『グリム童話』と19世紀ドイツナショナリズム~メンデルスゾーン家のサロンにも来ていたグリム兄弟
『グリム童話』と19世紀ドイツナショナリズム~メンデルスゾーン家のサロンにも来ていたグリム兄弟
今回ご紹介するのは1989年に筑摩書房より発行されたヤーコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム著、池内紀訳『グリム童話』です。
まず、この作品について見ていく前にグリム兄弟のプロフィールを見ていきましょう。
ドイツのゲルマン文献学者の兄弟。共同の著書として、『ドイツ伝説集』『グリム・ドイツ語辞典」、またヤーコブの著書、『ドイツ文法』、ウィルヘルムの井再に『ドイツ英雄伝説』などがある。
筑摩書房、ヤーコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム、池内紀訳『グリム童話』
前回までの記事で紹介したアンデルセンもそうでしたが、グリム兄弟もメンデルスゾーンと同時代人であり、19世紀初めから中頃に活躍した比較的最近の時代の人物でした。
アンデルセンもグリム兄弟ももっともっと昔の人だと想像していた私にとっては驚きでした。
そして何よりも、このグリム兄弟もメンデルスゾーン家のサロンに出入りしていたという事実。
19世紀のベルリンで最も知的で華やかなサロンの一つであったメンデルスゾーン家のサロンには多くの著名人が出入りしていました。あのヘーゲルも訪れていたそうですし、音楽界、文学界、教育界の重鎮がたくさん集まり、非常に文化水準の高いサロンだったと言われています。その中にグリム兄弟も含まれていたのです。
メンデルスゾーンの伝記を読んだ時は本当に驚きました。まさか音楽家の伝記でグリム童話の作者が出てくるとは思わないですよね。
というわけでこれも何かのご縁ということで私はグリム童話を読んでみたのでありました。
巻末の訳者あとがきによると、グリム童話は1812年と1815年に出された『子どもと家庭のためのお伽噺』という本に収録されたものがその主なものだそうです。
『グリム童話』といえば『ヘンゼルとグレーテル』や『赤ずきん』、『ブレーメンの音楽隊』など、私たちがよく知っている作品があります。これらの原作はどのようなものか、私たちが知っている絵本などとどのように違うのかと興味があったのですが、読んでみると割と原作に忠実に作られているということがわかりました。
また、ディズニーで映画化された『白雪姫』もこのグリム童話が原作でした。
原作ではかなりコンパクトなお話で、ディズニーはかなり話を膨らませて映画を作っていたことがわかります。そしてアンデルセンの『人魚姫』や『雪の女王』ほどは原作から大きく改変は行っていないという感覚をうけました。
グリム童話と、アンデルセン童話。
アンデルセンの童話は大人が読んでもジーンとくるような、ものすごく繊細な感受性が感じられるお話がたくさんありましたが、グリム童話はどこか淡々としている印象を受けました。これはきっと、アンデルセンが自分の感受性や想像力をフル稼働して物語を創作したのに対し、グリム兄弟は学者として実際に人々が話している童話を収集して童話集を作ったという、創作過程の違い、その内容の性格の違いがあるのではないかと思われます。
グリム兄弟が人々の童話を集めていた際のエピソードについて、訳者はあとがきで次のように述べていましたので紹介します。
グリム兄弟は、とりわけすてきな耳をもっていたのだろう。録音器や速記術もないころに口伝えにつたわる童話をあつめることができたのは、ことばに対する鋭敏な耳のカだった。とともに敬虔さというものがあったからにちがいない。二人はそのころ、ゲルマンの森にひそんだ神話や説話や英雄バラードの研究をはじめたばかりだった。
その際、いち早く気がついた。神々や英雄の物語だけが貴重なのではなく、狼や、ねずみや、小人や、小娘が主人公のお伽噺も、それに劣らず立派な文学なのだ―
せっかくの学識をうっちゃらかして、古いお伽噺に熱をあげている二人に、文芸学者のシュレーゲルが忠告した。
「あなたがたは、つまらないものに敬虔すぎるのではありませんか」
そんな差し出ぐちには耳をかさず、二人はねばり強く口伝えにつたわる昔ばなしを採集して、丹念に書きとめた。それを「つまらないもの」などと、少しも思わなかったからである。むろん、グリム兄弟のほうが正しかった。シュレーゲルの文芸論文など、今日、研究者以外の誰も読まないが、グリム童話は世界中の人々に愛読されている。
ところでグリム兄弟は耳から聞いた話を、どのように書きとめたのか。ある手紙のなかに書いている。自分たちは昔ばなしを、「できるだけ純粋な形でとらえようとした」のだと。尻切れとんぼの話でも、むりに完成させたりはせず、何をつけ加えることもせず、ことさら飾ったりもしなかった、というのである。気ままな改作は、グリム兄弟のもっともきらうところだった。
