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1869年、会社を辞めるエンゲルス~長年望んでいた搾取者の立場からの解放「マルクス・エンゲルスの生涯と思想背景に学ぶ」(54)
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これより後、マルクスとエンゲルスについての伝記をベースに彼らの人生を見ていくことになりますが、この記事ではその生涯をまずは年表でざっくりと見ていきたいと思います。
マルクスとエンゲルスは分けて語られることも多いですが、彼らの伝記を読んで感じたのは、二人の人生がいかに重なり合っているかということでした。
ですので、二人の辿った生涯を別々のものとして見るのではなく、この記事では一つの年表で記していきたいと思います。
上の記事ではマルクスとエンゲルスの生涯を年表でざっくりとご紹介しましたが、このシリーズでは「マルクス・エンゲルスの生涯・思想背景に学ぶ」というテーマでより詳しくマルクスとエンゲルスの生涯と思想を見ていきます。
これから参考にしていくのはトリストラム・ハント著『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』というエンゲルスの伝記です。
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この伝記はマルクスやエンゲルスを過度に讃美したり、逆に攻撃するような立場を取りません。そのような過度なイデオロギー偏向とは距離を取り、あくまで史実をもとに書かれています。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。
マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。マルクスの伝記に加えてこの本を読むことをぜひおすすめしたいです。
この本が優れているのは、エンゲルスがどのような思想に影響を受け、そこからどのように彼の著作が生み出されていったかがわかりやすく解説されている点です。
当時の時代背景や流行していた思想などと一緒に学ぶことができるので、歴史の流れが非常にわかりやすいです。エンゲルスとマルクスの思想がいかにして出来上がっていったのかがよくわかります。この本のおかげで次に何を読めばもっとマルクスとエンゲルスのことを知れるかという道筋もつけてもらえます。これはありがたかったです。
そしてこの本を読んだことでいかにエンゲルスがマルクスの著作に影響を与えていたかがわかりました。かなり驚きの内容です。
この本はエンゲルスの伝記ではありますが、マルクスのことも詳しく書かれています。マルクスの伝記や解説書を読むより、この本を読んだ方がよりマルクスのことを知ることができるのではないかと思ってしまうほど素晴らしい伝記でした。
一部マルクスの生涯や興味深いエピソードなどを補うために他のマルクス伝記も用いることもありますが、基本的にはこの本を中心にマルクスとエンゲルスの生涯についてじっくりと見ていきたいと思います。
その他参考書については以下の記事「マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために」でまとめていますのでこちらもぜひご参照ください。
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マルクス伝記おすすめ12作品一覧~マルクス・エンゲルスの生涯・思想をより知るために
私はマルクス主義者ではありません。
ですが、マルクスを学ぶことは宗教や人間を学ぶ上で非常に重要な意味があると考えています。
なぜマルクス思想はこんなにも多くの人を惹きつけたのか。
マルクス思想はいかにして出来上がっていったのか。
そもそもマルクスとは何者なのか、どんな時代背景の下彼は生きていたのか。
そうしたことを学ぶのにこれから紹介する伝記は大きな助けになってくれます。
では、早速始めていきましょう。
1869年、会社を辞めるエンゲルス~長年望んでいた搾取的立場からの解放
ゴットフリート・エルメンとエンゲルスとの契約は一八六九年六月で切れることになっていた。双方ともこの気詰まりな共同経営を終わらせたがっていた。問題は、いくらで手を打つかであった。
エンゲルスが最初に考えたのは、例によってマルクス家の財政だった。「君のところは年間に通常必要な経費として三五〇ポンドでやりくりできるだろうか?」と、彼はエルメンとの契約解除の交渉を始めるに当たって友人に尋ねた。
自分には金利で暮らせるだけの適切な収入を、マルクス家には充分な年間の補助金を確保できるだけの合意に達することが彼の目標だった。
ゴットフリート・エルメンから約束を取りつけるのは、ストレスの溜る「汚れ仕事」であり、エンゲルスは最も有利な合意案に満たない条件で立ち去らざるをえなくなった。
「もし僕がG・エルメンととことんやり合うことを望み、つまり仲違いも厭わず、そのせいで別の事業を始めなければならないのだとすれば、七五〇ポンドほど余計に絞りあげられただろうと思う」と、彼は弟のへルマンに説明した。
「しかし、あと一〇年も昔ながらの楽しい商売に縛られることには、まるで関心がなかった」。仕事に不熱心な共同経営者が競合会社を設立する可能性がないことをエルメンは知っていたので、強引な駆け引きにでて、最終的にエンゲルスは一万二五〇〇ポンドを一括払いで受け取ることになった。(今日の貨幣に換算するとおよそ一二〇万ポンド)。
そのような羽振りのよい多国籍企業の共同経営権にしては、大きな額ではなかったが、エンゲルスはどんな値段でも受け入れるつもりだった。ついに、彼は悪徳商売の日々に背を向けるチャンスを得たのだ。
「万歳!今日で穏当な商売はおしまいになり、僕は自由人だ」と、エンゲルスは一八六九年七月一日にマルクスに告げた。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P311-312
エンゲルスはおよそ20年勤めた父の会社を1869年に辞めることになります。
最初は通信員として就職したエンゲルスですがすでに父も亡くなり、今や彼はエルメン&エンゲルス商会の共同経営者の地位にありました。
ですが自らが憎きブルジョワとして労働者を搾取しているという矛盾に彼も苦しんでいました。
そこで彼は契約が切れるこの期に乗じて、引退を決めたのでした。
そしてその時に彼が受け取った金額がなんと、現在の価値にして120万ポンド!この本が出版された2009年の基準では1ポンド150円ですから1億8千万円です。
