元木泰雄『河内源氏』あらすじと感想~なぜ源頼朝は坂東に勢力があったのか。源氏と坂東のつながりを知れるおすすめ作品

元木泰雄『河内源氏』あらすじと感想~なぜ源頼朝は坂東に勢力があったのか。源氏と坂東のつながりを知れるおすすめ作品
今回ご紹介するのは2011年に中央公論新社より発行された元木泰雄著『河内源氏』です。
早速この本について見ていきましょう。
十二世紀末、源頼朝は初の本格的武士政権である鎌倉幕府を樹立する。彼を出した河内源氏の名は武士の本流として後世まで崇敬を集めるが、祖・頼信から頼朝に至る一族の歴史は、京の政変、辺境の叛乱、兄弟間の嫡流争いなどで浮沈を繰り返す苛酷なものだった。頼義、義家、義親、為義、義朝と代を重ねた源氏嫡流は、いかにして栄光を手にし、あるいは敗れて雌伏の時を過ごしたのか。七代二百年の、彼らの実像に迫る。
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私がこの本を手に取ったのは、「源頼朝はなぜ坂東に勢力を持っていたのか」という素朴な疑問からでした。これまで武士について様々な本を読んできましたが、そもそも桓武平氏や清和源氏という武家の大元は京都にあります。その名の通り、桓武平氏は桓武天皇の子孫であり、清和源氏も清和天皇の子孫です。その子孫が別れていって伊勢平氏や河内源氏、大和源氏などが成立していったのでありました。
そして本書のタイトルでもあります河内源氏こそ源頼朝を生んだ流れですが、河内源氏は今でいう大阪府羽曳野市がその本拠地だったそうです。
大阪を拠点としていた河内源氏がなぜ坂東で力を持ったのか。源頼朝に至るまでの流れはどのようなものだったのか。これが知りたかったのです。
そこで手に取った本書ですが大当たり。私が知りたかったこと全てが詰まっている最高の参考書でありました。
本書冒頭で著者はこの本について次のように述べています。
東国に初めて本格的武士政権である鎌倉幕府を開いた河内源氏。東国武士と主従関係を締結し、貴族政権や貴族化した平氏を打倒し、ついに武士政権に至る。その指導者こそ、新時代を築いた英雄とみなされてきた。しかし、この見方は様々な意味で大きく揺れ動いている。(中略)
戦後しばらくの間河内源氏は闇の部分は捨象されて、何をおいても称賛の対象として取り上げられた。それは,河内源氏の源頼朝こそが初の武士政権鎌倉幕府を樹立し、歴史を前進させた存在とみなされたからである。したがって、頼朝に至る河内源氏歴代の活動は、鎌倉幕府に結び付けて理解された。東国・奥羽の兵乱を鎮圧しながら東国武士を組織し、白河院の謀略や、院に取り立てられた平氏の台頭によって苦難に直面するものの、それを克服して貴族政権に対抗する武士政権を築いた英雄たち。それが河内源氏歴代に対する評価であった。
河内源氏の祖頼信が房総半島で平忠常の乱を平定して東国に進出すると、その子頼義と孫義家が陸奥国で前九年合戦を、ついで義家が奥羽で後三年合戦をそれぞれ平定した。そして、河内源氏は東国武士と強固な主従関係を形成して武家棟梁となった。しかし、白河院や貴族たちに脅威を与えた河内源氏は、彼らの謀略で没落に追い込まれ、院と結ぶ平氏の前に雌伏を余儀なくされた。しかも、保元の乱で源為義・義朝の父子が相克し、勝利した義朝も平治の乱で平清盛に敗北、滅亡した。だが、義朝の子頼朝は東国において、父祖が築いた基盤を背景に挙兵し、ついに平氏を倒し、後白河院以下の貴族政権を圧倒して初の武士政権である鎌倉幕府を樹立することになる……。
