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アイゼンク『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』あらすじと感想~フロイト理論の問題点を指摘する作品

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アイゼンク『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』概要と感想~フロイト理論の問題点を指摘する作品

今回ご紹介するのは1988年に批評社より発行されたH・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳の『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』です。

早速この本について見ていきましょう。巻末の訳者あとがきではこの本の立場とその内容について次のように述べられています。

『精神分析に別れを告げよう』という本書の題名は、やや挑戦的かもしれません。しかし、この本の内容をひとことに要約するとこの題名になります。

著者アイゼンクがこの本を執筆した動機の第一は精神分析によって多くの患者が苦痛を受け、悪化しているという現実を黙視できないというものであり、第二は非科学的な精神分析の影響を受けて立ち後れている精神医学と心理学を立て直さなくてはならないという信念です。

患者の治療と、科学的心理学のために精神分析との決別が必要というアイゼンクの確信には挑戦的な執念が秘められています。

しかし、著者は感情的な表現はせず、自分の意見も極力少なくし、フロイトと精神分析の非科学的事実を紹介することに力を注ぎ、判断を読者にゆだねるというスタイルをとっています。たしかに欧米においては、精神分析が衰退の傾向にあるとしばしば耳にします。批判も強くなっていると聞きます。本書を翻訳して、その実態の一部にふれた感じです。

アイゼンクのいうとおり、日本でもフロイトの名を知らないひとは少ないでしょう。それに比べて、本書の著者アイゼンクを知っているひとはあまりいないと思われます。

ハンス・J・アイゼンクは一九一六年ドイツに生まれ育ち、フランスの大学を出た後、さらにイギリスに渡り、ロンドン大学で博士号を取得しています。以後約半世紀にわたり世界的に活躍してきた臨床心理学者です。

本書の参考文献紹介の項に目を通すだけでも大変な勉強家であることが分かりますが、同時に七〇〇以上の論文と三〇余冊の著書を発表しているという事実は驚異的なことです。彼の業績は多岐にわたっていますが、本書でも自ら再三強調しているように、行動療法を体系化したひとの一人です。現在もロンドン大学教授であり、モーズレー病院などで要職を兼務している現役の巨匠です。(中略)

たしかに日本の精神医学において、誰しをも納得させることのできる精神療法あるいは心理療法の理論が存在しているかと問われれば、答えに詰まってしまいます。

一般のひとには、アイゼンクの指摘するように、精神科イコール精神分析と連想される方が多いと思います。しかし、日本の精神科において精神分析が主流となったことはありません。したがって、精神分析を受けた患者さんも欧米に比べればわずかです。日本の精神科において、精神療法とは必ずしもイコール精神分析ではありません。もちろん精神科医はすべて精神療法を行っています。すぐれた精神療法家は何人もいます。精神分析を学んだひともあれば、精神分析と無縁のひともいます。はっきりしていることは、日本の精神科医にはアイゼンクのように公然と精神分析を批判するひとがいないということです。

街の本屋さんに立ち寄ってみると、精神分析を肯定する本が沢山目につきます。批判する本はたまにしか発見できません。やはり、日本の文化の中にも精神分析はかなり浸透していると思ったほうがよいようです。こうした日本の現状の中で、本書は極めてタイムリーな内容のものと確信します。

そもそも、本書は非専門家である一般読者を対象としています。どちらかというと精神分析に無批判な日本人に本書が広く読まれることを、アイゼンクは切望しているに違いありません。

本書の内容から伺えることとして、アイゼンクが是非とも本書を読んで欲しいと思っているのは精神科医療関係者、教育関係者、そして、ジャーナリズムの関係者の方々です。これらの分野をめざしている学生の方々にも必読の書といえます。精神科医療関係者、とりわけ精神分析を学んでいるひと、学ぼうとしているひとには是非一読を希望します。

訳者のうち精神分析を実際に行っている三人には本書はじつに不愉快なしろものだったようです。しかし、精神分析を本気で発展させる気概を持っているならば、本書のような批判を知っておく必要もあるのではないでしょうか。
※一部改行しました

