(55)ロンドンでの政治活動で大活躍のエンゲルス~リージェンツ・パーク・ロードの大ラマ僧としてのエンゲルス
ロンドンでの政治活動で大活躍のエンゲルス~リージェンツ・パーク・ロードの大ラマ僧「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(55)
上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。
これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。
この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。
当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。
この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。
一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。
その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。
では、早速始めていきましょう。
国際社会主義の「最大の戦術家」エンゲルス~宣伝係としての類まれな才能を発揮するエンゲルス
ロンドンはマルクスの顧問と多方面にわたる宣伝係というお気に入りの役割に落ち着くにつれ、エンゲルスにとってこのうえない住処となった。
早速、国際労働者協会(一般に〔第一〕インターナショナル)の総評議会に選出され、エンゲルスは舞台裏でマルクスの思想面の命令を強制し、イデオロギー上の逸脱を排除すべく仕事に取りかかった。
インターナショナルのべルギーとの連絡係として、のちにはイタリア、スペイン、ポルトガル、デンマークも担当するようになったエンゲルスは、ヨーロッパ大陸にまたがるプロレタリア闘争を事実上、調整する役割を担うようになった。
街頭政治活動への情熱と、組織づくりの手腕、および辛辣な論争の書を次々に生みだす能力のおかげで、彼はヨーロッパの左翼のいがみ合う派閥間の秩序を保つための理想的な選択肢となった。
オーストリアの共産主義者ヴィクトル・アドラーの言葉を借りれば、エンゲルスは国際社会主義の「最大の戦術家」としての力量を示したのである。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P314-315
※一部改行しました
エンゲルスの優秀さについては以下の記事「『資本論』の宣伝マン・エンゲルスの天才的な広告手腕とは「マルクスとエンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(52)」でもお話ししましたが、マンチェスターでの家業を辞めてロンドンに来てからはその力がさらに遺憾なく発揮されていたのでありました。
社会主義者たちの聖地「リージェンツ・パーク・ロード122番地」
彼はこの厄介で、分裂した運動を、リージェンツ・パーク・ロード一二二番地の自分の書斎から操った。
「毎日、郵便がくるたびに、彼の家にはヨーロッパのあらゆる言語で書かれた新聞や手紙が届けられた」と、マルクスの娘婿のポール・ラファルグは回想した。「そしてほかにあれだけ仕事をかかえながら、彼がそれらすべてに目を通し、きちんと整理し、主要な内容を覚えているのは驚異的だった」。
エンゲルスの並外れた言語能力―ロシア語からポルトガル語、ルーマニア語だけでなく、プロヴァンス語やカタロニア語のような方言にいたるまで知っていた―は、連絡担当の秘書として、彼が自分宛に書かれてきた言語で返答できたことを意味した。彼はまた、面目にかけてそうするよう心がけていた。
そのうえ、エンゲルスはマルクス主義の正典の公式出版物を編集し、認可する作業も担当していた。「彼の著作物、もしくはマルクスの著作物のいずれかがほかの言語に翻訳されることになれば、翻訳者はつねに彼が監督し修正できるように翻訳原稿を送っていた」。
通信とともに、お馴染みの移住者や亡命者、冒険者、信奉者の寄せ集めもやってきて、エンゲルスはそれらの人びとを一人残らず受け入れていた。「それはちょっとしたバべルの塔事業のようだった」というのが、トゥシーの愛人のエドワード・エイヴェリングの弁だった。「ほかの国々からの社会主義者たちがリージェンツ・パーク・ロード一二二番地を彼らのメッカにしていた」
もはやマンチェスターのブルジョワ階級の社会的道徳観など気にする必要もなくなり、エンゲルスはマルクスの一家からさほど離れていない場所でリジーと堂々と暮らすようになった。何よりも、エンゲルスは政治の世界に戻ってきたのであり、生涯の協力者と肩を並べて共産主義の理念のために闘うようになった。
ヨーロッパの急速に産業化する地域一帯に彼らの思想が広まり、当局が許可する地域では社会党が結成されるにつれ、「ロンドンの老人たち」として知られるようになった彼らの見解は、これまでになく影響力をもつようになった。
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P315-316
※一部改行しました
エンゲルスは自邸の書斎を拠点に今やヨーロッパ中の社会主義者の動向に目を向け、動かすようになっていたのでした。
やはりエンゲルスの実務能力はずば抜けています。
もしここが今も見学可能でしたらぜひ行ってみたいなと思います。
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