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高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』あらすじと感想~パレスチナ紛争のおすすめ入門書!

目次

高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』概要と感想~パレスチナ紛争のおすすめ入門書!イギリスの三枚舌外交とは

今回ご紹介するのは2010年に幻冬舎より発行された高橋和夫著『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』です。

早速この本について見ていきましょう。

なぜいつまでも仲良くなれないのか?なぜアメリカはイスラエルの味方か?ユダヤ、キリスト、イスラムの「神」は同じか?誰も書けなかった複雑な過去を抱えるパレスチナ問題の真実。

Amazon商品紹介ページより

この本の「はじめに」で著者は次のように述べています。

パレスチナ問題は難しい。解説書は、もっと難しい。

何とかわかりやすく、この問題を説明したい。そうした思いから私は、この問題の解説書を既に出版している。しかし、さらにわかりやすい本をとの思いから、本書を執筆した。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 より

ここで著者が述べるように、この本は複雑で理解が難しいパレスチナ問題をできるだけわかりやすく伝えるために書かれた1冊になります。

この本には私自身とても助けられた思い出があります。

というのも、私は2019年の世界一周の旅の中でイスラエルを訪れています。

パレスチナ問題の結果出来てしまったベツレヘムの分離壁 「ベツレヘムとパレスチナ自治区~分離壁に囲まれた町 イスラエル編⑯」より

私はそこで実際に現地でパレスチナ問題について学ぼうと考えていたのでありました。ですが、やはりそのためには予習も必要です。

そこでパレスチナ問題の基礎知識を得るために、まずはこの本で大まかな流れと時代背景を学んだのでありました。

この本は実際に入門書として最適で、複雑なパレスチナ情勢をわかりやすく解説してくれます。

第一章ではこのパレスチナ問題について著者は次のように述べています。

パレスチナという土地はあるが、パレスチナという国はない。そこにあるのは、イスラエルという国とガザ地区と、ヨルダン川西岸である。なぜ地名はあるのに、その地名の国がないのか、本章ではそのいきさつを語ろう。

「2000年にわたるイスラム教徒とユダヤ教徒の宗教対立」、そうした言葉で語られることの多いパレスチナ問題。しかし、この説明は間違いである。なぜならば、イスラム教が成立したのは600年代である。つまり、7世紀であり、その歴史はおよそ1400年ほどである。2000年もユダヤ教とイスラム教は争っているはずがない。

付け加えると、問題になっている土地のパレスチナには、キリスト教徒も数多く生活しており、「イスラム教徒とユダヤ教徒の対立」と単純化してしまうのは、キリスト教徒に失礼である。そもそもキリスト教は、この地に発し、その教えを守り続けた人々が現在も生活している。あまりに単純でわかりやすい話は、しばし危険である。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P16

この出だしの解説からしてとても興味深いですよね。入門者でも興味を持てるよう書いてくれているのがとても伝わってきます。

そして著者はこのパレスチナ問題がなぜ起こったのかということをこれから述べていきます。

シオニズムとは

それでは、問題はいつ頃に起こり、何が問題なのであろうか。そして誰と誰が、何を争っているのだろうか。

パレスチナの地で、現在にまで続く問題が起こり始めたのは、19世紀末である。ヨーロッパのユダヤ人たちが、パレスチナに移り始めた。自分たちの国を創るためにである。

ユダヤ人たちの、自分たちの国を創ろうという運動をシオ二ズムと呼ぶ。これはシオン山の〝シオン〟と〝イズム〟を合わせた言葉である。イズムとは、主義という意味の言葉である。主義というのは、この場合にはある政治的考えのための努力である。シオン山とは、パレスチナの中心都市エルサレムの別名である。エルサレムは、標高835メートルほどの丘の上に建てられている。新東京タワー、つまりスカイツリーが635メートルの高さであるから、それより高い所に位置する都市である。

ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに入ってくると、その土地に既に生活していたパレスチナ人との間に紛争が始まった。これが現在まで続く、パレスチナ問題の発端である。これは、つまり約120年間の紛争である。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P16ー17

パレスチナ問題を考えていく上でまず重要なのは「シオニズム」という概念です。

このユダヤ人の国を創ろうという「シオニズム」という概念がパレスチナでの紛争の発端となったのでした。

民族主義の台頭~なぜヨーロッパのユダヤ人はパレスチナへ向かったのか

それでは、なぜヨーロッパのユダヤ人たちは、この時期にパレスチナへの移住を考えるようになったのだろうか。それは、ヨーロッパで19世紀末になってユダヤ人に対する迫害が激しくなったからである。では、どうしてであろうか。