批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P243-245

この本ではフロイトの理論の誤りをひとつひとつ丁寧に批判していきます。

フロイトの理論がいかに根拠のないまま語られているかというのがこの本では明らかになります。

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前回の記事で紹介したフロイトの伝記、ルイス・ブレーガー著『フロイト 視野の暗点』でも、フロイトがいかに科学的根拠のないまま理論を作り上げ、それを適用していったかが書かれていました。その伝記で書かれていたフロイトのあり方をより詳しく、ひとつひとつの理論がいかに根拠もなく語られていたかを知るのにこの本はおすすめです。

アイゼンクは「日本語版への序」で次のように述べています。彼がなぜこの本を書こうとしたのか、その思いを知ることができます。

精神分析は世界中でおかしな位置を占めています。心理学者を誰一人知らない巷のひとでも、フロイトのことは耳にしたことがあり、心理学と精神分析とは同じものと思い込んでいます。

ところが、アメリカやイギリスで心理学を専門とする学者の間で精神分析を尊重しているひとはほとんどいません。大半のひとは完全に無視しています。

同じように、精神医学においても、イギリスでは大学教授の誰一人として精神分析を支持していませんし、アメリカでもしっかりした大学の教授で精神分析を支持するひとはほとんどいません。そして、大半のひとは精神分析との関係を積極的に否定しています。

精神分析について専門的には何も知らないひとたちの間で、精神分析が人気があり広く受け入れられているのに、専門家の間では受け入れられていないというおかしな話になっています。

このように矛盾している学問分野をほかに探すのはむずかしいことです。天文学と占星学(星占い)との関係が非常によく似ています。天文学者で星占いを本気にするひとはいませんが、巷のひとには星占いがたいへん人気があり、天文学を知らなくとも「星座」のいわれや「星座」の性格に及ぼす影響については知っているものです。

もちろん、いまでもいくつかの国では精神分析が重視されています。南アメリカの諸国が一例ですし、フランスがもうひとつの例です。

ニ〇年あるいは三〇年前の昔、アメリカでもイギリスでも精神分析はたいへん重視されていましたが、その理論の正しさを裏づけようとした実験的研究が次々と失敗し、フロイトの教えの正しさが分かるような臨床的研究も次々と失敗し、ついに没落に至ったことをこの本に記録しました。

将来、科学史の研究家は精神分析が今世紀の前半に広範に受け入れられていたことに関心を持つでしょうが、なぜだったか説明することは困難でしょう。

フロイトが思いつきに思いつきを重ねるばかりで、いかなる科学的証明も試みなかったことは、当初から明らかだったはずです。それなのに、フロイトを「洞察」という著しく価値のある概念に寄与した大人物と信じ込んでしまった心理学者や精神科医の迷いを解くのにごく最近までかかりました。

その間に、精神分析の犠牲となったひとたちのことを思うと、それはそれは悲しい物語です。神経症や精神病という重い病気にかかった数多くの患者さんたちが、治してもらえるというはかない夢を追って、時間とエネルギーと金を費やし、そのあげく現実に得たものがあったとしたらそれは精神分析を受けたことによる悪化でした。このような悲劇がこの問題に私の関心を向かわせたはじまりであり、この本を書く気にさせました。
※一部改行しました


批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P1-2

著者のアイゼンクはフロイトを誹謗中傷するためにこの本を書いたのではありません。

学者として、まったく科学的根拠のないフロイトの理論に対して抗議し、それが未だに力を持っていることに対して警鐘を鳴らすためにこの本を書き上げました。

先に紹介した訳者あとがきでも述べられていましたように、アイゼンクは感情的にならず、事実を基に冷静にフロイトの問題点を指摘していきます。

そうした学問的、科学的な批判のあり方においてアイゼンクは次のように述べています。

科学者にとって、真理への二つの接近法がとくに重要です。

そのひとつは、事情をよく知って建設的に批判することです。現役の科学者にとって、そのひとの同僚によって彼の理論や見解が討議され批判されるのを聞くこと以上に有益なものはありません。批判が根拠薄弱なものであれば、彼の理論が生き残ると分かります。根拠がしっかりしていれば、彼はその理論を変更するかあるいは放棄する必要のあることを知ります。批判は科学の活力です。

ところが、精神分析家は、とりわけフロイト自身が、どのような場合もどのような形の批判をも嫌い、くじけさせてきました。批判者に対するほとんどの反応のしかたは、未処理のエディプス・コンプレクスのためであるとか、そのほかの似たような原因による精神力動的「抵抗」によるものという非難です。

