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(57)マルクスの娘婿で『怠ける権利』の著者ポール・ラファルグと資産家エンゲルスの奇妙な関係とは

目次

『怠ける権利』の著者ポール・ラファルグは資産家エンゲルスに金をせびって生活していた「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(57)

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年表で見るマルクスとエンゲルスの生涯~二人の波乱万丈の人生と共同事業とは これより後、マルクスとエンゲルスについての伝記をベースに彼らの人生を見ていくことになりますが、この記事ではその生涯をまずは年表でざっくりと見ていきたいと思います。 マルクスとエンゲルスは分けて語られることも多いですが、彼らの伝記を読んで感じたのは、二人の人生がいかに重なり合っているかということでした。 ですので、二人の辿った生涯を別々のものとして見るのではなく、この記事では一つの年表で記していきたいと思います。

このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。

これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。

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トリストラム・ハント『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』あらすじと感想~マルクスを支えた天才... この伝記はマルクスやエンゲルスを過度に讃美したり、逆に攻撃するような立場を取りません。そのような過度なイデオロギー偏向とは距離を取り、あくまで史実をもとに書かれています。 そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。 マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。マルクスの伝記に加えてこの本を読むことをぜひおすすめしたいです。

この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。

当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。

そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。

この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。

一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。

その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。

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では、早速始めていきましょう。

エンゲルスの資産の使い道~エンゲルスの弱点、マルクスの娘たち

前回の記事「経営者を引退したエンゲルス、今度は証券投資家に。矛盾は続く・・・「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(56)」ではエンゲルスが証券取引家となり莫大な資産を蓄えていたことをお話ししました。

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今回読んでいく箇所はそんなエンゲルスの資産の使い道について述べられた箇所になります。

いつもながら、問題は税引後の利潤で何をしたかであった。「われわれ貧しい金利生活者は出血させられている」と、エンゲルスは以前に大蔵省の取り分に文句を言ったことがあったが、彼は党の理念にも、個人的な問題にも同じように申し分なく寛大でありつづけた。

マルクスへの最低三五〇ポンドの年間補助金に加え、エンゲルスは知り合いであるマンチェスターの工場現場監督ユージーン・デュポンの子供たちの教育費も支払ったし、ソーホーに住む貧しい社会主義者の葬儀費用も負担した。党の機関紙や亡命者のための慈善事業も定期的に支援した。

残念なことに、エンゲルスの博愛精神は、彼が最も愛した人びとによってたびたび乱用されていた。彼の弱点はいつもマルクス家の娘たちで、彼女らをさまざまなかたちで裏切ったパートナーたちもやはりそれをよく心得ていた。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P345

エンゲルスは稼いだ利潤を自分のためだけではなく、社会主義者たちへの支援にも使っていたと美談風に述べられていますが、これはいわば自らの政治団体の運営のための資金です。彼の普段の生活ぶりについては以下の記事でお話ししましたのでご参照ください。

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マルクスの娘婿で、『怠ける権利』の著者ポール・ラファルグはエンゲルスに金をせびって生活していた

残念なことに、エンゲルスの博愛精神は、彼が最も愛した人びとによってたびたび乱用されていた。彼の弱点はいつもマルクス家の娘たちで、彼女らをさまざまなかたちで裏切ったパートナーたちもやはりそれをよく心得ていた。

なかでも最悪であったのが、ラウラ・マルクスの夫のポール・ラファルグだった。医者からプルードン主義者になり、インターナショナルの総評議会のメンバーになった人物だ。

スペインでバクーニン主義にたいする闘争でエンゲルスの支援をしたラファルグは、ロンドンに戻ると、のちに『怠けの権利』という小冊子を執筆することになる人物だけあって、自分が説教する内容を実践するようになった。

本腰を入れずに創設しようとしたフォトリソグラフィーの工房が、投資家を集められないまますぐに倒産したため、ラファルグは当然のようにエンゲルスおじを頼った。

「何度か多額の金を信用貸ししていただいたばかりで、再びしつこくお願いすることを恥じています。しかし、借金を清算し、自分の発明を後押しできるようにするには、六〇ポンドの金額を手に入れることが不可欠なのです」と、彼は一八七五年六月に有無を言わせぬ調子で書いた。

ラファルグにとっては幸運なことに、エンゲルスは彼の知性と弁護手腕をかなり高く買っていただけでなく、この自信過剰で強情、かつ官能的な若者へますます親愛の情をいだくようになっていた。

一方、ラファルグも自分の厳格な義父に対抗する慈愛にあふれた存在として、より心の広いエンゲルスとの親交を楽しんだ。

「シャンパンの瓶を開封する偉大な首切り人で、エールやその他の混ぜ物をした屑飲料を底なしに飲む、スペイン人たちの秘書殿。ご挨拶を申し上げます。善良な大酒盛りの神がお見守りくださいますように」と、ラファルグからの手紙は、通常からかうような書き出しで始まり、そのあとにこんな問いかけが続いた。「バーンズ夫人は、私がボルドーで購入したベニョワール[、、、、、、浴槽]で入浴なさっているでしようか?はらわたで燃える火を鎮めてくれるかもしれないあの代物で?」

