(23)ブッダ教団にスキャンダル!?悪意ある誹謗中傷に対しブッダはどのように対応したのだろうか
【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】(23)
ブッダ教団にスキャンダル!?悪意ある誹謗中傷に対しブッダはどのように対応したのだろうか
前回の記事「(22)ブッダ、生まれ故郷に凱旋帰国!息子ラーフラや従弟アーナンダなど釈迦一族の大量出家!」ではブッダが故郷のカピラヴァストゥに帰還し、釈迦族の多くの若者達を出家させたことをお話ししました。
ここまでの記事でブッダ教団の急拡大を見てきましたが、これだけ急激に勢力が増したとなるとやはりそれを快く思わない人間も出てくることになります。
ブッダの生涯の中ではそれほど重大事件としては扱われないものではありますが、今回の記事では現代を生きる私達にも大いに参考になるエピソードをここで紹介したいと思います。
では、早速始めていきましょう。
ブッダの成功を妬み、罠を仕掛けようとする人達の存在
さて、上で述べましたように、ブッダの快進撃を快く思わない人たちが出てくることになります。
その顛末を中村元著『ゴータマ・ブッダ』を参考に見ていきましょう。
仏教教団がしだいに盛んになると、釈尊または修行僧たちが女性関係で噂をたてられたことがある。いずれも仏教が盛んになってゆくのを妬んで、他の諸宗教の人々が釈尊または仏教教団をおとしいれようとして好策を弄したのであると伝えている。
仏典には次のような人間くさい物語が伝えられている。釈尊の名声が高まると、他の宗教の行者たちは利得もなくなり、名声も落ちてしまった。そこでなんらかの方法で修行者ゴータマに対する非難をおこさせて、その利得や名声をだいなしにしてやろう、と考えていた。
そのころ、サーヴァッティーにはチンチャ・マーナヴィカーという女性の遍歴行者がいた。『彼女は類なき美貌の持ち主で、すばらしい麗しさがあり、あたかも天の伎女のようで、彼女の身体からは光が射していた。』(Jātaka. vol. IV)彼女がたまたま行者たちのもとに訪ねてきたので、かれらの奸計をこっそりうち明けて依頼した。彼女はいった、『よろしゅうございますとも、皆さま。それはわたしの仕慣れた仕事です。どうぞご心配なく。』(ibid.)
サーヴァッティーの人たちが法話を聞いて祗園精舎から出てくる時分に、彼女は臙脂色の着物をきて、香や花鬘を手にもって祗園のほうに出かけて行った。また朝早く信徒たちが最初の挨拶をするために、町から出かけてきたときに、ちょうど祗園に泊ったような風をして町に入って行った。
そうして半月か一月たってから『わたしは祗園で修行者ゴータマと同じ香室のなかで泊りました』(ibid.)と人々に告げた。〈香室〉とは祗園精舎のなかでの釈尊の居室である。三、四ヶ月ののち、布片で腹をくるみ、妊婦のかっこうに見せかけ、その上に赤い衣をきて、『修行者ゴータマによって妊んだのです』(ibid.)といって、人々に信じこませた。
八、九ヵ月たって、腹に木製の円い板を結びつけ、その上に赤い衣をまとい、疲れきったようなかっこうをして、釈尊の説法の座にやってきて、皆のいるところで釈尊を面罵した、
『あなたは享楽することだけは知っていて、お腹の児の面倒はちっとも見てくださらない(ibid.)
釈尊は大声でいった。
「女人よ。そなたの話したことが本当か嘘かは、わたくしとそなたとだけが知っていることなのだ。』
チンチャ・マーナヴィカー女もいい返した。
『そうですとも、行者さま。あなたとわたしとだけが知っていることから、こんなことになったのです。』(ibid.)