これは公正な返答とはいえません。批判者の動機が何であれ、批判者の指摘に精神分析家は包み隠しなく、論理的にも一貫性のあるやりかたで判定すべきです。

批判者からの返答に論敵を屁理屈でやっつける議論、、、、、、、、、、、、、、をすることは、じつは批判に答えられない者が最後の逃げ場とするものであり、科学的議論としてはまじめにとりあげることはできません。
※一部改行しました


批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P11

批判は学問や科学において有益である。互いに根拠やデータを示し、その理論の正当性を議論していくことでその学問は発展していく。

そういう立場でアイゼンクはフロイトの理論に対して批判をしていきます。また、それに対してフロイトを讃美する学者たち、あるいはフロイト自身はかつてどのような態度を取ったのかということもこの本では明らかにされます。

そして彼は次のように述べます。

フロイトは、数々の神経症的な症状に悩まされていましたので、長い時間をかけて自己分析を行いました。彼はその際に患者の治療経験に基づいて、自分の小児期のできごとに焦点をあて、幼児期の性格発達が人格の形成や神経症の成立に重要な役割をはたすと強調しました。

自分の夢を分析し、その背後にある母との細かなできごとと照らし合わせ、幼児期に抑圧されていた感情、つまり父に対する敵意と破壊衝動、母への熱烈な愛情を見つけたと考えました。このようにして、エディプス・コンプレックスが生まれました。
※一部改行しました


批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P25

前回紹介した伝記にもありましたが、フロイトは科学的な研究の結果というより、自己分析によってエディプス・コンプレックスを生み出しました。フロイトはそれをニュートンなどの自然法則と同じように人類普遍の理論だと述べましたが、実はフロイトの個人的な自己分析のようなものだったのです。そしてアイゼンクは続けます。

一九〇〇年には、精神分析についてのはじめての大著である『夢判断』が発表されました。フロイトは次々と本を出版し、後にウイーン精神分析協会を結成することになる多くの信奉者を魅惑し、職業的な地位も上がりました。

ところがフロイトは後継者に対しては非常に独裁的で、細かいところまで心からの賛意を表していないと締め出しました。

追放されたひとびとの中では、おそらくユングが最も有名でしょう。フロイト自身もこのような傾向にかすかに気づいていたようで、一九一一年の手紙で次のように書いています。

「私は常に忍耐し、権威を行使しない主義だが、実際にはなかなかうまくいかない。それは、車と歩行者の関係に似ているように思う。私は車を運転するようになる前は、運転者の無謀を怒ったが、車に乗りはじめると、歩行者の不注意に腹を立てるようになった」。

精神分析はそれ以来礼賛者の集まりとなり、部外者には冷たく、根拠のある批判も断固として拒絶し、協会のメンバーによる数年間の教育分析が通過儀礼として必要だと主張しています。

フロイトの人生で、重要なできごとはほとんど書いたと思います。その他の必要な事柄は、後の章で適宜述べることにします。

フロイトの伝記はたくさん本屋に並んでいますが、残念なことにそのほとんどは、指導者にまったく盲目である英雄崇拝者、いかなる批判をも冒漬と考える人たちによって書かれた聖人伝にすぎません。客観的な事実でさえ、誤って解釈、表現されているため、フロイトの伝記はほとんど信用がおけません。

残念ながら、まったくおなじことをフロイトの著作についてもいわざるをえません。フロイトは、事実をありのままに書く人ではありませんでした。

歴史家からみて明らかに先人の業績であっても、それをめったに認めなかったことはすでに述べました。

なぜこのような態度をとったのでしょうか。おそらく、フロイトは自分自身と自分の業績を中心において、神話を築こうと心に決めていたからだと思います。

フロイトは、悪意に満ちた環境に立ち向かい、迫害を受けながら、最後には勝利を得る古代の英雄に自分を見立てました。後継者たちに支持されて、フロイトは、自分自身と自分が行っている戦いについての虚像を、世界中に印象づけることにかなり成功しました。

しかし、歴史的事情に通じているひとは誰でも、事実とフロイトの話の違いに気づきます。そこで、フロイトと後継者たちの著作を読み、解釈するときには、いくつかの原則を守った方がよいでしょう。これからその原則を述べますが、実例をあげて、なぜそれに従った方がよいかを説明します。
※一部改行しました

