上横手雅敬編『鎌倉時代の権力と制度』概要と感想~法然教団弾圧事件「建永の法難」の経緯を詳しく知るのにおすすめ

上横手雅敬編『鎌倉時代の権力と制度』概要と感想~法然教団弾圧事件「建永の法難」の経緯を詳しく知るのにおすすめ
今回ご紹介するのは2008年に思文閣出版より出版された上横手雅敬編『鎌倉時代の権力と制度』です。
早速この本について見ていきましょう。
鎌倉時代史をリードしてきた編者と、次世代を担う関西の若手研究者により結成された鎌倉時代研究会の初の論集。「公家政権」「鎌倉幕府」「宗教と寺社」の3篇からなり、各分野のスペシャリストたちがそれぞれの視点から最新の研究成果を披露する。
Amazon商品紹介ページより
本書『鎌倉時代の権力と制度』は上の本紹介にもありますように各分野のスペシャリストによる論文集となっています。
目次は以下の通りです。
第1篇 公家政権
中世貴族社会における家格の成立(佐伯智広)
女院制の展開と執事(樋口健太郎)
後鳥羽院政期の在京武士と院権力―西面再考―(長村祥知)
鎌倉時代初期における朝廷の貨幣政策(伊藤啓介)
鎌倉時代の国守について(宮本晋平)第2篇 鎌倉幕府
御教書・奉書・書下―鎌倉幕府における様式と呼称―(熊谷隆之)
鎌倉幕府における正月行事の成立と発展(滑川敦子)
建武政権の御家人制「廃止」(吉田賢司)第3篇 宗教と寺社
「建永の法難」について(上横手雅敬)
鎌倉後期の禅宗と文芸活動の展開(芳澤元)
後醍醐天皇の寺社重宝蒐集について(坂口太郎)
鎌倉後期多武峯小考―『勘仲記』裏文書に見える一相論から―(木村英一)あとがき
思文閣出版商品紹介ページより
鎌倉時代研究会 例会記録
本書の中で特にご紹介したいのが上横手雅敬氏の「「建永の法難」について」という論文です。
法然教団が弾圧され、法然や親鸞が流罪となったこの事件。浄土真宗僧侶としてこの事件への関心はとても強いものがあります。
この論文の冒頭に要旨が掲載されていますので、そちらをここに紹介します。
元久二年(一二〇五)から翌三年(建永元)にかけて、興福寺は専修念仏を批判し、法然らの処罪を朝廷に訴えた。朝廷との折衝によって、法然の弟子の中で、偏執の著しい安楽・法本の処罰が決定し、明法博士の罪名勘申が行われたが、実際の処罰にはいたっていない。朝廷では専修念仏の偏執の勧進を非難する宣旨を出すことについて議論が行われたが、念仏そのものの停止でないことが強調されており、結局は宣旨も出されなかったようである。興福寺の要求は、ほとんど受け入れられていないが、興福寺側では少数の五師・三綱が交渉に出席するだけで、公家側に威嚇を与えていないのが原因であり、「八宗同心の訴訟」という状況からは遠いのが実情であった。
建永元年末から翌二年にかけて、後鳥羽上皇の熊野御幸の留守に、院の小御所女房たちが、法然門下の安楽・住蓮に帰依し、密通にまで及んだ。激怒した上皇は、安楽・住蓮を斬罪に処した。院小御所女房たちと上皇とは極めて親密な関係にあった。念仏僧に帰依した女房の中心は、小御所女房の筆頭で、上皇との間に道助入道親王を生んだ西御方坊門局であった。また安楽らの処刑は、正式の手続きを経た刑罰でなく、上皇の私刑であった。このとき専修念仏禁止令が出たかどうかについては疑問がある。この間、延暦寺・興福寺は何の動きも見せず、安楽らの処刑は、寺院勢力の動きとは無関係であった。
これと関係して死罪制度の推移を考えた。嵯峨朝以来、国家の刑罰としては行われなかった死罪が、保元の乱後、一時的、部分的に復活したが、その後も公家法では死罪は行われなかった。しかし武家法・寺院法には死罪は存在しており、公家・武家・寺院の相互交渉によって、犯罪人の引渡し、死罪の執行が行われることもあった。当時公家に死罪がなかった点から見ても、安楽らの処刑は正式の刑罰でなく、後鳥羽の私刑と見ざるを得ない。
思文閣出版、上横手雅敬編『鎌倉時代の権力と制度』P235
この論文では法難の詳しい経緯を見ていくことができます。特にこの要旨にありますように、興福寺による訴訟が実はそれほど大きな影響を及ぼしていなかったことを知ることができます。このことは以前当ブログでも紹介した森新之助著『中世摂関院政期の研究』で提起された問題とも繋がってきます。
また、中世の朝廷において死刑が行われていなかったにもかかわらず、安楽、住蓮が斬首されたことに対する考察も鋭いです。国家を揺るがす反乱を起こした謀反人ならまだしも、密通の罪で死罪になるのは前代未聞です。それにもかかわらずなぜ彼らは殺されることになってしまったのか、その考察は非常に説得力あるもののように私は感じました。
また、この論文の最後の言葉も印象的です。
さてこのように、念仏者が斬られたのは、風紀に対する後鳥羽の私怨が原因であり、念仏停止令も出されたとはいえない。法然の配流について、今回は扱う余裕がなかったが、事実として疑う余地がないとしても、事情・背景については検討の余地があるであろう。そのように考えると、「建永の法難」とは一体何だったのだろうか。
思文閣出版、上横手雅敬編『鎌倉時代の権力と制度』P260
「そのように考えると、「建永の法難」とは一体何だったのだろうか」
これまで当ブログでは平雅行著『歴史のなかに見る親鸞』や今井雅晴著『親鸞聖人の一生』などいくつも親鸞伝をご紹介しましたが、親鸞聖人の歴史的史実についてはわからないことがまだまだたくさんあります。そのひとつがこの「建永の法難」でもあります。
歴史学の大家である上横手雅敬氏のこの率直な表明がまさにこの状況を的確に示しているのではないかと私は思います。
歴史的な史実が確定しない中でも私たちは生きていかねばなりません。真宗僧侶である私にとって、これは特に重たい問題ですが、これからも自分なりの仏道を歩めるよう学び続けたいとこの本を読んで改めて思ったのでありました。
本論文は法難の流れや背景の全体像や、問題の要点を掴むのに非常におすすめです。ぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。
以上、「上横手雅敬編『鎌倉時代の権力と制度』概要と感想~法然教団弾圧事件「建永の法難」の経緯を詳しく知るのにおすすめ」でした。
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