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マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』あらすじと感想~ナポレオン3世のクーデターをマルクスが分析

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マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』概要と感想~ナポレオン3世のクーデターをマルクスが分析

今回ご紹介するのは1852年にマルクスによって発表され、1869年に第二版が出た『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。

私が読んだのは講談社より2020年に発行された丘沢静也訳の『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』です。

早速この本について見ていきましょう。

本書は、ジャーナリストとしてのカール・マルクス(1818-83年)が執筆した代表作、待望の新訳です。書名にあるルイ・ボナパルト(1808-73年)は、よく知られているとおり、ナポレオン1世の甥にあたります。1836年に武装蜂起を起こしたものの失敗して国外追放処分を受けたルイは、4年後にもクーデタを試みて失敗、終身禁固の刑を宣告されました。6年後の1846年に脱獄してイギリスに亡命しましたが、そこに勃発したのがヨーロッパ全土を巻き込む1848年の革命でした。

急遽フランスに帰国したルイは、同年9月には憲法制定議会の議員に選出され、貧困層のあいだに根強く残るナポレオン崇拝を利用して、12月には大統領選挙で勝利します。そうして、3年後の1851年12月2日にはクーデタを起こし、反対派の議員を逮捕して議会を解散、国民投票で圧倒的な支持を得ると、ついに翌1852年12月には皇帝に即位し、ナポレオン3世(在位1852-70年)として第二帝政を開始することになるのです。

本書は、この過程をジャーナリストとしてつぶさに見ていたマルクスが、1848年の革命から1851年のクーデタに至る歴史を追いながら、何が起きたのか、なぜナポレオンは次々にみずからの野望を実現することができたのかを分析したもので、ルイが皇帝になった1852年に雑誌で発表されました。ここに見られるのは、巧みに民意を利用して選挙に大勝し、政治と憲法をほしいままにしていくプロセスにほかなりません。同じ光景は、それから150年以上を経た今日、さまざまな国で再現されているものだと言えるでしょう。

――こうした背景を踏まえつつ、数多くの巧みな翻訳を送り出してきた訳者が「慣れない畑」にもかかわらず育て上げた豊かな果実が、この新しい翻訳です。底本は、1869年にハンブルクで単行本として出版された改訂第2版を用いました。

本書の日本語訳としては岩波文庫(1954年)と平凡社ライブラリー(2008年)のものが広く親しまれてきましたが、第2版の翻訳である前者はいかんせん古いと言わざるをえず、後者は新しいものの第1版の翻訳で、必ずしも一般的とは言えません。そのような状況が長らく続いてきた中、練達の訳者による第2版の新訳、たくさんの人たちのニーズに応える、まさに待望の1冊になることでしょう。

Amazon商品紹介ページより

この本は1852年のナポレオン三世のクーデターをマルクスが分析した作品となります。

ナポレオンといえばフランス革命後に登場し、ヨーロッパを席巻したあの皇帝ナポレオンをイメージする方がほとんどだと思いますが、この本で語られるナポレオン三世はその甥にあたる人物です。

この人物については当ブログでも紹介しましたフランス文学者の鹿島茂氏の『怪帝ナポレオンⅢ世 第二帝政全史』に詳しく書かれています。

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鹿島氏はこのナポレオン三世について次のように述べています。

「ルパンには甥がいた。その名もルパン三世!」は、ご存じモンキー・パンチ作の『ルパン三世』の惹句だが、このルパンをナポレオンに代えて「ナポレオンには甥がいた。その名もナポレオン三世!」としたとき、案外、この「ナポレオン三世」も「ルパン三世」と同工のパロディーだと思ってしまう日本人が多いのではなかろうか。

言うまでもなく、ナポレオンにルイ=ナポレオンという甥がいたのはまぎれもない事実であり、しかもその甥がナポレオン三世としてフランスの皇帝となり、第二帝政を築いたのもまた確固たる歴史的真実である。

だが、たとえナポレオン三世の存在を知っている人でも、彼に対しては、けっして好ましいイメージを抱いてはいまい。それどころか、歴代フランスの君主の中でも、ナポレオン三世の評価は最悪といっていいのではないだろうか。

