⑻白河上皇も恐れた山法師の強訴とは?親鸞在世時の比叡山の政治状況について

【親鸞伝~悩み多き英雄の偉大なる生涯】⑻ 白河上皇も恐れた山法師の強訴とは?親鸞在世時の比叡山の政治状況について
前回の記事では僧兵の成り立ちと中世世界の仕組みについてお話ししました。

今回の記事ではそこからさらに進んで比叡山の僧兵による強訴(嗷訴)についてお話ししていきます。
さて、そもそも強訴とは何か・・・。
下坂守著『京を支配する山法師たち』という本では次のように解説されています。
嗷訴とは中世、寺社の僧侶や社司が仏力・神威をかざして集団で朝廷・幕府に押しかけ自らの要求をつきつけた行為をいう。そして、数ある寺社の嗷訴のなかでも、朝廷・幕府がもっとも恐れたのが、「南都北嶺」すなわち奈良の興福寺と近江の延暦寺の嗷訴であった。
無理を押し通すことを「山階道理」(『大鏡』五)といい(山階寺は興福寺の初名)、白河法皇(一〇五三―一一二九)が世の中で意のままにならない「天下三不如意」の一つに「山法師」をあげたという話(『平家物語』一)など、当時の人々が両寺の嗷訴にいだいていた畏怖の念を示す逸話には事欠かない。いうまでもなく「山法師」とは延暦寺の衆徒を指す。
吉川弘文館、下坂守『京を支配する山法師たち』Pⅲ


比叡山や興福寺の僧兵が神輿を担いで平安京へ押し入り要求を突きつける強訴。
前回の記事の最後にもお話ししましたが1000年代末頃には僧兵の力が増し、朝廷も恐れるほどの勢力となっていました。
特にその象徴となったのが1095年から始まった神輿振りを伴った山法師の強訴でした。上の画像にもありますが、これは山法師が比叡山麓の日吉大社の神輿を根本中堂まで担ぎ上げ、そこから雲母坂を下り一気に京の朝廷へ神輿を動座するという派手な示威行動でありました。


現代人たる私たちからするとこれの何が恐ろしいのかピンと来ないかもしれませんが、当時の人々からするとそれこそ災厄級の恐怖体験だったようです。
なぜ当時の人がこれほどまでに強訴を恐れたのかと言いますと、強訴とは神の怒りそのものだったからです。僧兵が担ぐ神輿には怒れる日吉大社の神が宿っています。この神を鎮めなければ京の街に災いがもたらされることになります。
災いから逃れるにはこの神輿に再び山に帰ってもらうしか方法はありません。つまり山法師たちの要求を受け入れるしかないということになります。
実際、この1095年の神輿振りは摂関家の藤原師通の命令で撃退されたのですが、その4年後に師通は亡くなってしまいます。これが御輿振りの祟りということになり京の人々は恐怖におののいたのでありました。現代人からすると神輿振りから4年後の死ですとそこに関係性は見出せませんが、当時の時代感覚からすればこれが自然なことだったのでしょう。「神輿振りは撃退しても意味がない。むしろ災いが身に降りかかる・・・。」こうした恐怖が決定的になった瞬間でした。
というわけで比叡山の僧兵による強訴はもはや白河上皇ですら制御できぬ恐るべき存在となったのです。
とはいえ、それにしてもなぜこれほどまでに僧兵が強くなったのでしょう。
最初は自分たちの荘園を守るために流浪民が武装した程度のものだったはずが、いつしか国家を揺るがすほどの勢力となった・・・。
今回の記事ではこの強訴の背景となる比叡山の政治状況についてもお話ししていきたいと思います。
まず、そもそもですが、比叡山延暦寺は最澄によって開かれた寺院になります。しかし最澄の没後は空海が開いた真言宗が圧倒的に人気があったため比叡山は停滞することになります。この差は開祖二人のカリスマ性の差というより、密教があるかないかの差になります。
空海は当時中国(唐)で最先端だった密教を完璧に習得し日本にもたらしました。密教とは文字通り秘密の教えです。呪術的な面も強く、国家安泰だけでなく個人的な祈禱や病気治療、怨霊調伏など当時求められていた呪術的な力を備えた教えでした。これが天台宗には不足していたのです。
そのため9世紀半ばには円仁、円珍が唐へ渡り、今度こそ密教を比叡山にもたらしたのです。これによりようやく比叡山も密教を強力に推し進めることができるようになりました。
しかしです。そこから935年に比叡山が大火に見舞われ、根本中堂など多くの伽藍が焼け落ちてしまったのです。こうした荒廃状況から比叡山はなかなか立ち直ることができず、再び沈滞してしまったのでありました。
それを復興したのが良源という天台座主です。