答えは、この時期にヨーロッパに民族主義が広まったからである。この民族主義がユダヤ人の迫害を引き起こした。この民族主義というのは、一体何だろうか。

民族主義とは、次のような考え方である。

⑴人類というのは民族という単位に分類できる
⑵それぞれの民族が独自の国家を持つべきである。これを民族自決の法則と呼ぶ
⑶個人は、属する民族の発展のために貢献すべきである

こうした考えによれば、個人の最高の生き方は、自らの民族の国家のために尽くすことであり、自らの民族が国家を持っていない場合は、その建設のために働くことである。

そして、この考え方に取り付かれた人々は、民族のため、国家のために大きな犠牲をいとわない。ときには命さえもささげる。お国のために死ぬという行為が、民族主義では最高の栄誉とされる。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P 17-18

19世紀末には民族主義が広がり、それによって世界情勢がどんどん変わっていったというのは非常に重要です。

これはユダヤ人にとっての歴史だけでなく、世界中あらゆるところで大きな影響を与えています。第一次世界大戦が起きたのもこうした民族主義の高まりと無関係ではありません。直接のきっかけとなったサラエボ事件もまさしく民族主義的な運動から起こったものでした。

サラエボ事件の現場、ラテン橋「サラエボ旧市街ツアー~ヨーロッパのエルサレムを散策 ボスニア編⑤」より

そして20世紀末にもサラエボでは悲惨な民族紛争が起きています。

民族主義の台頭は世界中で紛争の種を蒔いたのでした。

そもそも、「民族」とは何なのか

それでは、民族とは何だろうか。

これは共通の祖先を持ち、運命を共有していると考える人々の集団である。

ドイツ人、フランス人、ロシア人、イタリア人、スペイン人などが、この民族という単位に当たる。

これは客観的な基準によって成立するのではなく、あくまで集団の構成員の思い込みで決まる。同じ言葉を話したり、同じ宗教を信じていれば、この思い込みは容易になる。こうした民族主義が高まってくると、多数派のキリスト教徒は、少数派のユダヤ教徒を排除する傾向が強まった。ユダヤ人を同じ民族として受け入れようとはしなかった。つまり、宗教が違うからである。こうした流れの中でユダヤ人に対する迫害が高まったのだ。

ユダヤ人が、民族国家のメンバーとして認められないならば、のけ者にされた自分たちだけの国を創ろう。そうすれば、そこではユダヤ教徒という宗教の違いゆえの差別は存在しなくなる。これがシオニズムを生み出した考え方である。

しかし、考えてみれば、不思議な発想である。既に人々が住んでいる土地に、ヨーロッパ人が移り住んで、新しい国を創ろうというのである。前から住んでいた人々の都合などは、そこでは真剣に考慮されていない。なぜ、こうした発想が出てきたのだろうか。

それは、19世紀末が民族主義の時代であると同時に、帝国主義の時代であったからである。帝国主義というのは、ヨーロッパの大国が、またはアメリカが、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカを自分たちの都合だけで自由に分割し、支配する構図をさす。

この時期のヨーロッパやアメリカの人々は、勝手に世界を動かしていた。こうした時代の発想であったからこそ、現地(パレスチナ)の人々の意向を無視してのパレスチナでのユダヤ人の国家建設が始まった。シオニズムをあおった第二の風は、帝国主義であった。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P 19-20

ここで述べられるようにパレスチナにユダヤ人国家を創ろうとする動きが19世紀末頃から起こってきます。そしてこの運動を推進しようとする人たちをシオニストと呼びます。

このシオニストの存在が現在にも続くパレスチナ問題の発端となります。

ではここからいよいよパレスチナ問題が複雑な様相を見せてくるイギリスの三枚舌外交について見ていきます。

イギリスの三枚舌外交

シオ二ストたちが、国家建設の地と定めたパレスチナは、それでは誰が支配していたのだろうか。第一次世界大戦の終結まで、オスマン帝国という国が存在した。ここで帝国というのは巨大な国家一という意味である。

この帝国は、現在のトルコのイスタンブールに首都を置き、ヨーロッパ、アジア、アフリカに及ぶ巨大な領域を支配していた。

パレスチナは、この帝国の一部であった。そして、そこにはイスラム教徒、キリスト教徒、そして、少数ながらユダヤ教徒も生活していたが、争いはなく仲良く暮らしていた。

シオニストたちは、まず〝スルタン〟と呼ばれるオスマン帝国の支配者を説得して、パレスチナへの移住を始めた。

やがて1914年に、第一次世界大戦が始まった。イギリス、フランスなどの連合国側と、オーストリアなどの同盟国側の戦争であった。オスマン帝国は、ドイツやオーストリアなどの同盟国側に参加した。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P 22-24
イスタンブールのアヤソフィア 「すばらしきかなアヤソフィア~修理中もなんのその!トルコ編③」より

