ひのまどか『ショパン―わが心のポーランド』あらすじと感想~天才ピアノストの生涯を知るのにおすすめの伝記!
ひのまどか『ショパン―わが心のポーランド』あらすじと感想~ショパンの生涯を知るのにおすすめの伝記!
今回ご紹介するのは2006年にリブリオ出版より発行されたひのまどか著『ショパン―わが心のポーランド』です。
この作品は「作曲家の物語シリーズ」のひとつで、このシリーズと出会ったのはチェコの偉大な作曲家スメタナの生涯を知るために手に取ったひのまどか著『スメタナ』がきっかけでした。
クラシック音楽には疎かった私ですがこの伝記があまりに面白く、「こんなに面白い伝記が読めるなら当時の時代背景を知るためにももっとこのシリーズを読んでみたい」と思い、こうして 「作曲家の物語シリーズ」 を手に取ることにしたのでありました。
この作曲の物語シリーズについては巻末に以下のように述べられています。
児童書では初めての音楽家による全巻現地取材
読みながら生の音楽に触れたくなる本。現地取材をした人でなければ書けない重みが伝わってくる。しばらくは、これを越える音楽家の伝記は出てこないのではなかろうか。最近の子ども向き伝記出版では出色である等々……子どもと大人が共有できる入門書として、各方面で最高の評価を得ています。
リブリオ出版、ひのまどか『ショパン―わが心のポーランド』
一応は児童書としてこの本は書かれているそうですが、これは大人が読んでも感動する読み応え抜群の作品です。上の解説にもありますように「子どもと大人が共有できる入門書として、各方面で最高の評価を得ています」というのも納得です。
ほとんど知識のない人でも作曲家の人生や当時の時代背景を学べる素晴らしいシリーズとなっています。まさしく入門書として最高の作品がずらりと並んでいます。
さて、今作の主人公はポーランドの天才ピアニスト、ショパンです。
ショパンといえば最近も国際ショパンコンクールが話題になりましたよね。
ショパンがポーランドの有名なピアニストということは知っていましたが、正直いざこの方がどんな生涯を送ったのかということはほとんど知りませんでした。
この伝記はそんなショパンの生涯や人となりを知る上で最高の1冊です。読んでいて驚くような事実がたくさん出てきます。
この本のあとがきで著者のひのまどか氏は次のように語っています。少し長くなりますが非常に重要な箇所なのでじっくり読んでいきます。
この「作曲家の物語シリーズ」にショパンを入れて欲しいという読者の皆さまからのご要望は、常に数多く頂いていた。私は幾度も取りかかろうと思って下調べを重ねたが、なかなか踏み切れなかった。ショパンの天才とその業績の偉大さは十分承知していたものの、大きな疑問が二つあって、それが書くのをためらわせていたのだ。
一つは、ジョルジュ・サンドとの関係。
これまで世に出た膨大な数のショパンの伝記の類は、全てと言っていい程サンドを「男狂いの悪女」と決めつけていて、ショパンにとってサンドとの関係は「悪縁」、彼はこの悪女の毒牙にかかった「犠牲者」、とヒステリックな程にサンドを罵倒していた。
本当にそうだろうか?ショパンほどの優れた感性の持ち主が、そんなつまらない女に引っかかるだろうか?私は女性だけに、全て男性の手に成るそれらの著書の中に女性蔑視からくる偏見を感じないでは居られなかったが、それを覆すだけの資料や知識もなかったので、多少なりともサンドへの偏見を植え付けられ、ショパンのことも分らなくなった。
そうこうする内に、近年フランスでサンド研究の気運が急速に高まってきた。サンドの生誕二百年目に当るニ〇〇四年には彼女の二万通にも上る書簡集が刊行されて、その抜粋が翻版でも出た。それによってサンドの交流相手は十九世紀を代表する芸術家、政治家、思想家、作家たちであることが判った。
また、フランスや日本の女性研究者たちによるサンド関係の本も次々に出てきた。
そこで再構築されたサンド像は、豊かな知性と人間愛に溢れた、情熱的で魅力溢れる女性である。
さらに私にとってサンドの姿を知る上で決定的だったのは、昭和十年代、二十年代に日本でも刊行されていたサンドの短編・中編・長編小説を十作近く文庫本で読めたことだった。この内「愛の妖精」と「笛師のむれ」だけはごく最近文庫本で復活してきたが、それ以外はどこを探しても手に入らなかった。
これらの貴重な本を寄贈して下さった京都市の服部武先生には、心から感謝申し上げます。
サンドの小説は、圧倒的な筆力と巧みなストーリー展開で読み手の心を膕んでしまう。それ以上にすばらしいのは、広く暖かい視点と弱者への労りや正義感に満ちた文面で、そのままサンドの人となりを物語っているように思えた。ショパンがサンドの才能や人間性に魅せられない訳はなく、二人の間には男女の関係を超えた知的・芸術的連帯感があったに違いないと、私は確信した。そして偏見のないサンド像、および二人の関係を伝えるためにも「ショパン」を書こうと思ったのである。
もう一つの疑問は、ショパンはなぜ一度もポーランドに帰らずパリに留まりつづけたのか、ということだった。
これも、サンドとの恋愛を中心にしたショパン伝などでは、ショパンがサンドとの恋に溺れていたためとか、パリ社交界のアイドルの地位に執着していたかの様に書かれたものが多かった。
本当にそうだろうか?ショパンの中に帰国しようという気持はなかったのだろうか?