たとえば、多少フランス近代史をかじった人がナポレオン三世に対して抱いているイメージはおおむね次のようなものだろう。

すなわち、ナポレオンの輝かしい栄光をなぞろうとした凡庸な甥が、陰謀とクー・デタで権力を握り、暴力と金で政治・経済をニ〇年間にわたって支配したが、最後に体制の立て直しを図ろうとして失敗し、おまけに愚かにもビスマルクの策にはまって普仏戦争に突入して、セダンでプロシヤ軍の捕虜となって失脚した。

ようするに、ナポレオン三世は偉大なるナポレオンの出来の悪いファルスしか演じることはできなかったというものである。

こうした否定的イメージはとりわけ中年以上のインテリに根強い。なぜなら、このイメージは、彼らのアイドルだったマルクスによってつくられたからである。

へーゲルはどこかでのべている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番ファルスとして、と、かれは、つけくわえるのをわすれたのだ。ダントンのかわりにコーシディエール、ロべスピエールのかわりにルイ・ブラン、一七九三年から一七九五年までの山岳党のかわりに一八四八年から一八五一年までの山岳党、叔父のかわりに甥。(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』伊藤新一・北条元一訳)

少しでもマルクスをかじった人なら、この『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の冒頭の一節を読んだにちがいない。だが、やんぬるかな、ほとんどの人は、そこしか読まなかった。そして、ナポレオン三世は、出来損ないの茶番を演じた漫画的人物、ようするに、ただのバカだと決め付けてしまった。最後まで読めば、マルクスが一番憎んでいたのは、ナポレオン三世のクー・デタで一掃されたティエールらのオルレアン王朝派ブルジョワジーであり、ナポレオン三世はプロレタリア革命を準備するために登場した、一種の「歴史的必然」であったと主張されているのがわかったはずなのに。

講談社、鹿島茂著『怪帝ナポレオンⅢ世 第二帝政全史』P9ー11

鹿島氏の解説の中でまさしくこのマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』が出てきました。特に最後の箇所はかなりエッジが効いていますよね笑

「少しでもマルクスをかじった人なら、この『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』の冒頭の一節を読んだにちがいない。だが、やんぬるかな、ほとんどの人は、そこしか読まなかった。」

たしかに『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の最初に出てくるこのヘーゲルに絡めた文章は強烈な印象を残します。

そして実際にこの後この作品を読んでみると、たしかに気楽に読み進められるようなものではないことがわかります。鹿島氏が述べるように冒頭しか読んでいない人がほとんどであることも納得してしまいます。

この作品では『資本論』を書いた巨大な思想家マルクスではなく、ジャーナリストマルクスを知ることができます。

1851年12月のクーデターはいかにして起こったのか、そこにどのような裏事情があったのかということを1848年から遡ってマルクスは論じていきます。

上の鹿島氏の言葉にもありましたように、この本ではマルクスはナポレオン三世を愚か者として描いていません。逆に彼がいかに権謀術数を用いてフランスの政治を牛耳ったのかを描いています。

読んでいて本当に思ったのですが、どうやってマルクスはこんなことまで調べ上げることができたのだろうというくらい細かな所まで論じていきます。

現代と違って簡単に情報にアクセスできない状況の中でどうやってここまで調べ上げたのか本当に不思議でした。ジャーナリストマルクスの力にただただ驚くばかりでした。

社会の流れを読み取り、それを徹底的に分析し、活字にして発表する。

そうしたジャーナリストとしてのマルクスがあったからこそ、後の『資本論』が書き上げられたのだなということを感じました。

『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』はジャーナリストとしてのマルクスを知ることができる格好の作品です。

ナポレオン三世がどんな人物だったかを知るには鹿島茂氏の『怪帝ナポレオンⅢ世 第二帝政全史』が圧倒的におすすめですが、マルクスその人を知るためにはこの本は非常に重要な作品だと思います。

マルクスのジャーナリストとしての側面を知るためのおすすめな作品です。

以上、「マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』ナポレオン3世のクーデターをマルクスが分析」でした。

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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