こうした図式が今でも大きな位置を占めていることは事実であろう。しかし、これには大きな疑問が投げかけられている。頼朝が武士政権を樹立できた背景には、源平争乱を通して形成された敵方所領没収(打倒した敵の所領を恩賞として与える制度)によって強固な主従関係の締結を実現した地頭制度があった。これに対し、自在に所領給与ができなかった頼義・義家の段階で、大規模な武士の統合を想定するのは困難である。そもそも源平争乱のような全国的な内乱が予想もされない段階で、全国規模の武士団など不要ではないか。
鎌倉幕府が,内裏大番役のように朝廷守護を重要な役割としているように、貴族と武士とはけっして対立的な存在ではない。武士はつねに王権のもとに結集するのである。それどころか、武士も貴族の一員であり、ともに民衆に対し支配者だったのである。かつてのように、貴族と武士を対立する階級とみなし、武士が結集して貴族に対抗する武士政権を樹立することを自明とみなしたり、貴族にとって武士は脅威であり、抑圧の対象であるといった、従来の河内源氏理解は、もはや成り立たない。
さりとて、貴族と武士の支配者としての同一性をやたらに強調したり、武士を単に残忍な殺人集団であったとする最近の武士論では、朝廷とは別個に武士政権が成立した理由が理解できない。たしかに武士の系譜をたどれば皇族・貴族の出身であるし、天皇・朝廷の命令を尊重したり、官位をはじめとする王朝権威を重視したり、荘園領主以下の保護を求めたのは事実である。しかし、その反面では、合戦に際して朝廷を無視するなど、朝廷の命令を相対化したこともまた事実である。公的権威より、自身の力量や思惑を重視する、すなわち自力救済が武士の行動を支える一方の原理であった。王朝権威と自力救済の間で、河内源氏以下の武士は揺れ動いていたのである。
ともかくも、河内源氏が平安末期において、辺境で謀叛人を討伐し、京で王権を擁護する、武士の第一人者であり、まさに当時の武士の役割を象徴する武士本流であったことに相違はない。それだからこそ、伊勢平氏に圧倒されるようになっても、それに対抗する権威をもち続け、ついには不死鳥のように復活し、頼朝が鎌倉幕府を樹立したのである。
武士が成長して武家棟梁のもとに結集し、ついに武士政権を打ち立てたという従来の単純な理解が成り立たない今、初の武士政権を樹立する頼朝を生んだ、武士本流ともいうべき河内源氏の実態を再検討することは重大な課題といわなければならない。本書では歴史像が揺れ動いている平安後期、具体的には武門源氏の発祥から説き起こし、河内源氏の祖頼信から頼朝挙兵までを取り上げる。
中央公論新社より発行された元木泰雄著『河内源氏』Pⅰーⅴ
「かつてのように、貴族と武士を対立する階級とみなし、武士が結集して貴族に対抗する武士政権を樹立することを自明とみなしたり、貴族にとって武士は脅威であり、抑圧の対象であるといった、従来の河内源氏理解は、もはや成り立たない。」
これは重要な視点ですよね。私達が陥りやすい貴族と武士のイメージだと思います。ですが、著者が述べるように実際の歴史はそれほど単純ではありません。
本書では頼朝に至るまでの河内源氏の流れをわかりやすく学ぶことができます。入門書としては少し難しいですが、ある程度歴史の流れを知った上であれば楽しく読むことができると思います。
私自身、これまで頭の中で混乱していた歴史が本書を読んですっきり時系列に整理されました。「なるほど、だから頼朝は坂東で力を得ることができたのか」と頷くことができました。頼朝と坂東武者の関係を知りたかった私にとってこの上なくありがたい参考書でした。源平合戦に興味のある方にぜひおすすめしたい一冊です。
以上、「元木泰雄『河内源氏』あらすじと感想~なぜ源頼朝は坂東に勢力があったのか。源氏と坂東のつながりを知れるおすすめ作品」でした。
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