この点については、パリ・ポーランド歴史文芸協会がニ〇〇二年に日本で発表した「ショパン・パリコレクション」が、一度に疑問を解いてくれた。ここには、ショパンが国を出た年一八三〇年の「ワルシャワ蜂起」後のポーランド人の動向が詳しく載っている。ポーランドの人々は、ロシアの圧制に屈服するか反抗するかの苦渋の選択を迫られ、反抗する者には亡命者となる以外に道はなかったのだ。彼らはショパンが居たパリに集結し、強固なつながりを持つ亡命ポーランド人社会を形成していった。ショパンをパリに引き留めていたのは決してサンドとの愛だけではなく、亡命ポーランド人との連帯感が非常に強かったこと、ショパンもまた真の愛国者であり革命家だったことが分ったのである。
これは、ショパンの音楽の男性的な側面を理解する上で重要な情報だと思う。
このような訳で、この「ショパン物語」は再評価されたサンド像と、パリの亡命ポーランド人社会に焦点を当てたものになっている。
ショパンの研究は途切れることなくつづいているので、今後も新しい事実が次々に発見されるだろうが、少くとも現時点で分っている情報を可能な限り幅広く、客観的に、取り入れたつもりだ。
それにしても、馬車が交通手段だった時代にショパンは良くもこれだけ多くの遠距離の旅をくり返したものだ、と足跡をたどりながらつくづく思った。病弱なショパンが苛酷なこれらの旅で命を縮めたのは確かだろう。
リブリオ出版、ひのまどか『ショパン―わが心のポーランド』 P285-288
この伝記を読んで驚いたのはショパンの人生もさることながら、その恋人ジョルジュ・サンドの存在でした。
ジョルジュ・サンドはフランスの作家です。これまで当ブログではドストエフスキーと世界文学をテーマに更新を続けてきましたが、まさにこのジョルジュ・サンドも何度もご紹介してきました。
上の記事のタイトルにもありますように、ドストエフスキーはジョルジュ・サンドの作品に強い影響を受けていました。その中でもこの『スピリディオン』という作品が書かれたのがまさしくサンドとショパンが1838年にスペインのマヨルカ島の修道院に滞在していた時だというのですから驚きです。
サンドとショパン、二人の芸術家の奇妙な関係は読んでいてとても刺激的でした。
そしてもう1点。上の引用の後半に出てきたポーランドとショパンの関係です。ショパンといえばポーランドのイメージですが、実際にピアニスト、作曲家として活躍していた頃にはすでにポーランドにはいませんでした。いや、正確には、いることができませんでした。
その経緯は上の引用の通りですが、19世紀におけるロシア・ポーランド事情をこの本では知ることができます。ドストエフスキーの小説を読んでいるとよくポーランド人が出てくることに気づくと思います。しかもそのほとんどが好人物としては描かれていません。ロシア人のドストエフスキーがポーランドにいい印象を持っていないことがそこからも伺えます。19世紀ロシア・ポーランドを軸としたヨーロッパ事情を学ぶ上でもこの伝記は非常にありがたいものとなっています。
この伝記もものすごく刺激的で面白い1冊でした。非常におすすめです!
以上、「ひのまどか『ショパン―わが心のポーランド』ショパンの生涯を知るのにおすすめの伝記!」でした。
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