批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P25-27

前回紹介したルイス・ブレーガー著『フロイト 視野の暗点』はこの本が出てからかなり後に出版された本ですので、こうしたフロイト礼賛本ではありません。しっかり批判と向き合って書かれた本ですのでご安心ください。

では、この記事の最後としてフロイト理論の中心となった子供の性欲、エディプス・コンプレックス、去勢恐怖などのもとになった「ハンス坊や」の症例とそれに対するアイゼンクの反論を見ていきます。

子供の発達についてのフロイトの理論はもちろんよく知られていますが、その詳細を順を追って手短かに述べましょう。

男の子は母親と性交したいという生来の欲望を持っていますが、父親は母親に対して優先権があるので、この欲望を実行しないように脅かしていると感じています。

男の子は、姉妹が、彼にとって重要な意味を持つすばらしいおもちゃであるペニスを持っていないことに気づいて去勢不安をつのらせます。恐怖は増大してこれらの不適切な欲望を全部あきらめさせ「抑圧」させます。

それは、無意識のうちに有名なエディプス・コンプレックスとして生き続け、後になってありとあらゆる種類のやっかいな神経症の症状をひきおこします。

このエディプス・コンプレックスはフロイト派の理論の中心的役割をはたしているようなので、私たちは、それを支持する経験的・観察的などんな根拠があるか後でみてみましょう。
※一部改行しました


批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P102

本文ではここからかなり丁寧にこの「ハンス坊や」の症例とその批判について見ていきますが、ここでは長くなるのでご紹介できません。その流れはぜひこの本を読んでみて頂きたいのですが、アイゼンクは同じく批判者のキオフィの言葉を借りて次のように述べています。

フロイトの解釈のやり方を調べていくと、典型的な場合には、理論的な先入観から症状の基礎にあるはずだと思い込んでいる体験をすべて集めることからはじめる。

それから、その体験と説明との間を行ったり来たりして、説得力はあるけれど偽りのつながりを両者の間に構築する。

こうやって、呼吸困難の発作に、父親の性交時の息づかいの暗示を見出すのである。おなじように、神経質な咳、、、、、からフェラチオを、偏頭痛から処女喪失を、ヒステリー性の意識消失からオルガスムを、虫垂炎から出産の痛みを、ヒステリー性嘔吐から妊娠願望を、食思不振から妊娠恐怖を、飛込み自殺から出産を、強迫的に帽子を脱ぐことから去勢恐怖を、黒にきびを潰すことからマスターベーションを、ヒステリー性の便秘から肛門理論における出産を、荷馬車の馬がころぶことから出産を、夜尿から夢精を、びっこから未婚の母を、強迫的に紙幣を消毒することから年頃の女の子を誘惑するという罪悪を、それぞれ読み取っているというのである。(以上、キオフィの言葉 ※ブログ筆者注)

科学は、主観的な解釈に基づいてはなりません。子供の発達についてのフロイト派の説明は、神経症症状の発展から推察されていて、まったく承認できないものであり、しっかりした事実によって否定できます。フロイト派の理論の基礎であり子供の精神分析を生み出した分析でもあるハンス坊やの症例を調べればこの結論はいっそうはっきりするでしょう。
※一部改行しました


批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P112-113

そしてこの章のまとめとしてアイゼンクは次のように結論します。

以上、フロイトのお気に入りである子供の発達についての理論、そのもとになる根拠、フロイトが子供の精神分析という考えを世界に紹介するのに使ったハンス坊やの症例について多少詳しく議論してきました。

この検討の結果は気持ちを暗くします。フロイトの科学的態度の完全な欠如、ほとんどが仮説に過ぎない解釈への素朴な信頼、観察された事実の無視と黙殺、他の理論の可能性を考慮しないこと、批判者への軽蔑、自分に誤りがないというメシア的信仰などが描き出されます。

これらを混ぜ合わせても科学的知識は生まれません。そして、フロイトによってハンス坊やの症例が分析されてから七五年たった今でさえ、エディプス・コンプレックス、去勢恐怖、早期幼児性欲に関するフロイトの仮説を裏づける根拠は得られていません。

