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(87)先祖供養の聖地ガヤーのヴィシュヌ寺院でヒンドゥー教の熱気を体感!

ガヤー
目次

【インド・スリランカ仏跡紀行】(87)
先祖供養の聖地ガヤーのヴィシュヌ寺院でヒンドゥー教の熱気を体感!

日本人にとってブッダガヤという地名は有名であっても、ガヤーという地名はほとんど知られていないのではないだろうか。『地球の歩き方』でもブッダガヤのページはあれどガヤーを紹介するページは存在しない。

日本からの仏跡ツアーでもガヤーに時間を割くというのもほとんどないのではないだろうか。少なくとも私は聞いたことがない。

だが、実はこのガヤーこそインド人にとっては最も重要なヒンドゥー教聖地のひとつなのである。

そもそも、ブッダガヤという地名もガヤーという街においてブッダが悟った地ということでブッダガヤなのだ。ブッダガヤあってのガヤーではなく、ガヤーあってのブッダガヤなのである。ここは仏教聖地になる前からヒンドゥー教(当時はバラモン教)の聖地として有名だったのだ。ここは様々な修行者や宗教者が集まる宗教的な土地だったのである。だからこそブッダもこの近郊で修行を続けていたのだ。

地図の通り、ガヤーはブッダガヤの北に位置する。現在はガヤー市内の範囲外ではあるが、かつてはその近郊もガヤーであったのだろう。

ガヤーのヴィシュヌパト寺院近くにて。灰色の塔と丸屋根が見える。

ここガヤーは先祖供養の聖地としてインド人に最も重要視されている地である。このことについて『インドを旅する55章』では次のように解説されている。

ヒンドゥー教徒にとってガヤーは、両親の死後に必ず訪れなければならない特別な場所である。両親が亡くなる前にはガヤーに行くことを忌避する人もいる。

現代において、ガヤーは祖先祭祀(シュラーッダ儀礼)の執行に最も通した場所であると考えられている。ガヤーで供養をすると祖先は解脱を得られる、この世で彷徨い苦しむ魂に平静を与えられる、ガヤーは最後の供養の場所で、両親の死後、数年後にここに来るのは息子の義務である、などと巡礼者は語る。

毎年9月中旬から10月中旬までの二週間の「祖先のための半月(ピトリパクシュ)」すなわちヒンドゥー教のお盆の期間には、何十万もの人がこの小さな街を訪れ、大変に混雑する。地域や家ごとの慣習によって巡礼の形態に相違はあるが、ガヤーを訪れる者たちの目的はただ一つ―死者の魂に安らぎ(シャーンティ)を与えることだ。

※スマホ等でも読みやすいように一部改行した

明石書店、宮本久義、小西公大『インドを旅する55章』P69

インドの葬送といえば日本人の多くがバラナシのガンジス川の火葬を思い浮かべるのではないだろうか。

「インド人はバラナシで火葬され、川に遺灰を流すことで救われると信じている。だからお墓を作らない。」

そのようなイメージを抱く方がほとんどだと思う。

だが上の解説を読んで驚いたのではないだろうか。たしかにインド人はお墓を作らない。しかし、その後の先祖供養のお参りを非常に重要視しているのである。お盆の供養まであるというのだから驚きだ。

火葬の聖地はバラナシ、そしてその後の先祖供養の聖地こそこのガヤーなのである。だからこそインド全土からこの聖地目指して多くのインド人が集まってくるのである。そう考えるとこのガヤーという地がいかに重要な場所であるかが感じられるのではないだろうか。

しかし日本人にはブッダガヤのインパクトが強すぎるためかその重要性がほとんど知られていない。まあ、このヒンドゥー教寺院がヒンドゥー教徒以外立ち入り禁止というのも大きな理由かもしれない。行っても中を見れないなら仕方ないではないかと。それもわかるような気がする。