筑摩書房、ヤーコブ・グリム、ヴィルヘルム・グリム、池内紀訳『グリム童話』 上巻P327-8
文芸学者の「そんなつまらないものを集めてどうするのだ」という言葉に対する、グリム兄弟の直感の正しさは非常に興味深いですよね。
また、この引用の最後に書かれた箇所ですね。ここで述べられているように、グリムはあくまで「創作」は行っていないのです。ここにいちから物語を創作したアンデルセンと、童話を採集したグリムの違いが表れています。だからこそ読んだ時に受ける感覚が違うのでしょう。もはや同じ童話といってもジャンルが違うとすら言えるかもしれません。
そしてこの「民衆の伝統的な童話を採集する」という姿勢は、ある作曲家を連想させます。
それはハンガリーの大作曲家バルトークです。彼も自分達の文化のルーツを探るために国中、ヨーロッパ各国を歩き回り、伝統的な音楽の採集を地道に続け、研究をしていました。
他にも、チェコのスメタナも、フィンランドのシベリウスも、ロシアのチャイコフスキーも皆自国の独自の音楽を研究しています。
自国独自のものとは何なのかという探究をした偉大な人物が19世紀にはたくさん出てきます。これは文学も同じで、ドストエフスキーも「ロシアとは何なのか、ヨーロッパにおいてロシア人は何を意味するのか」ということを探究した作家でもあります。
こうした音楽家、作家とのつながりもグリム兄弟から感じることになりました。
そして最後にもう一つ、こうしたドイツ独自のものを見出そうとした19世紀ドイツ・ナショナリズムについてお話ししたいと思います。
19世紀ドイツ・ナショナリズムとグリム兄弟
19世紀ドイツの始まりは何と言ってもナポレオン戦争による抑圧時代ということができます。
この時代はナポレオン率いるフランス軍がドイツ諸地域を占領し、支配していました。
異国の占領下に置かれることは歓迎される状況とは言いがたく、フランスに統治された期間は虐げられたゲルマン人としての自己認識を強めるばかりとなった。
フィヒテはこの感情を、一ハ〇七年から〇八年にかけてべルリン・アカデミー(プロイセン科学アカデミー)で「ドイツ国民に告ぐ」という一連の挑発的な講義で醸成した。講義のなかで彼は、独立した国民・国家というへルダーの概念を感情的な新たな高みにまで押しあげた。
その〔言語・文化的な単位としての〕民族との一体感を通してのみ、個人は完全な自由を実現することができる、と彼はフランスの支配下で苦労するべルリンの聴衆に向かって断言した。かたや〔政治的な単位としての〕国民・国家そのものは、魂と目的をもった美しい、有機的な存在である、というものだった。
その結果、自分たちの言葉で書かれたドイツの過去にたいして新たな関心がほとばしるように生まれ、この国で最も有名な言語〔文献〕学者で童話愛好家であるヤーコブとヴィルヘルム・グリム兄弟によってそれが具体化された。すでにドイツの慣習、法、言語の考古学情報を提供する雑誌『アルトドイチェ・ヴァルター(古いドイツの森)』を発刊していた彼らは、一八一五年に新たな訴えを発表した。
「このたび一つの社会を創設した。これからドイツ全土に広げるつもりの社会で、ドイツの農民一般のあいだに見出せる既存の歌や物語を記録し、集めることを目的とするものである」。
これは「想像上の国家建設」の作業である。べストセラーとなった『子供たちと家庭の童話』〔グリム童話の原題〕に取り入れられたおとぎ話や民話の多くが、フランスのユグノー出身の中流階級の女性たちから聞いたものだったという事実にもかかわらず、これらの童話はドイツ国民の伝統にさらなる創作された厚みを加えることになった。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P34-5
19世紀始め当時のドイツの時代背景がここからもうかがえますよね。
フランスに占領されているということから、「ドイツ人とは何なのか」というナショナリズムが生まれ、そこから民族意識を高めることで国力を高めるという流れができてきます。その流れの一つにグリム童話があったというのは「う~む、なるほどな・・・」と思わず唸ってしまいました。
『赤ずきん』や『ヘンゼルとグレーテル』や、ディズニー作品にもなった『白雪姫』などなど、グリム童話は私たちにも非常に馴染み深い作品です。
ですがグリム兄弟が実際にいつ頃に活躍し、どのような流れから生まれてきたのかというのは全く知りませんでした。
メンデルスゾーン家のサロンに出入りしていたという驚きから彼らの童話を読んだわけですが、これはいい経験になりました。
ぜひぜひ、大人になった今だからこそ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「『グリム童話』と19世紀ドイツナショナリズム~メンデルスゾーン家のサロンにも来ていたグリム兄弟」でした。
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