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トルストイ『森林伐採』あらすじと感想~カフカース従軍でロシア民衆の人間性を考えるトルストイ

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トルストイ『森林伐採』あらすじと感想~カフカース従軍でロシア民衆の人間性を考えるトルストイ

今回ご紹介するのは1855年にトルストイによって発表された『森林伐採』です。私が読んだのは河出書房新社、中村白葉訳『トルストイ全集2 初期作品集(上)』1982年第4刷版所収の『森林伐採』です。

この作品もトルストイのカフカース従軍を題材にして書かれました。

『森林伐採』という不思議なタイトルもこのカフカース従軍から取られています。

実は『森林伐採』という名はロシア軍の軍事作戦から来ています。では、これは一体どういう作戦なのか、藤沼貴著『トルストイ』では次のように解説されています。

一九世紀初頭、ナポレオン戦争終了後、ロシアはチェチェン、ダゲスタンに対する本格的攻撃を決意し、一八一六年アレクセイ・エルモーロフをカフカース独立兵団司令官に任命した。

カフカースの戦争は数世紀にわたってつづいているが、とくにこの一八一七~六四年の時期が数世紀にわたる抗争の山場の一つで、狭義の「カフカース戦争」はこの時期を指す。

グローズナヤ(脅威の)、ヴネザープナヤ(急襲の)、ブールナヤ(嵐の)など、穏やかでない名前の拠点要塞が構築されたのもこの時期で、現在のチェチェンの首都グローズヌイはグローズナヤ要塞の名残である。「脅威市」という露骨な名前の都市は世界でもめずらしいだろう。

また、トルストイの作品『森林伐採』の題名にもなった森林伐採作戦もこの時期にはじまった。森の木を切りはらって見通しをよくし、敵の奇襲を防ぐこと、軍隊の通過を容易にすることなどがその目的だったが、これが生活環境を破壊し、住民を山中に追いやった。べトナム戦争の枯葉作戦を思い起こさせる。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P147-148

「トルストイの作品『森林伐採』の題名にもなった森林伐採作戦もこの時期にはじまった。森の木を切りはらって見通しをよくし、敵の奇襲を防ぐこと、軍隊の通過を容易にすることなどがその目的だったが、これが生活環境を破壊し、住民を山中に追いやった。べトナム戦争の枯葉作戦を思い起こさせる。」

ベトナム戦争の枯葉作戦を思い起こさせる作戦・・・

現地住民からすれば最悪の作戦がカフカースで行われていたのでした。

そしてこの作戦にもトルストイは参加しています。

今作『森林伐採』ではそんな作戦に従軍したトルストイが、兵士たちの姿を通して「ロシア民衆とは何か」という問いを探究していく作品になります。

この作品について、藤沼貴『トルストイ』では次のように述べられています。

トルストイのカフカース体験のなかで、「ロシア民衆の再発見」も戦争否定に劣らず重要だった。ロシアでトルストイは民衆とじかに接触して、よい人間的関係をうち立てようとし、手痛い失敗をした。社会的な構造がそれを邪魔したばかりでなく、農民が心を開かなかったからである。

数世紀にわたる隷属の結果、農民が地主に不信感をもち、反抗的だったというだけならトルストイも納得したかもしれない。しかし、トルストイの目には、農民たちは卑屈で、うそつきで、怠惰で、道徳的に堕落しているように見えた。

ところが、戦場で見たロシア兵は実にりっぱだった。カフカース戦争に題材をとった短編『森林伐採』のなかで、トルストイはロシア兵をこまかく観察し、次のように分類して説明している。

「一従順な者。a 従順で冷静なもの。b 従順で気配りのよい者。
 二指図をする者。a 指図好きで厳格な者。b 指図好きで処世にすぐれた者。
 三向こう見ずな者。a 向こう見ずで陽気な者。b 向こう見ずで素行のわるい者」。

この分類を見ると、よくないのは「三のb」だけで、しかも、それは「ロシア軍の名誉のために言わなければならないが、ごくまれにしかお目にかからないものだ」と、トルストイ自身が注釈をつけていた。

当時のロシアでは、兵卒のほとんど全部が「百姓の野良着を軍服に着替えた農民」だったのに、兵士たちはロシアの村にいる農民とはまるで別の人間だった。いったい、どちらが本当の姿なのか。人間の本性は惰性的に流れる日常生活より、死を目前にした極限状態で現れるものだろう。とすれば、卑屈な農奴ではなく、毅然とした兵士こそがロシア民衆の真の姿なのだ。

この「民衆再発見」にトルストイはおどろいた。農民はわれわれ貴族と同じ人間どころか、われわれよりむしろすぐれているではないか。そして、このすばらしい本性をゆがめている責任は自分たちにあるのではないか?

このようにトルストイはカフカースでいくつもの貴重な体験をした。
※一部改行しました

第三文明社、藤沼貴著『トルストイ』P153-154

「この「民衆再発見」にトルストイはおどろいた。農民はわれわれ貴族と同じ人間どころか、われわれよりむしろすぐれているではないか。そして、このすばらしい本性をゆがめている責任は自分たちにあるのではないか?」

この言葉は、後のトルストイの生涯を貫く信念へと繋がっていきます。

トルストイのカフカース体験が彼の思想形成に多大な影響を与えていたことがこの小説からうかがえます。

ページ数にして30ページほどというコンパクトな作品の中に「情景描写の妙、深い人間洞察」というトルストイらしさが詰まった逸品です。

以上、「トルストイ『森林伐採』あらすじと感想~カフカース従軍でロシア民衆の人間性を考えるトルストイ」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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