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クラクフ旧市街のシンボル、聖マリア教会~聖母マリア信仰と一神教 僧侶上田隆弘の世界一周記-ポーランド編②
先の記事でも少しだけご紹介したが、旧市街の中央広場にはこの街のシンボルたる聖マリア教会がある。
この教会は1222年に建てられ、聖母マリアの祭壇が中央に飾られていることで有名だ。
建物の外にあるチケット売り場で入場券を購入する。
およそ300円ほどの値段だ。ポーランドは物価が安いので観光するのにも非常に助かる。
さて、聖マリア教会に入場してみよう。
外から見ても圧倒的な大きさだったが、中の様子は一体どのようになっているのだろうか。
そこには色鮮やかで豪華な世界が広がっていた。
中央の祭壇は残念ながら修復中であったが、それを取り囲む装飾の美しさも圧倒的だ。
一つ一つに恐ろしく手をかけているのがわかる。
そして特徴的なのは天井の高さだ。
首を限界まで反らさないと天井まで見えてこない。
壁面はステンドグラスで装飾され、外からの光がガラスの色を通して差し込んでくる。
天井は尖ったアーチ状をした形になっている。
天井に施された絵も精緻を極めている。
視線を横に向けると、大きな柱に沿って祭壇が供えられている。
目線と同じ高さにこれだけの装飾があると、なかなかの迫力だ。
エルサレムの時と違ってそれほど多くの観光客がいるわけではない。
そのため、落ち着いて見学することができた。
先ほどよりも後方からの眺め。
上の方にはイエスの十字架の像が飾られている。
そう。この教会は聖母マリアを崇拝する教会。
メインの祭壇に祀られているのは、イエスではなくイエスの母、マリアなのだ。
残念ながら修復中で中央祭壇のマリア像を目にすることが出来なかったが、イエスの十字架像との位置関係は非常に興味深い。
イエスが手前に来て、その奥の主祭壇が聖母マリア。
イエスを通してマリアを見るという構図。
まるで「イエスは聖母マリアのおかげでこの世に生まれることができた。マリアこそ私達の救いだ」と言っているかのようだ。
キリスト教は一神教だ。
よって、他の神様は祈ってはならない。
で、あるにもかかわらず神の子イエスよりも聖母マリアの方が人々から慕われるということがキリスト教圏では往々にして見られることなのだ。
ぼくにとってこれは非常に興味深い。
一神教であるはずのキリスト教徒がイエス以外の人にお祈りをしている。
また、聖母マリアだけでなく、「聖人」という形でも多くの人が崇拝されている。
最近の例だと、マザーテレサもその聖人の列に加えられている。
他にも、スペインではイエスの直弟子聖ヤコブが国の守護聖人として崇められている。それが世界的にも有名なサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼のきっかけとなったほどだ。
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旧市街中心部を歩いてみるとラッパのような音色の伝統音楽が聞こえてきます。
この街はまるでお祭りのような雰囲気が漂っています。
この記事ではそんな聖地を散策していきます。
唯一なる神の他に、それぞれ得意分野を持った聖人がいる。
国を守る聖人、病気を治す聖人、学問の聖人、その他諸々の聖人が地方ごとに無数に存在する。
そして人々は自分の願いに合わせた聖人にお祈りするのだ。
ん?これはどこかで聞いたような話ではないか・・・?
そう。日本のお寺や神社の祈願と原理は一緒なのだ。
ぼくはこのことが何より興味深い。
一神教というものの定義が壊れかねないこのあり方でもなお、やはり神を信じる一神教であるという懐の広い柔軟なあり方。
もちろんカトリックとプロテスタントによって解釈は異なるであろうし、同じカトリックやプロテスタント内でも考え方は分かれるだろう。
だがいずれにせよ、聖母マリア信仰が世界中で重要な位置を占めているのは事実に他ならない。
なぜ聖母マリアがそれほどまでに信仰を集めたのか。
ぼくはまだ勉強不足なので正確なところはわからない。
ただ、イメージとして、威厳ある父親像である神、それに対して全てを受け止める慈悲深き母としてのマリア。
苦しみにあえぐ人々はどちらに慰めを求めるだろうかというのは、一つの鍵になるのではないだろうか。
聖母マリアの信仰は今後のテーマの一つとして日本に持ち帰ろうと思う。
続く
※2021年9月18日追記
本日更新したヨハネ・パウロ二世『救い主の母』カトリックにおけるマリア信仰の意義を解説した1冊の記事の中で聖母マリアの意義についてお話ししましたので興味にある方はぜひご参照ください。
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