シェイクスピア『ヘンリー四世』あらすじと感想~ハル王子とフォルスタッフ、名キャラクターが生まれた歴史劇
シェイクスピア『ヘンリー四世』あらすじと感想~ハル王子とフォルスタッフ、名キャラクターが生まれた歴史劇
今回ご紹介するのは1596年から98年頃にかけて書かれたとされるシェイクスピアの『ヘンリー四世』です。私が読んだのは筑摩書房、松岡和子訳です。
早速この本について見ていきましょう。
ヘンリー四世の治世は貴族の叛乱と鎮圧に明け暮れた。そのかたわらで放蕩息子の王子ハルは、大酒飲みのほら吹き騎士フォルスタッフとつるんで遊び歩くが、父の忠告に一念発起し、宿敵ホットスパーを執念で討ちとる。父の死後、ハルはヘンリー五世として期待を背負って国王の座につく―。ハルとフォルスタッフの軽快な掛け合いが見どころの人気英国史劇。
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この作品の見どころは何と言っても名キャラクター、ハル王子、フォルスタッフの存在です。特にフォルスタッフはシェイクスピアの生み出した最も優れたキャラクターとして知られています。
このフォルスタッフについて巻末解説では次のように述べられています。
フォルスタッフは、シェイクスピアが作りだした登場人物の最高峰だと言われることがある。作品の枠を超えて、あたかも実在の人物であるかのような体温を感じさせるという点では、ハムレットやシャイロックを凌ぐかもしれない。『へンリー四世』を観劇したエリザべス女王が、大いにフォルスタッフを気に入って「あの男に恋をさせよ」と命じたために、シェイクスピアは直ちに『ウィンザーの陽気な女房たち』を書いたという伝説さえある。
フォルスタッフは、ルネサンスの自由闊達な生命力(エラン・ヴィタール)を象徴する豪放磊落な人物だ。ラブレーが描いた、「飲みたーい」と叫びながら生まれてきた呑兵衛の巨人ガルガンチュアの迫力を持ち、ブリューゲルが描く卑俗で猥雑なエネルギーをその太鼓腹に充満させて、躍動感に溢れたルネサンスの時代を象徴している。ボッカチオやチョーサー以来受け継がれてきた笑いの伝統が、この男のなかに結実しており、際限ないウィットを繰り出しては皆を楽しませる、愛すべき陽気な無責任男と成り得ている。ヴェルディのオペラ『フォルスタッフ』を意識して高橋康也が物した狂言『法螺侍』のなかの、「宴の庭には、いの一番、戦さの庭には、びりっけつ」という洞田助右衛門(フォルスタッフ)の台詞が、その人となりを最も端的に象徴する。
筑摩書房、シェイクスピア、松岡和子訳『ヘンリー四世』P454-455
フォルスタッフの存在は『ヘンリー四世』を読む前から知っていました。シェイクスピア関連の本に限らず、演劇、文学の枠を超えて様々な場でその名が出てくるのです。
私も「それほどまでに有名なフォルスタッフとは一体何者なのだろう」とずっと興味を抱いていたのですが、ようやく彼の活躍ぶりを読むことができました。
実際読んでみて納得、これは面白いです。たしかにフォルスタッフの存在感は圧倒的です。
ウィットに富んだ言葉が機関銃のように飛んできます。ああ言えばこう言う。思わずくすっと笑ってしまう名セリフの連発です。
しかもとんでもない太鼓腹、重量級のルックスもまたいいんですよね。ハル王子にそのルックスを何度もいじられるのですがこれがまた笑えるんです。
『ヘンリー四世』の舞台は時代的には英仏100年戦争の真っただ中であり、さらにはヘンリー四世即位に伴う不満や陰謀が渦巻く恐るべき時代でした。実際、この物語では上のあらすじにもありますように、ハル王子は内乱鎮圧のために宿敵ホットスパーと戦うことになります。
基本的に物語としては血なまぐさい戦の空気が流れています。
ですがそんな戦の雰囲気の中で放蕩息子(を演じるハル王子)とフォルスタッフが丁々発止のやり取りを繰り返すわけです。内乱の重い空気をすべて吹き飛ばしてしまう彼らの機知に富んだやり取りには驚くしかありません。
そもそもヘンリー四世の治世は内乱と謀反の鎮圧に明け暮れた時代です。つまり誰が味方で誰が敵かもわからない不安定な時代です。いつ誰が裏切り変節するかわからない、嘘に満ち溢れた時代。誠実な言葉の裏に何があるかわからない。
そんな中ハル王子とフォルスタッフは堂々と噓八百の軽口を叩き合うわけです。これは爽快。権謀術数の嘘だらけの世界で2人は堂々と嘘で遊んでいるのです。こうした軽快さもハル王子とフォルスタッフの魅力なのではないでしょうか。
戦場でのフォルスタッフの必殺技、死んだふりを見かけたハル王子の台詞も最高です。フォルスタッフの死んだふりはハル王子も見抜けず、彼を死んだものとして声を掛けます。
今日の血なまぐさい戦いで、死が打ち倒した者の中には
筑摩書房、シェイクスピア、松岡和子訳『ヘンリー四世』P208
お前以上の重要人物が大勢いたが、お前ほどの重量級はいなかった。
私はこのセリフに笑ってしまったのですが、この直後ハル王子がフォルスタッフを埋葬するためにその場を離れると彼はぬっと立ち上がり、こんな名台詞を残します。
