⑼厳しい苦行を捨て、スジャータのミルク粥によって回復したブッダ。いよいよ悟りは近い
【現地写真から見るブッダ(お釈迦様)の生涯】⑼
厳しい苦行を捨て、スジャータのミルク粥によって回復したブッダ。いよいよ悟りは近い
前回の記事「⑻ブッダの6年間の修行生活~二人の師による瞑想法の伝授と厳しい苦行に勤しむ苦行者ブッダ」では6年間に及ぶ厳しい苦行を行ったブッダの姿をお話ししましたが、いよいよそのブッダが悟りを得る日がやってきます。この記事ではそんな成道(※悟りの意)直前のブッダについてお話ししていきます。
苦行を捨てるブッダ
ブッダの6年間の苦行生活は想像を絶するほどのストイックさで行われました。有名なガンダーラの断食仏を見てみると、その壮絶さが伝わってきます。
そんなブッダでありましたが、彼の脳裏にある直感が閃きます。『ブッダチャリタ』ではその劇的な瞬間を次のように叙述しています。
聖者は激しい苦行のためにいたずらに体を痛めていたが、苦しみの世に再び生まれて来るのを恐れ、真理の理解者になることを望んで、次のように考えた。
「苦行を説くこの教えは、愛欲から自由になるためにも、真理を理解するためにも、また魂の解放のためにも、何の役にも立たない。(中略)」
そこで、体力の増進のために気をくばることになり、さらに次のように考えた。
「飢えと渇きに疲れきって憔悴した人は、疲労のため心が病んでいる。心に安らぎのない人が、心で得るべきものをどうして得ることができようか。
感覚器官がいつも充実されておれば、心の安らぎが得られる。感覚器官の充足によって心の健康が得られる。
健康で充足した心から、深い精神集中(三味)が生じる。深い精神集中を伴う心に瞑想の実践が始まる。
瞑想が始まることによって、正しい教理が得られる。正しい教理によって得難い寂静の境地、不老不滅のかの最高の境地が得られる。
したがって、この方法は食事を前提とする」。そこで、意志が強く叡智が無限の聖者は、食事をとろうと決心した。講談社、梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』P142-143
ここはブッダの教えを考える上で非常に重要な箇所です。
まず、「聖者は激しい苦行のためにいたずらに体を痛めていたが、苦しみの世に再び生まれて来るのを恐れ、真理の理解者になることを望んで、次のように考えた。」とありますが、ブッダが一番恐れていたのは「苦しみの世に再び生まれてくる」ことでありました。
これはまさにインド的な世界観に基づいた考え方です。
と言いますのも、古代インドでは人間に限らず生きとし生けるものは全て輪廻転生し、生まれ変わり続けるという考え方がありました。そしてこの輪廻転生のループから抜け出ることこそ「救い(解脱)」であると考えていました。これはまさにインド的なのですがこの世は苦しみの世界であり、何度生まれ変わっても結局苦しみ続けるのみだという人間観があったのです。
それに対して中国では現世中心的でこの世こそ素晴らしい世界だと考えます。こうした現実肯定主義から不老不死や仙人の発想が生まれてきます。インドではこの世こそ厭うべき苦しみの世界であるのに対し、中国ではこの世こそ楽しむべき世界なので、この世から解脱することなど到底受け入れられないのです。こうした真逆の世界観が後の中国における仏教受容にも大きな影響を及ぼし、それが日本の思想にも繋がってきます。
さて、何はともあれブッダはこうしたインド的世界観の下修行を続け、自身も解脱を目指していたのでした。
そのブッダがこうした苦行や瞑想では解脱には至れないと気づいたのです。
「苦行を説くこの教えは、愛欲から自由になるためにも、真理を理解するためにも、また魂の解放のためにも、何の役にも立たない。」
苦行はやっている方からすると「こんなに苦しいことをしているのだから必ず報いがあるはずだ」と感じられるかもしれませんが、この世の苦悩から離れるためには役に立たないとブッダは直感しました。言われて見れば当たり前のことのように思えてしまうかもしれませんが、真剣に苦行に打ち込んでいる修行者ほどこの発想は難しいのではないでしょうか。世の中で安穏に暮らしている人とは全く別の、全てを捨てて修行に打ち込む生活がそもそも救いとは無関係だなどと言われたら憤慨してもおかしくありません。ひとりひとりの必死の努力は一体何なのだとなってしまいます。しかしブッダはこの発想の転換を成し遂げたのでありました。
こうしてブッダは断食をやめ、托鉢をするために村へと下りていきます。そこで出会ったのがあのスジャータという娘だったのです。
ネーランジャラー川とスジャータのミルク粥
ブッダが沐浴したのはブッダガヤの目の前を流れるネーランジャラー川(尼連禅河)という川でした。現在はファルグ川と呼ばれていて、ここは乾季になると水がほとんど無くなってしまう川になります。
こちらは先ほどの写真より少し下流側のネーランジャラー川です。私が訪れたのは二月の乾季だったためすっかり水が干上がってしまっています。そして対岸に見える尖塔はブッダガヤの大塔です。後に改めて紹介しますがここがブッダが悟りを開いた聖地となっています。
ブッダは山を下り、まずはこの身体で沐浴し身体を清めました。身体はもはや限界。このままでは衰弱死してしまうというその時、ちょうど森の神様にお供え物を奉ずるためにやって来たスジャータがブッダを発見します。そして衰弱しきった身体ながらも並々ならぬ神々しさを感じさせるその聖者に彼女はミルク粥を施しました。
このミルク粥のおかげでブッダは力を取り戻し、復活を遂げたのでありました。
日本のスープの会社スジャータがまさにこの逸話からその名前が来ているというのは有名ですよね。私もスジャータのコーンスープが大好きでよく飲んでいます。
次の記事はこちら
※この連載で直接参考にしたのは主に、
中村元『ゴータマ・ブッダ』
梶山雄一、小林信彦、立川武蔵、御牧克己訳『完訳 ブッダチャリタ』
平川彰『ブッダの生涯 『仏所行讃』を読む』
という参考書になります。
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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