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あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵に対するようにふるまう。悪い行いをして、苦い果実を結ぶ―お釈迦様のことばに聴く
あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵に対するようにふるまう。悪い行いをして、苦い果実を結ぶ。
岩波書店、中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』P19
今回のことばもなかなか強烈ですね。
愚かな人は自己に対して仇敵に対するようにふるまう。
私たちは私たち自身に対してどのようにふるまっているでしょうか。
これはじっくり考えてみればなかなか深い問題です。
まず仇敵に対するようにふるまうというのはどういうことかを考えてみましょう。
仇敵ですから単なる敵よりはるかに憎しみは強いですよね。
そんな相手には「やっつけてやろう」という厳しい態度を取ったり、あるいは実力行使に出てしまうかもしれません。
「やっつけてやりたい」
これが仇敵に対する主な思いなのではないでしょうか。
そしてお釈迦様はそんな私たちに対してこう述べるのです。
「あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵に対するようにふるまう。悪い行いをして、苦い果実を結ぶ。」
私たちは自分に対して仇敵に対するようにふるまっている。
つまり、私たちは自分に対して「やっつけてやりたい」という姿勢で臨んでいるとお釈迦様は言うのです。
普段生活していてこれはなかなか実感できないですよね。
むしろ「自分は自分を大事にしてるよ」と思うかもしれません。
ですが悟ったお釈迦様の目にはそうは映っていません。
「あなたたちが日々過ごしているあり方は自分を「やっつけよう」としているかのようである。自分で自分の心と体を傷つけようとしているのだ。煩悩に振り回されず、心の平安を求める生き方をせよ」
お釈迦様は聴き手を「えっ!?」と驚かせるようなことをよくお話します。
今回も、私たちを「愚かな人」と呼びかけ、「自分を仇敵のように扱う」と私たちが普段思うことと逆のことをあえて説くわけです。
そしてこのことばを聴いた人は「あれ?自分ってそんな風に自分を扱っているのかな」と自分に問いかけることになります。
お釈迦様はこうして人それぞれに問いを与えようとします。答えをぽんと与えるのではなく、それぞれがまず自分の生き方に疑問を持つ事。それを求めます。
そこからそれぞれが「自分を変えたい」という意志を持ってもらうことを望むのです。意志のないところに行動はありません。仏道はいやいやさせられるものではないのです。
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