⒇マガダ国王ビンビサーラとの再会~大国の国王達が続々とブッダへの支援を表明!権威を増す仏教教団
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マガダ国王ビンビサーラとの再会~大国の国王達が続々とブッダへの支援を表明!権威を増す仏教教団
前回の記事「⒆仏教教団の急拡大~三迦葉、舎利弗、目犍連など優れた弟子たちが次々にブッダのもとへ」では優秀な弟子たちの加入でブッダ教団が急拡大したことをお話ししましたが、今回の記事では「弟子の加入」とは別の面でのブッダ教団の拡大について見ていきます。ブッダ教団がいよいよ巨大な勢力となるその瞬間が今回の記事で語られます。
では、早速始めていきましょう。
マガダ国王ビンビサーラとの再会
ウルヴェーラーで三迦葉を弟子に迎えた仏教教団は一気に千人を超す大所帯となりました。迦葉三兄弟にはそれぞれたくさんの弟子がおり、その弟子ごとブッダ教団への加入を決めたためこのような急拡大が起きました。
というわけで、もはや単なる小教団のレベルを超え、ひとつの勢力として認められるほどの存在へとブッダ教団は変貌していきます。
そんなブッダがウルヴェーラーから次に向かったのがマガダ国でした。
マガダ国はブッダが出家してから最初に向かった地でもあります。そしてこの地でかつてブッダはビンビサーラ王と出会うことになりました。
そしてすっかりブッダに心奪われたビンビサーラ王は「もしあなたが道を達成された時は、ぜひまたお会いしましょう。その時はぜひ私の国に再びおいで下さい」と約束し、別れることになります。
そうです、ついにその約束が果たされる時が来たのです。
ブッダがマガダ国の首都王舎城に来たことを知った王は、ブッダに面会を請いました。そして今や千人の弟子を抱える「悟った人間」としてのブッダと面会することになります。
あの時の約束通り、ブッダはビンビサーラ王のマガダ国へやって来ました。かつて修行者だった頃からブッダは圧倒的なオーラを放っていましたが、今や悟りを得てさらに輝く姿にビンビサーラ王は深く感銘を受けます。昔を懐かしみながら王はブッダの教えに耳を傾けました。そしてその教えに感動し、ブッダを改めて自らの王宮に招待します。
後日、王は手厚くブッダやその弟子たちを歓待しました。そして王はブッダに次のように切り出します。
「尊い方よ、わたくしはあなたに竹林園を寄進したいと思います。そこは街から遠すぎず近すぎず、喧噪もなく静かで、瞑想するには素晴らしい場所です。ぜひここをあなたの教団の拠り所として頂きたいのです。いかがでしょうか。」
ブッダはその申し出を謹んで受け入れました。
こうして誕生したのが竹林精舎になります。
私もこの竹林精舎を訪れたのですがまさにその名の通りたくさんの竹を見ることとなりました。マガダ国周辺は岩山や乾燥地が多く、このような緑豊かな竹林は珍しいとのこと。たしかにこの精舎は穏やかで涼しげな空気が感じられ、居心地の良い場所であることを体感しました。
こうしてブッダ教団は王から住み心地の良い土地を寄進されることになりました。
この竹林精舎はブッダにとってもお気に入りの場所だったようでこれから先何度もここで長期滞在を繰り返したとされています。
ビンビサーラ王帰依の影響
さて、ビンビサーラ王の帰依によってブッダ教団にとってさらなる変化が訪れることになります。このことについて中村元先生は次のような興味深い指摘をしています。
国王が帰依したということは、インドにおいて王権が次第に強大となりつつある時代には大きな意味のあることであった。ビンビサーラ王は八万の村の村長たちを集めて釈尊の教えを聞くように命令したので、その八万人が鷲の峰におもむいたという伝説がのちに成立した。
春秋社、中村元『ゴータマ・ブッダ〈普及版〉』中巻P183
さらっと書かれたこの箇所ですが、ブッダ教団拡大において実は極めて重要な意味を持っています。
私達仏教徒からすると、ブッダの教えが素晴らしかったからこそインド中に仏教が広がったと考えてしまいがちですが、実は事はそれほど単純ではありません。
「⑾なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~バラモン教から距離を置く大国の誕生と新興商人の勃興」の記事でもお話ししましたが、ブッダの教えに共鳴したのは主に王侯貴族や都市部の新興商人達です。田舎の農民達やそれ以外の人々は従来通りバラモン教の神々や土着の神様を信仰していました。
そんな中ビンビサーラ王が「これからはブッダ教団の教えも聞くべし」というお触れを出すことになります。こういうわけで仏教教団が一気に国王お墨付きの存在へと変わり人々に周知されていくことになります。
大国の王が公に教団を支持するということはこういうことに繋がるのです。
インドで仏教が広がったのはブッダの教えや人徳が優れていたのはもちろんのことですが、こうした強力な支援者がいたからこその相乗効果があったことも見逃せません。
続々と支援を表明する国王達
時系列的にはかなり大ざっぱになってしまうのですが、ブッダはこの後も晩年に及ぶまで様々な国を訪れ、国賓級の待遇で国王達との面会を続けていきます。いくら思想家達の自由が保障されていた時代だったとはいえここまでの影響力を持てるほどの人物はやはり珍しいと言えるでしょう。
特にブッダはマガダ国と並ぶ大国、コーサラ国のパセーナディ王とも親交がありました。この二大強国の支援を受けたというのはあまりに大きな意味があります。この二大国とのつながりがあったからこそブッダ教団の権威や信用も増したのであり、布教への弾みとなったのは疑いようがありません。
こうした流れの中であの有名な祇園精舎の逸話も生まれてきます。今回の記事では国王の帰依によるブッダ教団の拡大についてお話ししましたが、次の記事では大資本家による教団の拡大についてお話ししていきます。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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