たいていの場合、こうした手紙は次のように終わっていた。「大家に払うためにさらに五〇ポンドが必要となります」。それから家賃や税金、光熱費、さらには下着に関する要求にまで言及していた。「お送りくださった紙幣は、砂漠の真っ只中で天から授かった食べ物のようでした」。ラファルグは(カール・マルクスとよく似た口調で)一八八ニ年に、社会主義の政治運動のために戻ったパリからそう書いた。

「あいにくわれわれはそれを永久に保ちつづけることはできませんでした。ラウラにいくらか下着を買ってやらねばならないので、もう少しお金を送ってくださるようお願い申しあげます」。

しかし、一八八八年に彼が「ワインのせいで生じた差額を埋めるために」一五ポンドの小切手を送るようエンゲルスに頼んだときには、明らかに図に乗りすぎていた。

それでも、エンゲルスはマルクスの娘たちの頼みはまず断れなかった。作家志望の娘たちを甘やかし、夫たちの保証人になり、舞台女優になるというトゥシーの失敗に終わった冒険すら支援した。

「あの娘は相当な沈着さを見せ、なかなか魅力的に見えた」と、彼はマルクスに誇らしげに報告した。「本当に世間で名を成したいのであれば、間違いなく彼女ならではの名台詞を生みださなければならない。彼女ならうまくやり遂げるだろう」

しかし、エンゲルスが自分のお金を使って本当に楽しんだのは、リジーとマルクス一家とともにイギリスの海辺にでかけ、家族の休暇を過ごすために支払うことだった。「景気づけに駅でポートワインを一杯やったあと、彼女[イェニー・マルクス]とリジーは砂浜でぶらぶらし、手紙を書かずにすむことを喜んでいた」と、エンゲルスは一八七六年の夏に、ラムズゲート旅行に加わらなかったマルクスに報告している。
※一部改行しました

筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P345-347
ポール・ラファルグ(1842-1911)Wikipediaより

『怠ける権利』という作品については改めて紹介しますが、この作品の内容は次のようなものです。

ブルジョワ革命の屁理屈屋が捏ねあげた人間の権利などより何千倍も高貴で神聖な怠ける権利を宣言しなければならぬ―フランスの社会主義者にしてマルクスの娘婿が発した「労働=神聖」思想に対する徹底的な批判の矢が、一二〇年以上の時を超え“今”を深々と突き刺す

Amazon商品紹介ページより

労働を拒絶し、高貴で神聖な怠ける権利を主張していたラファルグですが、実際に彼がどんな生活をしていたかというと上の通りなのです。

今や資産家となったエンゲルスはマルクスの娘たちを溺愛していました。そしてそれに付け込みラファルグはエンゲルスから事あるごとに金をせびって生活していたのです。これが彼自身の「怠ける権利」の実態でした。

正直、これは厳しいです。

もっともそうなことを述べながらその実態は「自分は働きたくない。どうせ搾取されるだけ。だけど金はほしい」というものだったのです。

これまでマルクス・エンゲルスの生涯と思想背景を学んできましたがいよいよ苦しくなってきました。彼らに矛盾が多いのは著者が「はじめに」の段階で述べていたのでわかってはいたのですが、さすがに読んでいて辛くなってきました。

私は何も、彼らを人格攻撃したいわけではないのです。彼らが裏でこういうことをしていたから彼らの思想は信ずるに足らないとか、そういうことを言いたいわけではないのです。

彼らが述べた思想がいかにして出来上がったのか、そしてそれはなぜこんなにも世界に影響を与えたのかということを知ることが私の最大の目的です。

とすると、マルクス・エンゲルスの私生活は一見、それらとは無関係なように思えるかもしれません。

ですが、そうした矛盾に満ちた生活こそ、この思想が後に世界に影響を与える大きな理由でもあるかもしれないのです。

なぜなら、言っていることとやっていることが違っていても人を動かすことができるなら、支配者にとってこれほど都合の良いものはないからです。これはソ連以降の世界の歴史を見れば一目瞭然ですよね。(これは共産側だけの問題ではないでしょうが・・・)

マルクス・エンゲルスはブルジョワを激しく攻撃していますが、金や力を手にするとあっさり彼らはブルジョワ化しました(エンゲルスはそもそも大会社の御曹司なのでブルジョワですが)。

そして今回見てきたエンゲルスとラファルグの関係も奇妙なものですよね。

ラファルグがエンゲルスからせびって得たお金もそもそもは「労働者から搾取して得たお金」なわけです。

彼らはもはや言っていることとやっていることが乖離しているのです。

こうした美しくて壮大な理想を語る思想と現実生活の矛盾はマルクス思想を考える上では大きな意味を持っています。矛盾があってもなお人を惹きつけ続けるところにこの思想の強さがあるのかもしれません。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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