J・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』あらすじと感想~子供達から見たボスニア紛争とは
ヤスミンコ・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』概要と感想~ボスニア紛争を体験した子供達の声
今回ご紹介するのは2015年に集英社インターナショナルより発行された ヤスミンコ・ハリロビッチ著、角田光代訳、千田善監修『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』 です。
早速この本について見ていきましょう。
1992年から4年間にわたって続いたサラエボ包囲戦は犠牲者の多くが一般市民という、近代史上まれに見る悲惨な戦争でした。山の上からスナイパーが市民を無差別に殺すありさまに国際社会は衝撃を受けました。
その戦いが終結してから20年、かつては「戦時下の子どもたち」であった人々もいまや30代前後。サラエボ生まれの彼らに向かって本書の著者ヤスミンコ・ハリロビッチー彼もまた戦争が始まったときは4歳でしたーが呼びかけて出来たのが本書です。
SNSを通じて集まった数千のメッセージから厳選してできた本書は、そんな「戦時下の子どもたち」の喜怒哀楽が詰まった1冊。ここに「あなたの知らない戦争」があります。
巻末には元サッカー日本代表監督イビツァ・オシム氏(サラエボ出身)の書き下ろしエッセイを掲載。
Amazon商品紹介ページより
この本は幼少期にボスニア紛争を経験したヤスミンコ・ハリロビッチがSNSを通して集めた声をまとめた作品です。本の前半部分ではボスニア紛争、サラエボ包囲戦の概要が簡潔に解説され、そこから実際に紛争を体験した人たちの声を聴くことになります。この本も衝撃的です。
この本の成り立ちについて著者は次のように述べています。
2010年になった。戦争が終結して約15年が過ぎた。小学校のあと、ぼくはサラエボ第1中等学校を卒業し、サラエボ大学経済学部に進んだ(ボスニアの学制の中等学校は日本の高校に相当する)。中等学生のとき、友だちのアーシャといっしょに「サラエボ的思考」というブログをはじめた。そのぼくたちのプロジェクトは好評で、ボスニア・へルツェゴビナではじめて書籍化されたブログとなった。以来、ぼくは数点の詩を発表し、サラエボにかんするもっとシリアスな写真付きエッセイ集『サラエボ―ぼくの町出会いの場所』を出版した。
この間のぼくはずっと、戦争に巻きこまれた子どもたちをテーマにして、自分で何か書けないかと考えていた。何度か書き出してはみたけれど、すでにすばらしい日記が何冊も出版されていることを思うと、ぼく個人が提供できるものはたいしたものではないと考えた。そしてほかの人々と話しているうち、ぼくたちのだれもが独特なものを内に秘めていると気づいた。そうだ、この本をみんなに開放しよう、とぼくは決めた。
2010年6月、インターネット上で、戦争中のサラエボで幼少期を過ごしたことのある人々にむけて、「子どものあなたにとって戦争とはなんでしたか」という質問に、短い回想文で答えてほしいと呼びかけた。
友だち、スポンサーであるメディア、ソーシャルネットワークなどのおかげで、このアイディアは、戦時下のサラエボで育った世代にすぐに広まった。現実的な理由から、回想の舞台はサラエボに限定した。サラエボ以外の話も集め出せば、ぼくたちの手に負えないことはわかっていたし、サラエボだけでもものすごい数の回想文が集まるだろうと思っていたからだ。もちろん、これらの回想文だけでボスニア全体で起こっていたことがわかるはずはない。けれど、どの都市であってもどの戦争であっても、巻きこまれた子どもの体験は共通したものがあるに違いないとぼくは確信している。だからサラエボで育った人に限定して、呼びかけたのである。
ほどなくして、世界のあちこちにいる人々から1,500以上のメッセージを受げ取った。このようにしてこの本は、戦時下のサラエボで育った経験を調査したはじめての書籍となった。2年間の編集作業の後、この世代の物語を語る、約1,000のメッセージを収録することになった。釣り合いをとることを心がけつつ、主要な感情と頻度の高いテーマのバランスを合わせられるよう、回想文を順序立てることにした。
この本では、間接的な回想はそのー部のみを選択し、直接本人が体験した純粋な証言を多く収録することに決めた。似通った証言や内容の同じ証言であっても、戦時下で育つことの理解に役立ちそうであれば、あえて重複させた。
こうした回想文のひとつひとつが、子どもにとって戦争とはなんであるのか、という問いへの答えである。それぞれの短い回想文の裏には、一個人と、その人独自の人生観が存在していることを、忘れてはならない。
集英社インターナショナル、ヤスミンコ・ハリロビッチ著、角田光代訳、千田善監修『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』 P36-37