良源は停滞した比叡山を復興するべく獅子奮迅の働きをします。学問機関を新たに創設し、若手僧侶の育成を強力にプッシュしました。『往生要集』で有名な源信もこの良源の弟子です。源信も比叡山、いや日本を代表する学僧ですが、その背景にはこの良源の後押しがあったのです。
また、良源は藤原摂関家の嫡流たる藤原師輔の熱烈な支持を受けることになりました。
そのきっかけは師輔の娘の安産祈願の祈禱でした。
師輔は気鋭の僧良源に娘の安産祈願を依頼し、それが無事に達せられたため良源を護持僧へと任じたのです。
摂関家の繁栄のためには皇太子が無事に成長してもらわないと困ります。しかし政治をしていれば誰かの怨みを買わずにはいられないのが世の定め。無念の内に死んだ政敵の怨霊にいつ襲われるかわかりません。これは当時においては非常にリアルな恐怖でした。そのため呪力の強い護持僧の存在は極めて重要な意味を持っていたのです。つまり、政治家にとって自分を怨霊や呪詛から守ってくれる護持僧はなくてはならぬ存在だったと言うことができます。
こういうわけで師輔は有能な護持僧でもあった良源に全幅の信頼を寄せることになったのです。こうして良源は摂関家の強力な後押しを受けて根本中堂をはじめ山内の伽藍を急ピッチで再建していきます。比叡山の繁栄は実はこの時点から始まることになったのです。
ただ、この摂関家による後押しは諸刃の剣でもありました。
結論から言いますと、この摂関家の強力な後押しの結果、比叡山が仏教世界から第二の世俗社会へと変貌していくことになってしまったのです。
これは一体どういうことなのか、ざっくりと見ていくことにしましょう。
まず、師輔は十男の尋禅を良源の弟子として出家させることにしました。しかも後に良源の後継者となるべく手厚く育てるよう良源に頼んでいます。
摂関家レベルの子弟がお寺に入ること自体はそこまで大きな問題ではないのですが、この尋禅の存在が比叡山だけでなく日本仏教界全体にとてつもない影響を与えることになってしまったのでありました。
通常、仏教教団の世界で最も重んじられるのは修行の期間になります。出家してからどれほど長い期間修行してきたかというのが僧侶の位階を決める際に重要視されていたのです。もちろん個々の知恵才覚によってその出世状況は変わってきますが、建前上はやはり年功序列というある程度の秩序があったのです。
しかし尋禅はそれを飛び越えて次々と出世し、最終的には良源の後継者として天台座主の座にまで就いてしまいます。良源というスーパースターの下、付きっきりで指導を受けていたのですから当然実力もあったことは間違いないのですが、仏教界の秩序を守っていた最後のたがががこれで外れてしまったのです。
しかも尋禅の出家の際、膨大な荘園も一緒に寄進されることになりました。一言で荘園と言っても、それは単なる土地ではありません。そこには現地で農作業をする人もいれば、それを管理する人間もいます。さらに前回の記事でお話ししましたように、それを防衛する人間もいます。それら全てをひっくるめて荘園です。それが尋禅と共に比叡山に寄進され、良源が比叡山の代表としてそれを管理するという形になったのです。
さて、ここで皆さんもお気づきになられたのではないでしょうか。
これが比叡山の僧兵が強力になった根本原因です。
つまり世俗の親分子分関係がそっくりそのまま比叡山に入り込んだ結果、その力関係もそのまま比叡山に定着するという仕組みが出来上がってしまったのです。
この尋禅の出家以降、次々と天皇家出身の貴族や摂関家が有力寺院に子弟を送り込むことになります。そしてその世俗での政治力や財力を背景に次々と出世していき、トップを占めるようになっていきました。
しかも思い出してみてください。「⑴親鸞の誕生とその出自~藤原氏傍流の日野家に生まれた聖人と当時の貴族事情について」の記事でお話ししましたように、当時の貴族は和歌や蹴鞠ばかりしているようななよなよした人間ではありません。馬に乗り弓を扱う武人でもありました。そんな貴族の子弟がそのまま僧侶の世界に入って来たのです。
おそらく、多くの子弟は僧侶になり家の繁栄や平和のために一生懸命仏道修行に励んだことでしょう。しかし中には荒くれ者も多かったはずです。貴族の狼藉はこの頃珍しいものではありません。しかもそうした貴族には必ずボディーガードたる子分たちも付いています。彼らも一緒に寺に入ってきたらどうでしょう。それだけで強力な僧兵軍が形成されることになります。
もはや流浪民を防衛のために武装させた素人集団ではなく、戦闘のプロが僧兵として組織化され始めたのです。その力がいよいよ成熟し、爆発したのが強訴でもあるのです。
では、やはり貴族が入ってきたことで比叡山が堕落してしまったというのは本当のことだったのでしょうか。
いやいやこれがまたそうとは言えないのです。
次の記事ではこうした第二の世俗と化した比叡山のもう一つの側面をお見せしていくことにしましょう。
続く
この記事で特に参考にした本はこちらです
平雅行『改訂 歴史のなかに見る親鸞』
桃崎有一郎『武士の起源を解きあかす』
村山修一『比叡山史 闘いと祈りの聖域』
下坂守『京を支配する山法師たち』
平林盛得『良源』
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