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世界遺産コルドバのメスキータとその歴史~モスクの中に教会が!? スペイン編29

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不思議な形のモスクで有名、メスキータ!スペインイスラーム帝国の首都コルドバを散策 僧侶上田隆弘の世界一周記―スペイン編29

5月27日、グラナダから同じくアンダルシア地方のコルドバへ。

グラナダからコルドバへはバスでおよそ3時間ほど。

アンダルシアの道をバスは走る。

アンダルシアと言えばひまわり畑。

一面に広がるひまわり畑を期待していたのだが季節がまだ少し早かったせいか見ることはできず。

しかしひまわりではなくとも色とりどりの鮮やかな花の景色を見ることができたので十分満足だった。

コルドバのバスターミナルに到着。

コルドバは10世紀にスペインイスラーム帝国の首都として全盛期を迎え、その人口は100万人を超えるほどの世界最大級の街だったという。

グラナダとはまた街の雰囲気が違う。

コルドバの旧市街で有名なのはユダヤ人街。

イスラム帝国の支配下の国ではユダヤ人も多く住んでいることが多い。

なぜかというと、イスラム教徒でなくても税金さえしっかり納めていれば市民として認めてもらえるという仕組みがあるからだ。

これはボスニアのサラエボでもお話しした仕組みだ。サラエボではオスマン帝国下での統治ではあったが仕組みは同じだ。

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イスラム教といえば厳格で他の宗教には不寛容だというイメージが持たれているかもしれないが、実際には他者と共存する考えが根付いていた宗教だったのだ。

キリスト教世界においてはどこに行っても迫害されるユダヤ人にとっては、この待遇は非常に住みやすい条件となった。

ユダヤ人街は白い壁の建物が迷路のように立ち並ぶ。

そして5月の半ばにはそれぞれの中庭の美しさを競うパティオ祭りが開かれ、家々の壁面にも美しい花が飾られる。

残念ながらそのお祭りには立ち会えなかったが、真っ白な壁に飾られたたくさんのお花は一見の価値があるほどの美しさだそうだ。

メスキータの入り口。

コルドバと言えばメスキータ。アルハンブラ宮殿と並ぶイスラーム建築の最高峰とされる巨大なモスクだ。

内部には円柱の森と呼ばれる特徴的なアーチ型の柱がびっしり。

赤と黄色の模様が一際印象的なアーチ構造。

このアーチの構造はローマ帝国の遺産をイスラーム文化に取り込み融合させた結果生まれたものだそう。

メスキータ自体は785年に建設が始まり、その後何度も増改築がされて現在の姿になっている。

この建物が興味深いのは13世紀にレコンキスタによってコルドバがキリスト教徒に占領された際、建物がそっくりキリスト教の教会へと転用されてしまったところにある。

そして16世紀には大規模な改装があり、モスクの中に巨大なカテドラルが作られるという異例の事態となったのだ。

このようなイスラム建築のど真ん中に

立派なキリスト教の施設が作られている。

イスラム建築とキリスト教建築が隣同士に同居しているのだ。

そしてこのキリスト教会部分を歩いていると、ふと天井画がぼくの目に留まった。

何でだろう。なぜかわからないが引っかかる・・・

何かに似ているような気がする・・・

思い出した!システィーナ礼拝堂の天井画だ!

天井中央の四角い画角とそれを支える三角形の枠組み、そこに描かれた多彩な人物たち。

ポストカードの写真のみなので少しわかりにくいかもしれないが、実際にここに来てじっくりと見た後ではこのメスキータの天井画のそっくりさには実に驚かされた。

なぜこんなに似ているのだろうと思って調べてみると、やはりミケランジェロの天井画に大きな影響を受けているとのことだった。

さすが天才ミケランジェロ。

1512年に完成したシスティーナ礼拝堂の天井画のインパクトはすぐに世界中のキリスト教徒に広がっていたようだ。

そしてこのメスキータは最大4万5千人の信者が同時に礼拝できるほどの広さだそうだ。

東京ドームのコンサートの時でようやくおよそ5万人を収容できるレベル。

それを平座で4万5千人収容という恐るべき広さ。

そして実際にそれだけの信者が集まるからこそこの建物は作られることになったのだ。

当時のコルドバの繁栄ぶり、イスラームの力を感じずにはいられない。

コルドバを流れるグアダルキビール川とメスキータ。

夜のライトアップは一際美しい。

黄色く照らされた橋とメスキータが暗闇の中で浮き上がっている。

メスキータ周辺の旧市街。

少し人の流れも減りはするものの、バル街もあるのでまだまだ賑やかな雰囲気だった。

グアダルキビール川を渡る橋を歩く。

川の音を聴きながらのんびりと散歩。

コルドバはイスラーム帝国の誇る学問都市でもあった。

ここで高度な学問や文化が花開き、世界をリードする文明を築き上げた。

それに対して10世紀頃のヨーロッパは暗黒時代と呼ばれるほど荒廃し文明は後退していた。

世界の歴史はヨーロッパが常に中心だったのではなくイスラーム世界が中心だった時代がたしかにあったのだ。

現地で実際に目の当たりにしたことでイスラーム文化に対する興味がますます強まってきた。

なぜイスラーム文化は当時そこまで高水準だったのか、興味は尽きない。

続く

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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