畜生、さっきはな、死んだふりするしかなかったんだ。そうでもしなきゃ、あのスコットランドの暴れん坊にスコンとやられて一巻の終わりだった。ふりをする?いや、嘘だ、俺は何かのふりをする偽物じゃない。そもそも死ぬってのは偽物になることだ。なんとなれば、人の命を無くした人間は、人間の偽物でしかないからな。しかし、人間、死んだふりをしてその結果生きるとなりゃ、偽物じゃない。本物の、完璧な命の姿だ。勇気の最良の部分は判断力にある。俺はその最良の部分を働かして自分の命を救ったんだ。くそっ、俺はこの火の玉パーシーってやつが怖くてならん、死んでるのによ。こいつも死んだふりしてて、むっくり起き上がってきたらどうしよう?悔しいけど、死んだふりにかけちゃ、こいつのほうが一枚上手だってことだよな。だから、絶対生き返らないようにしておこう。うん、でもって俺が殺したと主張する。こいつだって俺みたいに起き上がるかもしれないだろ?それに反論できるのは目撃者だけだ。で、ここに目撃者はいない。ようし、どうだ。(ホットスパーを刺す)太ももに新しい傷をつけてやった、さあ、一緒に来い。 (ホットスパーを背負う)
筑摩書房、シェイクスピア、松岡和子訳『ヘンリー四世』P209-210
フォルスタッフは転んでもただでは起きません。死んだふりから生き返った彼はハル王子の手柄をこうして見事に横取りしてしまったのです。ホットスパーは反乱軍の中心人物でハル王子の宿敵でした。ハル王子が苦労して倒した敵を、死んだふりという伝家の宝刀であっさりとかっさらってしまったのでした。ハル王子もこれには苦笑いだったことでしょう。
「俺は何かのふりをする偽物じゃない。そもそも死ぬってのは偽物になることだ。なんとなれば、人の命を無くした人間は、人間の偽物でしかないからな。しかし、人間、死んだふりをしてその結果生きるとなりゃ、偽物じゃない。本物の、完璧な命の姿だ。勇気の最良の部分は判断力にある。俺はその最良の部分を働かして自分の命を救ったんだ」
このセリフもあっぱれですよね。フォルスタッフはヒーロー側の人間ではありません。人を騙すし、ずるもします。勇気もなければ勤勉さなどひとかけらもありません。ですが憎めない!この死んだふり戦法もなぜか「お見事フォルスタッフ!」と喝采を浴びせたくなります。
このなぜか憎めないフォルスタッフについて巻末の解説では次のように語られていました。
勤勉や努力や忍耐を旨とするストア主義を皆が標榜するために、フォルスタッフの「がんばらない、戦わない」という快楽主義(エピキュリアニズム)が排除される。それでよいのか?もちろん、エピキュリアニズムを提唱した哲学者エピクロスは、自堕落な生活を容認していないし、肉体的快楽ではなく精神的快楽を求め、心に「快」と感じられるものを求めて禅のような心の平静を説いているのであるから、フォルスタッフは厳密な意味でエピキュリアンとは言えない。
それでも、「名誉で傷が治るか」というフォルスタッフの名言には、「哲学でジュリエットが作れますか」と問いかけるロミオの台詞同様、深遠な真実が含まれている。
ストア主義をつきつめれば戦争も起こり得るが、快楽主義では戦争は絶対起こらない。観客は、フォルスタッフの快楽主義にも見習うべきところがあると心の隅で感じているからこそ、フォルスタッフ追放に心を痛めるのではないだろうか。
フォルスタッフは卑怯で臆病かもしれない。戦場で死んだ真似をしたり、遺体に傷をつけたりするのは武人にはあるまじき卑劣な行為だ。しかし、それを卑劣と断じる価値基準は、そもそも戦を是とするものであり、戦で怪我をしたら大変だと心配する庶民感情とは違う。「名誉って何だ。名誉で傷が治るか」と嘯くフォルスタッフは(騎士でありながら)あくまで庶民の代表なのである。
筑摩書房、シェイクスピア、松岡和子訳『ヘンリー四世』P459-469
※一部改行しました
『「名誉で傷が治るか」というフォルスタッフの名言には、「哲学でジュリエットが作れますか」と問いかけるロミオの台詞同様、深遠な真実が含まれている。』
『「名誉って何だ。名誉で傷が治るか」と嘯くフォルスタッフは(騎士でありながら)あくまで庶民の代表なのである。』
なるほど、そう考えてみるとフォルスタッフという存在が単なる「面白い存在」を超えて、さらに深い魅力を持った人物であることが見えてきます。人間洞察の達人シェイクスピアが生み出した最高傑作フォルスタッフにはこうした意味があったのですね。こうした深みを持ったキャラクターだからこそ時代を超えて愛されているのではないでしょうか。
割とコンパクトな作品が多い中で『ヘンリー四世』は第一部、第二部と合わさった大作です。ですがハル王子、フォルスタッフの軽快なやりとりのおかげでまったく退屈させません。この二人のやりとりはぜひ生の演劇でも見てみたいなと強く思います。絶対面白いに違いありません。
あの有名なフォルスタッフとはどんな男なのかと楽しみにしていた読書でしたが、期待に違わぬ愉快な男でした。これはぜひおすすめしたい作品です。
以上、「シェイクスピア『ヘンリー四世』あらすじと感想~ハル王子とフォルスタッフ、名キャラクターが生まれた歴史劇」でした。
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