⑾ブッダ瞑想の日々と梵天勧請~ブッダは人々への説法をためらった?インドの神ブラフマンによる説得とは
【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑾
ブッダ瞑想の日々と梵天勧請~ブッダは人々への説法をためらった?インドの神ブラフマンによる説得とは
ブッダガヤの菩提樹の下でついに悟りを開いたブッダ。
前回の記事「⑽マーラ(悪魔)との対決に勝利し悟りに達するブッダ。イエス・キリストとの共通点とは」ではその顛末をお話ししましたが、今回の記事ではその成道(悟り)直後のブッダについてお話ししていきます。
悟りの境地を楽しむブッダ
菩提樹の下で悟ったブッダはそのまま深い瞑想の境地に入り、7日間その素晴らしい境地を楽しみました。
そして7日を過ぎると立ち上がってアジャパーラ樹の下へと移動し、ここでもブッダは7日間座り続けました。
こうしてブッダは7日ごとに座を変え、合わせて49日間瞑想の境地に没頭し続けることになります。
そしてこの49日間の間に様々な出来事があったのでした。(今回の記事では中村元『ゴータマ・ブッダ』を参考に私なりに意訳したものを紹介していきます)
ムチャリンダ竜王の守護
ブッダが悟りを開いてからいつものように瞑想をしていると大雨が降りだし、冷たい風が吹きつけてきました。しかしブッダは深い瞑想の境地に入っていたのでそんな悪天候も全く気になりません。しかし雨風にさらされたブッダを気の毒に思い、ムチャリンダ竜王という巨大なコブラがブッダの下にやって来ました。彼はブッダを中心にとぐろを巻き、ブッダが雨風に当たらないよう優しく守り続けました。
インドでは古くから龍や蛇神に対する信仰が盛んに行われていました。そのインド土着の神がブッダに深く帰依し、雨風から守ったということに意味があります。ブッダは古代インドの神々も心服するほどの人物だったということを示しています。
最初の在俗信者の誕生
そしてもう一つが第四週目に起こった商人プッサとバッリカの帰依です。たまたまこの地域を通りかかっていた二人の商人が神の導きでブッダの存在を知ることになります。彼らはブッダの神々しい姿に心を打たれ、食べ物を供養しました。そして二人はブッダに「私たちをあなたの在俗信者とお認めください」と願います。こうして彼らは初めての在俗信者となったのでした。出家者による仏教教団ができる前にこうして一般信者が誕生したというのは仏教の歴史を考える上でも興味深い伝承です。仏教教団も出家者だけでは成り立ちません。それを支えてくれる在俗信者があってこその出家修行です。そのことを暗示させるエピソードでした。
梵天勧請~ブッダの説法へのためらい
こうして悟りの境地を楽しむブッダでありましたが、ある日ブッダの中で次のような思いが浮かんできました。
「私の悟った真理はあまりに深遠で難解であり、思考の域を超えた賢者にしか理解できないものなのではないか。世の人々は執着の世界にこだわり、世の楽しみを求めるのみだ。そのような人に私の真理は見難い。欲望を捨て、心を静める瞑想も理解しがたいだろう。そのような人たちに私の教えを説いたところでどうなることだろう。私に疲労と憂慮が残るだけではないだろうか・・・」
「苦労して私が悟ったことを今私が説く必要があるだろうか。貪りと憎しみにとりつかれた人々がこの真理を悟るのは容易ではない。私の教えは世の流れに逆らうものなのではないだろうか・・・。であるならばこのまま快い悟りの境地を一人で楽しんでいたい。苦労して説法をしても仕方がないではないか・・」
せっかく悟った真理がこのままでは誰にも伝わらずに失われてしまう。このピンチに救世主が現れます。それがインドの最高神ブラフマン(梵天)でした。
彼はブッダにこう語りかけます。
「尊い方!どうか教えをお説きください。この世には生まれつき汚れの少ない人もいます。彼らのためにも真理をお説きください。この世には様々な教えが広がっていますが、あなたの悟った真理こそ世を救うのです。山の頂に立つ者があらゆる方向を見通すように、世界で苦しむ人々を見そなわしたまえ!」
しかし、せっかくの説得もブッダには響きませんでした。「いや、暗黒に覆われた人々には私の真理は見えることがない。梵天よ、私はもう語りたくないのだ」
ですが梵天もあきらめません。「尊い方!教えをお説きください!」
「いや、私の悟った真理はあまりに深遠で難解だ。それに、人々は自分の生活で手一杯で人生の問題に心を向ける余裕もない。これでは私の教えは届くまい。私には憂慮しかないのだ・・・」
