⑿サールナート(鹿野園)での初転法輪~ブッダ最初の説法!仏教教団はここから始まった!
【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑿
サールナートでの初転法輪~ブッダ最初の説法!仏教教団はここから始まった!サールナート博物館の見事な仏像も
前回の記事「⑾ブッダ瞑想の日々と梵天勧請~ブッダは人々への説法をためらった?インドの神ブラフマンによる説得とは」では悟り直後のブッダが人々への説法をためらったことをお話ししました。
そんなブッダでありましたがインドの最高神ブラフマン(梵天)の説得により、ついに人々への説法を決意します。
この記事ではそのブッダの初めての説法についてお話ししていきます。仏教教団の歴史が始まったのはまさにこの説法からになります。
では、早速始めていきましょう。
瞑想から立ち上がり説法への道を踏み出す
ブラフマンの説得を経て説法への意思を固めたブッダ。
「私の悟った真理をいよいよ語る時が来た。しかし誰からそれを説くべきだろうか・・・。この教えは深遠で、世の人々には到底理解できないものだ。まずはじめに説くならば悟りの境地に近い賢者に説くのがよいだろう。
であるならばこの人しかいない。私の初めての師アーラーラ・カーラーマだ。」
しかし、神の知らせによりアーラーラ・カーラーマがすでに亡くなってしまったことをブッダは知ることになります。
「そうか・・・アーラーラ・カーラーマは亡くなってしまっていたか・・・悲しいことだ。
であるならば第二の師ウッダカ・ラーマプッタのもとを訪れよう」
しかしここでも神の知らせによってウッダカ・ラーマプッタが亡くなってしまったことを知ります。
6年間の修行の歳月はかくも過ぎ去り、ブッダの瞑想修行の師たる二人もすでに命を終えてしまっていたのでした。
そして二人の賢者がこの世を去った今、ブッダが次に会おうと考えたのがかつての5人の修行仲間でした。「⑹苦行を捨てついに悟るブッダ。マーラ(悪魔)との対決やスジャータのミルク粥の逸話も」の記事でもお話ししましたが、彼ら5人の修行仲間はブッダがスジャータからミルク粥を受け取ったのを見て憤慨し、ブッダの下を去ってしまっていました。
その彼らが今、バラナシ付近のサールナートにいることをブッダは神通力で知ることになります。そこでブッダは彼らのいるサールナートを目指して歩き始めたのでありました。
サールナート(鹿野園)でのブッダの初転法輪
ブッダガヤからサールナートまでは250キロほど。現代でも車で6時間以上かかる距離にあります。この道のりをブッダはひとり歩きました。
サールナートはガンジス河で有名なバラナシの郊外にあります。バラナシはブッダの生きた時代の前からインドの聖地として有名で、数多くの宗教者が集まる場所でした。ブッダがここを目指して来たのも偶然ではありません。ここはいわば宗教家の集まるメッカであり、新たな思想を広めるための登竜門のような場所だったのです。そういう場所だからこそブッダの仲間たちもここへやって来ていたのでした。
そしてブッダはいよいよこの地へとやって来ます。サールナートは鹿野園と呼ばれるようにかつては鹿のいる野原だったそうです。
かつての仲間を発見したブッダは彼らに近づいていきます。
5人の仲間たちはすぐにブッダに気付きましたが、彼らはまだブッダを許していません。
「おい、あの断食修行を捨てた男がやって来るぞ。あいつは修行を捨て安楽な道に堕ちた男だ。かつては仲間だったかもしれないが今や迎えに行く価値もない。挨拶もしなくていい。ただ、もしあいつがここへ来て一緒に座ろうとするなら声を掛けてやろう。やって来た客をいつまでも無視するのは尊い生まれの我らにとってふさわしいことではないのだからね」
こうしてブッダに対ししばらく無視を決め込もうとした彼らですが、一歩一歩近づいてくるブッダの姿を見て思わず立ち上がらずにはいられませんでした。ブッダのあまりの神々しさに彼らはすっかり動転してしまったのです。ある者はブッダを出迎え衣を受け取り、ある者は礼拝して彼の鉢を受けとり、ひとりは彼に座をすすめ、他の2人はブッダの足を洗う水を差し上げました。今のブッダにはこうせずにはいられない何かがあったのです。
一体何があったというのだ。この男は断食をやめ堕落したはずではなかったのか!それなのにどうしてこんなにも我らの心を揺さぶるのだろうか!5人の仲間たちは不思議に思わずにはいられませんでした。
そしてブッダは彼らの疑問に答え、語り始めます。
これが世に言う「初転法輪」の説法になります。
その時の姿を表現したのがこちらの『サールナート仏』になります。こちらはインド仏像の最高傑作とも評され、私もその姿に一瞬で心を奪われました。
あまりに優美、あまりに静謐、あまりに完璧なこの仏像を前に私はただただ言葉を失い、ここから離れることができませんでした。
この仏像のショックは美術館を出て宿に帰ってからもずっと続き、この完璧な彫刻に心奪われたままでした。
実際のブッダはこれよりもさらに神々しく、言葉に尽くせぬ姿をしていたことでしょう。たしかにこれほどの人が目の前に現れたら、誰しも5人の修行者のようになってしまうことでしょう。2500年に1人のカリスマです。そんな人間が目の前に現れたらきっと私も即五体投地したくなるほどの衝撃を受けると思います。これは喩えではなく私の本心です。想像もできぬほどの圧倒的な人物に出会うというのはきっとそういうことなのではないかと私は思うのです。
現在、サールナートにはこの初転法輪を記念したダメーク・ストゥーパという仏塔がこの地の象徴として立っています。この塔は紀元5、6世紀頃に作られたものとされ、何度も増改築されながら今の姿となっています、
そしてこのサールナートも他の仏跡と同じく19世紀にイギリスによって発掘されるまで土に埋もれていた存在でした。
今やインドの国章ともなったアショーカ王柱のライオン像もこのサールナートから1900年代初頭に発見されました。こんなに見事な彫刻が地中に埋まっていたとは信じがたいほどです。
ダメーク・ストゥーパのすぐ近くにはかつての発掘の様子が収められた写真が展示されていました。仏像が土の中から横倒しの状態で発見されたというのは驚きでした。インドの仏跡ではイスラームの侵入により寺院や仏像が破壊され荒廃した歴史がありますが、まさに仏像が引き倒されてそのまま土に埋まってしまったという雰囲気です。
何はともあれ、ブッダは5人の修行仲間に初めての説法を行い、彼らは瞬時にしてブッダの教えに敬服しました。
こうしてブッダの教団はスタートしていくことになります。
次の記事ではこの時ブッダが何を説いたのかをざっくりと見ていきます。ここでも学術上の厳密な議論には立ち入らずにあくまで意訳的に簡潔にお伝えしますので、気楽に読んで頂けたらと思います。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら
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