ヨハネ・パウロⅡ世『希望の扉を開く』あらすじと感想~ローマ教皇が宗教における素朴な疑問に答えた対話集
ヨハネ・パウロⅡ世『希望の扉を開く』概要と感想~ローマ教皇が宗教における素朴な疑問に答えた対話集
今回ご紹介するのは1996年に同朋舎出版より発行されたヨハネ・パウロⅡ世著、ヴィットリオ・メッソーリ編、三浦朱門、曽野綾子訳、石川康輔日本語版監修の『希望の扉を開く』です。
早速この本について見ていきましょう。
はたして神は、存在するのか?存在するなら、どうして現われないのか?なぜ、苦しみをなくさないのか…?ごく一般的な知性と感性の代表たる一人のジャーナリストが、まったく自由な立場から発した、神と人間とをめぐる率直な質問の数々に、聖ペトロの後継者たるこの人は、一問たりと避けることなく、驚くべき入念さで回答を寄せた。―あふれる情熱と勇気と「人間肯定」の書。
Amazon商品紹介ページより
この本は上の紹介にもありますように、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が宗教に対する素朴な疑問に対して率直に答えていくという驚くべき内容となっています。
何がそんなに驚くべきことなのか。それは下の目次を見て頂ければ見えてきます。
質問がとにかくストレートで、しかもなかなか答えるのが難しいかなりデリケートなものが多々出てきます。ブッダやムハンマドについての質問が出てくるのも面白いですよね。
この本ではこうした「神は実在するのか、いるのならなぜ今現れて私たちを救ってくれないのか」という厳しい質問や、「世界に悪が存在するのはなぜか」という、キリスト教における定番ながらも最も難しい問題がインタビュアーから提出されます。
普通ならこうした根源的な問いに対して率直に応答するということはなかなかないはずです。まして教皇という立場であるならなおさらです。教皇の言葉には計り知れない責任が伴います。しかしヨハネ・パウロ2世は一味も二味も違いました。彼はその類まれな知性や幅広い心によってその質問を受け止め、丁寧に答えていきます。そのやりとりはまさに圧巻です。
では、ここでこの本がどのような過程で出来上がったのかを見ていきましょう。少し長くなりますがヨハネ・パウロ2世の人柄も見えてくる非常に重要な箇所ですのでじっくりと見ていきます。
一九九三年十月で、ヨハネ・パウロニ世は教皇在位十五年になる。この機会に、教皇はイタリアのラジオとテレビの申し出を受け、全世界のテレビ主要ネット・ワークを通じて、インタビューを放映することになった。これは教皇庁の歴史において最初の試みとなるはずであった。というのは、教皇庁は、幾世紀にもわたるその歴史を通じてありとあらゆる体験を積んで来たものの、聖ぺトロの後継者である教皇が、一人のジャーナリストの全く自由に考え出した質問に答える形のインタビューをテレビで放映することなどは、かつて一度もなかったからである。
同朋舎出版、ヨハネ・パウロⅡ世著、ヴィットリオ・メッソーリ編、三浦朱門、曽野綾子訳、石川康輔日本語版監修『希望の扉を開く』Pⅰ
一人のジャーナリストが自由にローマ教皇に質問し、それを放送する。これは前代未聞のことでした。こうした新しい試みを受け入れるのもヨハネ・パウロ2世の特徴のひとつです。
私はこの対談のインタビュアーとして選ばれることになった。その理由は、私がこれまでに多くの宗教的な書物―特にラッツィンガー・レポート(一九八五年)―を著し、長年にわたってさまざまな記事を書いて来たからである。それらの仕事は、一般信徒の自由な立場から行われたものであるが、それと同時に、教会が、聖職者にのみではなく、洗礼を受けた信徒一人一人にも神から与えられていると考える一信仰者の立場からなされたものでもあった。
ところで教皇は、映像化の締め切りである九月末までのご自身のスケジュールの厳しさを考慮に入れずに、テレビのディレクターや技術者たちが放映のために取材する時間をじゅうぶん持てるよう企画された。結局は、教皇としてのさまざまな務めに妨げられて出場が不可能となり、この計画は土壇場で挫折してしまった。