「それでも尊き方よ!教えをお説きください!」
三度梵天に請われたブッダはついに生きとし生きる者たちへの哀れみによって、梵天の言われた通り世界を観察し始めました。
かつて悟りを得た時のようにブッダは深い瞑想の境地に入り、その力で世界の相を観じます。すると、世の中には汚れの少ない者も多い者も、精神的素質の鋭い者も弱くて鈍い者も、教えやすい者も教えにくい者もいて、ある人々は来世と罪への恐れを抱いて暮らしていることが見られました。まるで青い蓮、赤い蓮、白い蓮がそれぞれ水面に花を咲かせ、水中に茎を生じ、泥の中に根を張るように、様々な人間相があることをブッダは観じたのです。
「そうだ!たとえ世界に私の教えが届かないように見えたとしても、それはひとつの相にすぎない。必ずどこかに私の教えを求めている人がいる。まさに今もどこかで苦しみ、救いを求めている人がいるのだ!」
こうしてブッダは立ち上がり、説法への決意を固めたのでありました。
このエピソードには重要なポイントがいくつもあります。
まず、この梵天勧請のエピソードそのものがブッダの心理的葛藤をよく表している点。
そしてもう一つがインドの最高神たるブラフマンがブッダを「尊い方」と呼び、説法をしきりに勧めたという点です。
ブッダの教えは当時のバラモン教(後のヒンドゥー教)の教えとはかなり異なるものでした。当然、世の人々はバラモン教的な世界観、人生観で生活しています。その彼らに対して常識とは全く異なる教えをこれから説くことになるのですからブッダが説法を躊躇するのも当然です。
彼の教えが全く受け入れられない可能性があり、説法が徒労と憂慮で終わってしまうならばひとりでこの素晴らしい境地を味わい、修行者としてひっそり生き続けるのも悪くない。そう思ってもおかしくありません。
しかしブッダはブラフマンの説得により、人々への慈悲の心の大切さに改めて気付かされます。自分一人の救いだけでなく、たとえ困難があろうと世の人々のために説法をしなくてはならないとブッダは気づいたのです。
ここに仏教教団スタートの大きな鍵があります。仏教教団はそもそも自分一人だけの救いだけでなく、世の人々の救いのために教えを説くという使命を持って始まっていきます。ここに従来の出家修行者との違いがあります。もちろん出家者のグループやバラモン教の大教団はすでに存在していましたが、ブッダのこのような姿勢は仏教というものを考える上で大きなポイントであると言うことができましょう。
そしてこの梵天勧請に登場するブラフマンの存在そのものも非常に重要です。先程も述べましたがブラフマンはインドの最高神です。この最高神がわざわざブッダの前にやって来て説法の開始を三度請うたのです。私達日本人にとっては三顧の礼を彷彿とさせますよね。それほど熱心に請うたということがここで表されています。
以前もお話ししましたが仏教もこうしたインド世界の文脈で生まれてきています。ブッダはこうしたインドの神々やその教えを無視してはいません。むしろこうしたインド的世界観に生きているのを承知の上でそれを超えていくあり方を求めていったと言えるのではないでしょうか。
梵天勧請も「これは後の時代に作られた伝説にすぎない。これはブッダの心理的ドラマを象徴的に表したものだ」と割り切って語られることも多いのですが、それは現代的な思考からの見方が多分に影響しています。2000年以上も前からそのような分析的な思考がなされていたとはなかなか考えにくいお話です。このことについては、
〇「F・C・アーモンド『英国の仏教発見』~仏教学はイギリスの机上から生まれた!?大乗仏教批判の根はここから」
〇「新田智通「大乗の仏の淵源」~ブッダの神話化はなかった!?中村元の歴史的ブッダ観への批判とは。『シリーズ大乗仏教 第五巻 仏と浄土—大乗仏典Ⅱ』より」
〇「奈良康明『〈文化〉としてのインド仏教史』~葬式仏教批判に悩む僧侶にぜひおすすめしたい名著!」
などの記事でもお話ししていますのでぜひご参照頂ければと思います。
さて、こうしてブッダは説法への一歩を踏み出したのでありました。
次の記事ではブッダの最初の説法「初転法輪」についてお話ししていきます。いよいよブッダ教団の始まりです。
次の記事はこちら
※この連載で参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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