紛争下で生きるというのはどういうことなのか。そしてそれを子供時代に経験するというのはどういうことなのか。
この本ではそのことをストレートに突きつけられることになります。
この本の意義について訳者の角田光代氏は次のように述べています。ボスニア紛争について学ぶ上で非常に重要な言葉ですので全文読んでいきます。
2013年、テレビの仕事でサラエボを訪れた。きっかけは、1冊のガイドブックだ。たまたま手にとった『サラエボ旅行案内ー史上初の戦場都市ガイド』(三修社 著・FAMA訳・P3 art and enviroment)というタイトルの本は、まさに戦時下のサラエボの町を紹介している。驚くのは、町が戦場となっていることだ。ふつうの人々が暮らす町が敵に包囲され、ふつうの人々が標的にされる。それはあたかも渋谷や新宿が封鎖され、通行人や買い物客が狙われているようなものだ。それなのに、町や暮らしを紹介する文章はアイロニカルで、ユーモアに満ちている。攻撃にさらされている町で、コンサートも演劇もサッカーの試合も催されていると書いてある。
なんなんだろう、この町は。そう思った。戦争は20年近く前に終わっているが、その町を見たい、その町に暮らす人々に会ってみたい。そう思って出向いたのである。いろんな人に会った。件のガイドブックを企画した女性コンサートを開き続けたバイオニスト、戦争で子どもを失った母親たち、当時子どもだった女の子。本書を偏集したヤスミンコくんにもそのときに会った。
まだ20代のヤスミンコくんは、ボスニア・へルツェゴビナ紛争と呼ばれる戦争が続いた、1992年から1995年に子どもだった人たちにインターネットで呼びかけた。「あなたにとって戦争ってなんだった?」と。彼自身、戦争開始時には4歳だった。
戦争が終わったとき、子どもだった彼はさみしそうだったと両親に言われたそうだ。それまで数えていた砲撃音がしなくなったから。つまり彼ら子どもたちは砲撃音の音を数えたり、弾丸を集めたりして、たのしみを見出していたのだ。そうだよな、子どもは何が起きているかわからないものな、と私が思った次の瞬間、彼は言った。ああした異常な世界では「ユーモアが生きる術になる」と。そうか、と思った。子どもはわからないのではない、言葉にならずとも本能的に知っている。遊ぶことで、笑うことで、たのしいと感じることで、子どもたちは闘っていたのだ。包囲され、砲弾が飛び交い、爆発が起き、ライフラインが切断されたなかで、そんなことにはぜったいに屈しないのだという意志を持って、子どもたちはたのしみをさがし続けたのだ。私は思ったそのことをヤスミンコくんに言ってみた。そうですね、と彼は言った。ふつうに暮らすことが抵抗だったのです。
サラエボの町をぐるりと取り囲む丘や山を敵は占拠し、通りを歩くー般人を銃で撃った。人々はそんな状況のなか、コンサートにいき、サッカーにいき、演劇を見にいった。それもまた、日常生活を奪われた人々の闘いだったのだ。
サラエボの人たちはライフラインを止められ、食料は人道支援団体から送られる「ランチパック」が主なものになった。本書にもあるとおり、子どもたちはいつでもおなかをすかせ、チョコレートを夢見ている。でも私はサラエボの人たちとヤスミンコくんに話を聞いていて思ったのだ。食べものは生命を維持する。でも「いのち」を維持するのは、音楽人だったり映画だったり芝居だったり本だったりスポーツだったり、会話だったり笑いだったり、目に見えない希望だったりするのではないか。そういうものがなくては、生命は生きても「いのち」は削り取られていくのではないか。私は、何か重大なことが起きるたび「自粛」を呼びかける、自分の住む国を思った。うたうことも笑うことも冗談を言うことも自粛され、自粛しないと白い目で見られ、ときに市井の人々からも総攻撃を食らう私たちが、もしこうした異常事態のなかにあったら「いのち」をどう生きながらえさせることができるのだろう。
集英社インターナショナル、ヤスミンコ・ハリロビッチ著、角田光代訳、千田善監修『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』 P 4-5
「子どもたちは何が起こっているのかわからないのではない。わかった上で楽しみを見つける闘いをしていた」
これは非常に印象に残りました。実際、この本を読んでいくとその意味がわかります。私は読み進めていて何度も鳥肌が立ち、涙が出そうになりました。子どもの時の視点というのは大人になった私達の想像するよりはるかに現実世界を鮮明に捉えているのだということがわかります。ぜひこの本を手に取り、彼らの言葉を聞いて頂きたいと思います。
そして、大人たちも失われた日常を取り戻すために、コンサートやサッカーに行き、演劇も楽しんだというのも印象に残りました。私がこの本を初めて読んだのは2019年に旅に出る前でしたのでその時は知りませんでしたが、実は独ソ戦におけるレニングラード包囲戦の時も同じことが起こっていたのでした。