二、三か月たったある日、この時も全く唐突に、ヴァチカンから電話があった。かけてきたのは、教皇の報道担当秘書、ホアキン・ナバロ・バルス博士だった。彼は大変有能で、誠実、かつ親しみの持てるスペイン人の精神分析家だが、ジャーナリズムの世界に関係を持つようになり、このインタビュー計画の最も積極的な支持者であった。博士が私に語ったところによると、彼自身にも意外だった教皇の言葉を私に伝えるというのである。教皇は博士に、次のような言葉を私メッソーリに伝えてほしいとおっしゃったとのことだった。「あなたに直接お答えする方法はなかったが、ご質問を私の机の上に載せたままにしておきました。私は興味を抱きました。それをむだにするのは賢明なこととは思えません。そこで私は、これらのご質問について考え、その後、手の空いた短い時間を見つけて答えを書きました。あなたは私に質問をしてくださいました。ですから答えを受ける権利がおありです―私はその作業にかかっており、お答えをお手元に届けましょう。あとはご自身、適切と思われる形で処置してください。」と。(中略)
本文を読んで、新しい質問を加えるのが、私のもっとも重要な仕事であった。もともと私の最初の質問は、わずか二十であり、ヨハネ・パウロニ世は、それらに対して、驚くべき入念さをもって一問たりとも回避することなく答えてくださった。今さら指摘することでもないが、教皇が一人のジャーナリストに、このような真剣さで付き合われたということは、「普通の信徒」である我々の声に耳を傾けようという、謙虚で寛大で柔軟な姿勢を示されたのだと言える。
イタリア語で、また同時に世界の主要言語で出版されるであろうこの文書は、教皇ご自身の検討と承認を経ている。この書物の中に響きわたる、ヒューマンでありながら、権威ある言葉が、まさに聖ぺトロの後継者の言葉であることを読者に保証するのは私の義務である。前例のない、従って、教会に新しい可能性を示すこの文書を、さまざまなレヴェルの教皇文書の中でどう位置づけるかという分類の課題は、将来、神学者の、また、教皇の教えの研究者の仕事となるであろう。
同朋舎出版、ヨハネ・パウロⅡ世著、ヴィットリオ・メッソーリ編、三浦朱門、曽野綾子訳、石川康輔日本語版監修『希望の扉を開く』Pⅰーⅳ
この文章を読むだけでヨハネ・パウロ2世の真摯でオープンな人柄が浮かんできますよね。
「最初の質問は、わずか二十であり、ヨハネ・パウロニ世は、それらに対して、驚くべき入念さをもって一問たりとも回避することなく答えてくださった。」という箇所が私にとって特に印象に残っています。先程目次を見ていきましたが、答えにくい質問がきっといくつもあったと思います。それでもヨハネ・パウロ2世はひとつも回避することなく丁寧に答えたというのはものすごいことだと思います。
今回の記事では具体的にヨハネ・パウロ2世がどのような返答をしたかはご紹介しません。興味のある方はぜひこの本を読んでみてください。
ここで語られる質問や問いはローマカトリックだけでなく、すべての宗教に関わる根源的なものが多々含まれています。
私も宗教に携わる人間としてヨハネ・パウロ2世のこうしたオープンな姿勢は尊敬の一言しかありません。相手を頭ごなしに否定するのではなく、もっと広い視点から対話を重ねていくあり方に心を打たれました。
質問は正直かなり厳しいです。よく教皇様にそこまでのことを質問できるなとこちらがドキドキしてしまうほどです。しかし、実はそういうことも大事ですよね。本当は心の中で疑問に思っているのにいざ相手が目の前にいると委縮してしまったり、後の関係性のことを考えてしまって言い出せない。
これはお寺と僧侶に対してもよくあることなのではないかと私は感じています。
ヨハネ・パウロ2世はそうした信徒の心にも寄り添おうと、こうしたインタビューにもしっかり答えられたのだなと思います。「そうした質問も私は受け止めますよ」という姿勢があることそのものがヨハネ・パウロ2世の偉大さであるなと私は感じました。
ヨハネ・パウロ2世の教えや人柄を知る上でこの本は非常に重要な一冊であるように私は思います。この本もとてもおすすめです。
以上、「ヨハネ・パウロⅡ世『希望の扉を開く』ローマ教皇が宗教における素朴な疑問に答えた対話集」でした。
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※2023年7月24日追記 ヨハネ・パウロ2世のお墓参り
私は2022年にバチカンを訪れ、念願のヨハネ・パウロ2世のお墓参りをすることができました。
その時の体験を以下の記事「(37)サン・ピエトロ大聖堂の『カテドラ・ペトリ』~ベルニーニ芸術の総決算!空間そのものも作品に取り込む驚異の傑作!」内でお話ししていますのでぜひご参照ください。
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