は、革命的な理論活動および実践活動のあらゆる分野にわたる二人の創造的な協力のはじめとなった。このごろまでに、マルクスとエンゲルスは、観念論から唯物論への、また革命的民主主義から共産主義への移行をおえていた。この巻にはいっている諸著作は、彼らの革命的な唯物論的世界観がさらに形づくられていく過程を反映している。
この巻の巻頭にくるのは、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの最初の共同労作である『聖家族 別名批判的批判の批判。ブルーノ・バウアーとその伴侶を駁す」である。この論戦的な著作では、マルクスとエンゲルスは、戦闘的唯物論者として登場して、青年へーゲル派の主観主義的な見解に壊滅的な批判をくわえている。マルクスとエンゲルスは、ここでさらにへーゲルその人の観念論哲学を批判している。へーゲルの弁証法にふくまれる合理的な要素に正当な地位をあたえながらも、彼らは、この弁証法の、事物を神秘化する側面に批判をくわえている。
大月書店『マルクス=エンゲルス全集第2巻』所収、大内兵衛、細川嘉六訳の『聖家族』PⅨ
この作品は上の解説にありますようにマルクスとエンゲルスの初めての共同作品になります。
マルクスとエンゲルスは1844年8月にパリで対面し、その時から生涯続く友情が始まっていきます。
この出会いについては以下の記事「パリでの運命の再会!マルクス・エンゲルスの共同作業の始まり「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(27)」で詳しくお話ししていますのでご参照ください。
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パリに来てから自身の思想の方向性が変わり始めていたマルクス。
そんな時にちょうどパリにやって来たのがエンゲルスでした。
ついに機は熟したのです。
今や二人はヘーゲル哲学から脱皮した、政治経済、共産主義の闘士。
彼らの思想は驚くほどの一致を見たのでした。そして彼らの確信の揺るぎなさたるや!
パリの酒場で10日間語り合ったマルクスとエンゲルス。
これからの生涯全てを捧げての共同作業が始まった瞬間でした。
そしてこの作品の主題となっているのが青年ヘーゲル派の代表的な人物ブルーノ・バウアーへの批判になります。
青年ヘーゲル派やブルーノ・バウアーはどのようなことを主張していたのか、そのことをお話しするとものすごく長くなってしまいますので、こちらも以下の記事でお話ししていますのでご参照ください。
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そしてふたりの記念すべき初めての共同作業となる『聖家族』を発表します。
この記事ではそんな『聖家族』執筆のエピソードと、マルクスの驚くべき遅筆に早くも苦しめられるエンゲルスの姿を紹介していきます。
元々、ブルーノ・バウアーとマルクス・エンゲルスはベルリンで「ドクトルクラブ」という知識人グループで一緒に活動していた仲間でした。
特にマルクスはブルーノ・バウアーの指導も受けており、バウアーがプロイセン国家から教職を追放されていなければ彼を頼って大学教員の道を進もうと考えていたほどでした。
そんな元同窓であるマルクス・エンゲルスがブルーノ・バウアーとの決別の姿勢を示したのがこの作品になります。
実際にこの作品を読んでいくと、たしかにブルーノ・バウアーをこれでもかとこき下ろしています。
そして読み進めていって気づくのは、フランスの小説化ウージェーヌ・シューの話、特に『パリの秘密』についてかなり説かれている点です。マルクスは子供の頃からとてつもない読書家で、パリに来てからちょうど話題になっていたその作品に、社会主義的なインスピレーションを受けたのでしょうか、『聖家族』にはそれに対する言及が多々なされます。
また、社会思想家プルードンの『財産とは何か』についての言及も多く見られました。
ブルーノ・バウアーへの批判が本書の主題ですが、脱線とまではいかなくともブルーノ・バウアーへの批判がどこかへ行ってしまう時間がかなりあります。
どうしてこのようなことになったのか、このことについてトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』では次のように述べられていました。
尊大なテーマを掲げたとはいえ、『批判的批判』はもともとバウアーらにたいする短い風刺としてつくりだされ、一八四四年九月にパリを離れてバルメンに向かう前に、エンゲルスが自分用の原稿として手早くまとめあげたものだった。
「しばしのお別れを、親愛なるカール」と、エンゲルスは別れ際に書いた。「君と過ごした一〇日間に経験した陽気な気分もやる気も、取り戻せずにいる」。
彼は愚かにもその原稿を親愛なるカールのもとに残してきたため、そこでたちまちマルクスのものとわかる奔放な文体に書き換えられた。何よりもまず、長さが変わった。「『批判的批判』を君がニ〇枚にまで膨らませた事実に、僕は少なからず驚いた……僕の名前を表題に残せば、奇妙に見えるだろう。僕はわずか一枚半しか書いていないのだから」と、エンゲルスは記した。
さらに、政敵への非難のために不釣合いなほどのぺージが割かれていた。「『文学新聞』にたいしてわれわれ二人がいだく格別な軽蔑の念は、そのために費やしたぺージと好対照をなしている」。
この小冊子のぺージ数の増加はより実質的なプロジェクトから気をそらされがちなマルクスの深刻な弱点も早くから予感させていた。「どうか君の政治経済の本を終わらせるようにしてくれ。たとえ君自身はまだ納得のいかない点が多々あったとしても、そんなことは実際どうでもよいのだ。頭のなかは熟しており、鉄は熱いうちに打たねばならない」と、エンゲルスはその後数十年にわたって、うんざりしながら繰り返されることになるお馴染みの言葉で懇願した。
「僕のようにやりたまえ。それまでには絶対に終わるという期限を自分で設定し、確実にすぐさま印刷にかけられるようにするんだ」。
最後に、受けそうな題名をつけるジャーナリストならではのコツがあった。マルクスはバウアー学派を嘲笑的ににおわせながら、この小冊子を『聖家族、あるいは批判的批判の批判、ブルーノ・バウアーとその仲間への反駁』と名づけ直した。「この新しい題名のせいで……それでなくてもえらく立腹している信心深い親とのあいだで、おそらく僕は窮地に陥ることになるだろう。君はそんなことは知りえなかっただろうが」
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P160-161
この本は元々エンゲルスによって書かれた短い小冊子だったのです。それがマルクスの手にかかればどんどん長大なものになっていく・・・
マルクスの遅筆、膨大な原稿にはエンゲルスもこれから悩まされ続けることになります。
有名な『資本論』も、出版された1867年の十年以上前からエンゲルスはせっつき続けていました。
こう考えてみると、『聖家族』という彼らの共同作業の始まりからしてすでに後の関係性が現れているという非常に興味深い作品でした。
以上、「マルクス・エンゲルス『聖家族』~青年ヘーゲル派とブルーノ・バウアーへの批判が書かれた2人の初めての共同作品」でした。
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マルクス=エンゲルス全集 第2巻 1844~1846
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