パレスチナ問題がいよいよ複雑になってくるきっかけは第一次世界大戦時のイギリスの三枚舌外交にありました。これからその三枚舌の内容を見ていきます。

一枚舌目 フセイン・マクマホン書簡~イギリスとオスマン帝国

連合国側のイギリスは、同盟国側のオスマン帝国を混乱させようとした。まずオスマン帝国支配下のアラブ人に反乱を呼びかけた。戦争に勝利した後には、アラブ人の独立国家を約束した。

1915~16年にかけて、イギリスの指導者の〝マクマホン〟とアラブ人の指導者の〝フセイン〟との間に、アラブ人の独立国家を約束する書簡(手紙)が交換された。これをフセイン・マクマホン書簡と呼ぶ。ちなみに、このフセインは、イラクのフセイン元大統領とは無関係の人物である。フセインという名は、イスラム教徒の間で多い名前なのだ。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P 24

当時、オスマン帝国は東ヨーロッパ、中東を支配する巨大な帝国でした。イギリスはこの巨大な帝国を混乱させるためにアラブ人をそそのかし、反乱を起こさせようとしました。アラブ人たちはオスマン帝国(トルコ人)の支配から独立することを望んでいました。そうした心情をイギリスが利用し、この戦争勝利のあかつきにはパレスチナにアラブ人国家を創ろうとアラブ人たちに約束したのでした。

二枚舌目 バルフォア宣言~イギリスとユダヤ人

他方でイギリスは、シオニストたちの戦争への協力も求めた。そしてシオ二ストたちに、戦争に勝利を収めた後には、パレスチナに国家のようなものを創ることを許すと1917年に約束した。

これは、約束したイギリスの政治家の名前(アーサー・バルフォア)をとって、バルフォア宣言として知られる。一つの土地を、アラブ人とシオニストの両方に約束したわけである。イギリスの二枚舌外交であった。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P 24-25

イギリスはアラブ人とユダヤ人の両方に同じ土地を与えようと約束したのでした。ですが当然そんなことは不可能です。イギリスはオスマン帝国を弱体化させるための秘密工作として、こうした履行不能な約束をちらつかせ、アラブ人とユダヤ人双方を動かそうとしたのでした。

しかしイギリスの理不尽な約束はこれだけではありませんでした。なんと、三枚舌目も存在したのです。

三枚舌目 サイクス・ピコ協定~イギリスとフランス

しかし、1916年にイギリスはフランスともオスマン帝国のアラブ人地域を分割する約束をしていた。これを、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定という。サイクスとは、この協定の交渉にかかわったイギリス人、ピコはフランス人の名前である。

この「サイクス・ピコ協定」では、現在のシリアとレバノンをフランスの勢力範囲に、イラク、ヨルダン、パレスチナをイギリスの勢力範囲に定めていた。

つまり、同じ土地をアラブ人とユダヤ人に約束して、あげくの果てには、自らのものにしようと考えていたわけだ。紳士の国イギリスならではの、三枚舌外交である。

第一次世界大戦後、パレスチナは、イギリスの支配する地域となった。具体的には、パレスチナはイギリスの委任統治領となった。誰の委任を受けているのかと言えば、第一次世界大戦後に発足した国際連盟であった。

連盟の委任を受けてイギリスは、パレスチナの人々が独り立ちできるようになるまでの期間、この土地を統治する形となった。実質上は、イギリスの領土となったが、さすがに時代も20世紀に入ると、余りにあからさまな植民地支配はためらわれるようになっていた。そこで委任統治という名目が使われた。つまり、アラブ人とシオニストに約束した土地を、どちらとの約束も守らずにイギリスは自分のものにしてしまったのだ。

幻冬舎、高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』 P 25-26

そしてこの後、第二次世界大戦が起こりホロコーストが起こってしまいます。

終戦後は、ホロコーストもあったことでイスラエルへの移住が盛んになり、さらにはイスラエルの建国となっていきます。そしてパレスチナ問題は激化し中東戦争にも発展します。

今も続くパレスチナ問題はこうした民族主義、シオニズム、イギリスの三枚舌外交に根があり、そこから第二次世界大戦を経て決定的にこじれてしまったのでした。

この本ではそうした流れも非常にわかりやすく解説してくれます。

この記事ではここまでとさせて頂きますが、ここまでお話ししてきたことは パレスチナ問題の根っこを考える上で 非常に重要な基礎知識になります。

パレスチナ問題を考える入門書としてこの本は非常におすすめです。ぜひ手に取って頂きたい1冊です。

以上、「シオニズム、イギリスの三枚舌外交とは~パレスチナ紛争のおすすめ入門書を紹介!高橋和夫『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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