これに加えてこれまでの高額な給料も合わさればものすごい額になります。
エンゲルスはこの仕事に対して『ストレスの溜る「汚れ仕事」』と罵っていますが、その汚れ仕事のおかげで彼が裕福な生活を送れているという事実にはいつものごとく目を向けません。
こうしたエンゲルスの矛盾については以下の記事でもお話ししていますの御参照ください。
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(41)労働者の搾取によって得たお金で書かれた『資本論』という気まずい真実
「気まずい真実は、エンゲルスの豊かな収入が、マンチェスターのプロレタリアートの労働力を搾取した直接の結果だったということだ。
彼とマルクスがあれほど細部にわたって非難した諸悪そのものが、彼らの生活様式と哲学に資金を供給していたのだ。」
エンゲルスは父の会社に就職し、そのお金をマルクスに送金していました。労働者を搾取する資本家を攻撃していた二人がまさにそうして生活していたという矛盾が今回読む箇所で語られます。
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(48)イギリスで上流階級となったエンゲルスの優雅な社交生活とは
ここまでエンゲルスの生涯を見てきましたが、やはり彼は実務に非常に長けていて、社交的才能もあるということで実業界ではかなり優秀な人物でした。だからこそマンチェスターの社交界でも信頼され数々の役職を果たすことになりました。
矛盾に満ちた奇妙な人物ですが、やはりスケールの大きさと言いますか、魅力的なものがあるなというのはどうしても感じざるを得ません。
エンゲルスのブルジョワ社交家としての顔を見れたこの箇所は非常に興味深いものでした。
「解放」を喜ぶエンゲルス。マルクスのいるロンドンへ引っ越し、人生の再出発へ
商業生活の惨めさ―それに伴うあらゆる個人的およびイデオロギー上の妥協―を拭い捨てたことで、エンゲルスは四十九歳で生まれ変わった。
「今日は僕が自由になった最初の日です」と、孝行息子はまた母親に書いている。「今朝、陰気な市内にでかける代わりに、僕はこのすばらしい天気に数時間、野原を歩きました。そして僕の机のある居心地のよい家具に固まれた部屋では、窓を開けても煙がそこいらじゅうに黒い染みをつけることもなく、窓辺には花があり、家の前には木があり、居酒屋の中庭に面した倉庫内の陰鬱な事務所とは、まるで違った具合に仕事ができます」。
どれだけ楽しもうと、引退した工場主としてマンチェスター郊外でのんびりと趣味を楽しむ暮らしは、エンゲルスにとって長くはつづかなかった。
リジーが残っている家族とあまりにも多くの諍いをしたあとで、二人は一八七〇年の晩夏にロンドンに引っ越した。
「この一八年間僕はわれわれの理念のために何一つじかに行なうことはできず、自分はブルジョワ的活動に従事せざるをえなかった」と、エンゲルスは一八四八年をともに戦ったもう一人の仲間のフリードリヒ・レスナーにかつて謝ったことがある。
そうしたことすべてがいま変わろうとしていた。政治活動の自粛という荒野の時代を耐えたあと、エンゲルスはイデオロギー上のバリケードでマルクスの傍らに戻ることを渇望していた。「君のような昔の同志とともに同じ戦場で同じ敵を叩きのめすことは、僕にしてみればいつでも喜ばしいことだ」と、彼はレスナーに約束した。〈将軍〉は再び行動に移るべく準備を整えていた。
※一部改行しました
筑摩書房、トリストラム・ハント、東郷えりか訳『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』P312-313
エンゲルスはマンチェスターの会社を辞め、自由の身になりました。
そしてマルクスの近くに住み、政治活動をするためにロンドンへと旅立ったのでありました。
エンゲルスの再出発です。彼の活躍はここからいよいよ大きくなっていくのでした。
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エンゲルス: マルクスに将軍と呼ばれた男 (単行本)
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(55)ロンドンでの政治活動で大活躍のエンゲルス~リージェンツ・パーク・ロードの大ラマ僧としてのエ...
エンゲルスの優秀さについてはこれまでもお話ししましたが、マンチェスターでの家業を辞めてロンドンに来てからはその力がさらに遺憾なく発揮されていたのでありました。
エンゲルスは自邸の書斎を拠点に今やヨーロッパ中の社会主義者の動向に目を向け、動かすようになっていたのでした。
やはりエンゲルスの実務能力はずば抜けています。
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(53)『種の起源』に感銘を受けたマルクス、ダーウィンに『資本論』を献本。その反応やいかに
エンゲルスの薦めによって『種の起源』を知ったマルクス。はまり具合からいけばエンゲルスの方がはるかに熱狂的でしたがマルクスもその進化論には大いに心動かされたものがあったようです。
そしてマルクスはダーウィンに感銘を受け、『資本論』を献本します。それに対してかのダーウィンはどんな反応を見せたのでしょうか。
そのことについてこの記事ではお話ししていきます。
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宗教を批判するマルクスの言葉に1人の宗教者として私は何と答えるのか。
これは私にとって大きな課題です。
私はマルクス主義者ではありません。
ですが、 世界中の人をこれだけ動かす魔力がマルクスにはあった。それは事実だと思います。 ではその魔力の源泉は何なのか。 なぜマルクス思想はこんなにも多くの人を惹きつけたのか。 そもそもマルクスとは何者なのか、どんな時代背景の下彼は生きていたのか。 そうしたことを学ぶことは宗教をもっと知ること、いや、人間そのものを知る大きな手掛かりになると私は思います。
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彼とマルクスがあれほど細部にわたって非難した諸悪そのものが、彼らの生活様式と哲学に資金を供給していたのだ。」
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そしてそこでのエンゲルスの決断がまた驚きです。やはり彼は矛盾をものともしない図太い神経があったのでした。
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