精神分析の用語は一般市民に浸透し、文学者などの科学的背景を持たないひとびとの著作や会話を気のきいたものにするために広く使われています。

しかし、事実を主張するには根拠が必要と考える心理学者の間では、こういうフロイトの思想はほとんど価値がないと思われています。

このように信用がない理由は次の章で明らかになるでしょうから、次のことをいうだけにしましょう。

つまり、これらの根拠のない仮説が精神科医と精神分析家に広く受け入れられていること、フロイトは彼の説得力で高い知性のひとびとを説き伏せたということ、神経症及び他の病気の治療に彼の方法が広く使われ応用されていることが注目に値します。

どうしてこうなったのか説明するのは科学歴史学者の仕事でしょう。私はこのまったく奇妙な発展について何もいうつもりはありません。

科学的説得というよりは宗教的改宗という傾向があり、事実と実験よりは信用と信念に基づいており、証拠と確認よりは示唆と宣伝を信頼するようだとはいえますが。実際、フロイトの見解に味方するどんな実験的根拠があるでしょうか。
※一部改行しました


批評社、H・J・アイゼンク著、宮内勝、中野明徳、藤山直樹、小澤道雄、中込和幸、金生由紀子、海老沢尚、岩波明訳『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』P125

「精神分析の用語は一般市民に浸透し、文学者などの科学的背景を持たないひとびとの著作や会話を気のきいたものにするために広く使われています。」

「科学的説得というよりは宗教的改宗という傾向があり、事実と実験よりは信用と信念に基づいており、証拠と確認よりは示唆と宣伝を信頼するようだとはいえますが。実際、フロイトの見解に味方するどんな実験的根拠があるでしょうか。」

これらの言葉は非常に大きな意味があると思います。

これまで当ブログでお話ししてきたマルクス・フロイトとの共通点とも重なってくる点です。

アイゼンクの『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』は非常に重要な示唆を与えてくれる作品です。あまり有名な本ではないようなのですが、この本のインパクトは計り知れません。

次のページでは引き続きこの本を参考に、フロイト理論をどう考えていくべきかということをお話していきたいと思います。

※ただ、アイゼンクについては最近論文不正問題が指摘されています。

Wikipediaにも、

ハンス・ユルゲン・アイゼンクHans Jurgen Eysenck1916年3月4日 – 1997年9月4日)は、ドイツ心理学者

不適切な学習によって神経症が引き起こされると考えた。行動療法によって治療しようと試みた。 パーソナリティ研究の分野で活躍した。1975年アイゼンク性格検査を考案した。 精神分析の実証性について痛烈な批判を行ったことで知られる。

没後21年となる2019年に論文の不正が指摘され、大学により25報の共著論文が「安全ではない」とされた。最終的に学術誌により71論文に懸念表明がなされ、14論文が撤回された[1]

Wikipediaより

また、『白楽の研究者倫理』というHPの中の「心理学:ハンス・アイゼンク(Hans Eysenck)(英)、生命科学:ロナルト・グロッサルト=マティチェク(Ronald Grossarth-Maticek)(ドイツ)」というページではこの件に関する詳しい顛末が紹介されています。

アイゼンクは自身の理論を用いてフロイト理論を批判したのではなく、事実やデータを用いて批判しました。

巻末の訳者あとがきでも「著者は感情的な表現はせず、自分の意見も極力少なくし、フロイトと精神分析の非科学的事実を紹介することに力を注ぎ、判断を読者にゆだねるというスタイルをとっています。」とあります。

ただ、今回のアイゼンクの論文不正問題は残念です。

アイゼンクは事実やデータを用いてフロイトを批判しました。

しかしそのアイゼンク自身も同じように批判され、彼の理論の問題点が指摘されることになったのです。

数字でわかるような実証的なデータを得られない精神分析、心理学の難しさを感じざるを得ません。私は専門家ではありませんのでこの捏造問題の顛末もこの記事を通してしか知りません。ですので実際どうなっているのかは私にはこれ以上述べようがありません。

ただ、私が当ブログでアイゼンクを取り上げたのはフロイト説の問題点を明確に指摘しているからです。そしてさらに言えば、私が述べたいのは「フロイトのドストエフスキー論は事実に基づいていない」という1点です。私はフロイトを全否定しているわけでもなく、現在の精神分析に対しても特に意図することはありません。

ですので、アイゼンクは最近批判もされていますが、彼の『精神分析に別れを告げようーフロイト帝国の衰退と没落』においては彼の心理学理論とは別物であり、フロイトの批判としては的確なものが含まれていますので当ブログで参考にしていきたいと考えています。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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