たまたま帝釈天の力によって、木製の円い板を縛ってある紐が切れ、まとっている着物を風が吹き上げると、木の円い板が落ちてしまった。人々は「けしからん女だ」といって、彼女を追い出した、という。
※PC、スマホでも読みやすいように一部改行しました
春秋社、中村元『ゴータマ・ブッダ〈普及版〉』中巻P281-282
この出来事の舞台となった祇園精舎については「⒄スダッタによる祇園精舎の寄進~「祇園精舎の鐘の声」はここから。大商人による仏教教団の支援」の記事でもお話ししました。真ん中の写真がまさにブッダの住んだ〈香室〉になります。
ここにはブッダの教えを聞きに多くの人が出入りしていたようです。それを利用して彼らはブッダの評判を落とそうと罠を仕掛けたのでありました。
上の引用にありますように、帝釈天の力によって彼女の嘘が露見しはしましたが、もしそれがなかったらどうしていたのでしょうか。
しかも今回はこの女性が実際に子供を身ごもっていなかったからよかったものの、さらに悪質な人間ならば妊婦を探してこのような役割を演じさせたことでしょう。そうなった場合どうやって潔白を証明するのでしょうか。
仏教教団が戒律を厳しくしていったのも自分たちの修行のためもありましたが、こうした「良からぬたくらみ」から教団を守るためという側面もありました。誤解されないような仕組みをそもそも先に作り上げておこうということです。隙があれば悪意ある人間はそこを突いてきます。次のエピソードではまさにそうしたさらなる巧妙な攻撃が見えてきます。
またスンダリーという女性の遍歴行者の事件がおきた。彼女は遍歴行者の仲間からたのまれ、祗園精舎におもむいたが、この行者たちは彼女を殺して、屍体を祗園精舎のなかに捨てた。そうして「仏教教団の者どもは、彼女をもてあそんだうえに、とうとう殺して棄てるという残酷なことをする」という非難を流布させた。修行僧らが町に托鉢に出かけると、町の人々はかれらを怒り罵った。かれらがこの旨を釈尊に告げると、「捨てておけ」といった。
『この[非難]の声はながくはないだろう。七日間はつづくだろう。しかし七日を過ぎたら消え失せるだろう。(Udāna,IV, 8.)
と。はたして七日後には事情が判明して非難の声も消失したという。
いかにも人間くさい話に対するゴータマ・ブッダの対処の仕方も伝えられているのがおもしろい。おそらくこれに類したような事件が実際にあったであろうし、このような試錬苦難を通って仏教教団は発展していったのである。
春秋社、中村元『ゴータマ・ブッダ〈普及版〉』中巻P282-283
これは先ほどの出来事と比べてもその悪質さは飛び抜けていますよね。ブッダ教団への攻撃のために人殺しすら厭わず、それをなすりつけようとしたのです。そしてその中傷は人々の間にも広がり、教団の出家者たちが人々から激しく非難されるという事態にまで陥りました。
しかしさすがはブッダ。この危機にも全く動じません。「自分たちが潔白であることは明白であり何らやましい点はない。これは悪意ある誹謗中傷にすぎない。このような根拠なき噂は7日もあれば消え去るだろう」と断言します。
そして事実はまさにその通りになったのでした。真実が明るみになり、その噂が根も葉もない作り物だったことが知らされ、人々は今まで通りブッダ教団に接するようになりました。
「人の噂など気にするな。やましいところがないなら放っておけ。人はそのような噂はすぐに忘れる。」
わかってはいてもこれがなかなか難しいんですよね。ですがこれが真理だと私も思います。
ただ、この事件に関しては7日後に真実が明るみに出たため中傷が止みましたが、もしそうでなかったらどうなったのでしょうか。それに現代ならばすぐ「説明責任だ!」となり記者会見を行わなければなりません。しかもそれを行ったとしても、「いや、あいつはそう言ったがこれには裏がある。本当は〇〇なのだ」と無限に陰謀論めいた中傷が繰り広げられることでしょう。
ですが、やはりそうは言ってもブッダが「人の噂は7日で消える」と述べたのは大きな意味があると思います。人は目先のニュースに飛びつきがちです。そしてその瞬間は燃え上がりはするものの、あっという間にそれは忘れ去られ次のニュースへと移っていきます。その繰り返しをブッダは悟った目で見ていたのでしょう。
「自分たちの潔白は明らかだ。今は人々はその中傷に冷静さを失ってしまっているが必ずその熱も収まることだろう。そうすれば真実は自ずと明らかになるにちがいない」
ブッダはそのように思い「7日で噂は消える」と言ったのではないでしょうか。
これは私達にとっても大きな教訓となることでしょう。
そして私がこれらブッダ教団への中傷事件を通していつも思うのは、ブッダほどのお方でも必ずや誰かから嫌われ理不尽な目に遭うのだということです。ブッダほど完璧な人間は人類の歴史上ほとんど存在しなかったことでしょう。そのブッダですら誰かに憎まれ、誹謗中傷を受けたのです。だとすれば私のような凡人がいつか誰かから嫌われ中傷されたとしても、それは至極当然ではないかと思うのです。
ブッダほどの人でも人間関係に苦労したのだと思うと、不思議と気持ちが楽になる時があります。こんなことを言うのは適切かわかりませんが、何かほっとするのです。「ブッダでもこうだったんだから」と皆さんも心の中で唱えてみてください。私の言う意味がきっと分かると思います。
ブッダも悟ったからといって何の苦労のない人生ではありません。あくまでブッダも苦労の世界を生き通した人です。こうした苦労人ブッダから学ぶことも多いのではないかと私はしみじみと感じています。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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