ソ連の大都市レニングラード(今のサンクトペテルブルク)は独ソ戦中ナチスに包囲され80万人以上の餓死者が出る大惨事となりました。
その地獄のような状況の中でも、ある人たちにとって生きる支えとなったのは文化と芸術であり、人肉食ですら横行する地獄の中で人間性を保とうと闘っていた人がいたのです。
人間はただ食べるものがあれば生きられるのではなく、人間を人間たらしめる文化があってこそなのだということを上の本では知ることになりました。
このレニングラード包囲戦のおよそ50年後に起きたサラエボ包囲戦でも同じように人々は文化やユーモア、希望を支えに生き延びていたのでありました。
そしてもう一点。上の文章で訳者はこう述べていました。
「私は、何か重大なことが起きるたび「自粛」を呼びかける、自分の住む国を思った。うたうことも笑うことも冗談を言うことも自粛され、自粛しないと白い目で見られ、ときに市井の人々からも総攻撃を食らう私たちが、もしこうした異常事態のなかにあったら「いのち」をどう生きながらえさせることができるのだろう。 」
先ほども申しましたが私がこの本を初めて読んだのは2019年に旅に出る直前のことです。その時は「たしかにそうだよなぁ・・・」という気持ちは抱いたもののそこまで重大には考えてはいませんでした。
しかし、コロナ禍に沈む2021年の今、この著者の提言はどう考えたらいいのでしょう・・・
この恐ろしさがどれだけのものかは今や私達も実感しています。
今ほど寛容さが失われ、他者と協力することが難しくなっている時代はそうそうないのではないでしょうか。
少しでもお上の言うことから逸脱すれば白い目で見られ、総攻撃される。まさにその通りの時代ではないでしょうか。
皆さんは著者のこの提言についてどう思いますか?
こうした面からもボスニア紛争は遠い国で起こった私達とは無縁の紛争ではなく、私達の生き方に直結する問題なのだということが言えるのではないかと思います。
そして訳者は続けます。
対話の終わりに、この本はぼくの反戦の意志ですとヤスミンコくんは言った。この本を日本で紹介できないだろうかとそのとき思った。ふつうではない日常のなかで、懸命にふつうを守った人たちの言葉を届けられないだろうか。
私が見つけたガイドブックを企画した女性が言っていた。「多くの人は、自分の身に悪いことが起こるなんて思っていない」。戦争は、ある日突然やってくる。それが本当にやってくるまで私たちは気づかない。はじまったときも、「すぐ終わる」と思っている。「これ以上悪くなることはないはず」と思っている。そうして彼らは4年間も、戦争という異常事態のなかで暮らすことを強いられたのだ。私はそれを聞いてぞっとした。知らないうちに巻きこまれているという状況が、現実味を持って想像できたからだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争はものすごく複雑だし、町が包囲され、攻撃されるという異常な事態を理解するのもたやすいことではない。けれどここに集められたかつての子どもたちの声は、ひどくシンプルだ。戦争とは何か。大義でもなく解釈でもなく、じつに単純に子どもたちは言い当てている。
集英社インターナショナル、ヤスミンコ・ハリロビッチ著、角田光代訳、千田善監修『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』 P5-6
ここで『「多くの人は、自分の身に悪いことが起こるなんて思っていない」。戦争は、ある日突然やってくる。それが本当にやってくるまで私たちは気づかない。はじまったときも、「すぐ終わる」と思っている。「これ以上悪くなることはないはず」と思っている。そうして彼らは4年間も、戦争という異常事態のなかで暮らすことを強いられたのだ。私はそれを聞いてぞっとした。知らないうちに巻きこまれているという状況が、現実味を持って想像できたからだ。 』と訳者が述べた体験はまさしく私も体験したことでした。
私も現地でボスニア紛争を経験したガイドさんに全く同じことを言われました。驚くほど一緒です。その時の体験は「たった1本の路地を渡ることすら命がけ!サラエボ市街地にてボスニア紛争を学ぶ ボスニア編⑥」の記事でまとめましたが、今でもとても印象に残っています。そして私はそれを言われた直後、暴力はいつ自分の身に降りかかるかわからないということを嫌というほど思い知らされることになりました。ボスニアでの経験は一生忘れられないと思います。
この本は普通の歴史書や参考書とはかなり異なった趣で書かれています。
ですが、紛争の恐ろしさをストレートに感じられるという点で非常に際立ったものとなっています。
ぜひ、この本はおすすめしたいです。
以上、「J・ハリロビッチ『ぼくたちは戦場で育った サラエボ1992-1995』子供達から見たボスニア紛争とは」でした。
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