ヴィシュヌパド寺院の入り口付近までやって来た。ものすごい混雑である。この日は祝日でも祭日でもない、いたって普通の平日である。いつ来てもここは賑わっているそうだ。

入り口前の広場も人、人、人でものすごい活気だった。インドらしいパワーで満ちている。

さて、ここでこのヴィシュヌパド寺院の成り立ちについても見ていくことにしよう。

現在の聖地ガヤーの中心は、まぎれもなくヴィシュヌパド寺院だ。その名の通り、岩肌に浮かび上がるヴィシュヌ神の足跡(パド)を本尊とする。その昔、神々よりも神聖な身体を得たガヤースル(ガヤースラ、ガヤという名前のアスラすなわち魔神)の上で、ブラフマー神が供犠を行った。

ガヤの身体が震え出したので、ヤマ神が彼の頭に岩を置いた。その上に神々が乗ってもなおガヤの震えは止まらなかった。そこにヴィシュヌ神が登場し、岩の上に立つとガヤは不動になった。ヴィシュヌ神に促されたガヤは、自身の身体の上に神々が永遠にとどまること、自分の名前でこの場所が知られるようになること、ここで祖先祭祀をした者が千世代の祖先たちを救うことを求めた。

『ヴァーユ・プラーナ』2・44章で説かれるこの神話は、聖地ガヤーの起源を伝える話として現在でも多くの人が口にする。

※スマホ等でも読みやすいよう一部改行した

明石書店、宮本久義、小西公大『インドを旅する55章』P69-70

聞きなれない単語が多く混乱させてしまったかもしれないが少し整理しよう。

まず、ここの本尊たるヴィシュヌ神の足跡の岩の由来となったヴィシュヌ神はインドの三大神の一人である。

ヴィシュヌ神 Wikipediaより

ヴィシュヌ神はシヴァ神と並んでインドで最も人気のある神様のひとりである。

そしてこのヴィシュヌ神においてはその変化能力がつとに有名である。この神様は様々な化身となって人々の前に現れるのだ。それは『マハー・バーラタ』というインド叙事詩の主要人物クリシュナであったり、はては人間ではなく亀やイノシシであったりもする。その中でも私達仏教徒にとって重要なのが、仏教の開祖ブッダもこのヴィシュヌの化身であるとヒンドゥー教では考えられているという点である。

つまり、インド人にとってはブッダもヒンドゥー教の神様なのである。

こうしてヴィシュヌ神という変幻自在の神様の存在によって様々な土着の神様を吸収し巨大化していったのがヒンドゥー教の歴史でもある。このヴィシュヌパド寺院もまさにそうした流れで聖地化された可能性が非常に高い。

上の解説にあるように、ここにはガヤーという名前の魔神がいた。そしてその上に岩が置かれ、そこにヴィシュヌの足跡がつけられたことがこの地の由来になっている。このガヤーという魔神こそ土着の神様だったのだろう。そしてそれを吸収する形でこの神話が生まれヴィシュヌの聖地となったのではないだろうか。

ガヤーという地名の由来が魔神の名前というのは実に興味深い。ここはやはり何か精神的というか神秘的な空気がある土地なのだろう。だからこそここに自然と宗教家が集まりやがて巨大な聖地となっていったのではないか。やはりここには何かがあるのである。

ヴィシュヌ神像 Wikipediaより

ちなみにであるがこのヴィシュヌ神像、何かに似ているような気がしないだろうか。

そう、仏教における観音菩薩とそっくりなのである。

観音菩薩、12世紀、平安時代東京国立博物館蔵 Wikipediaより

実はこの観音菩薩も変化能力がその特徴で、様々な姿で私達を救ってくれる菩薩様である。そう、この菩薩様はヴィシュヌ神の影響を強く受けているのだ。インドではブッダをヒンドゥー教の神様のひとりとみなした。しかし仏教側においてもヴィシュヌ神を仏教の菩薩のひとりとして受け入れていたのである。そう考えるとお相子様かと妙に納得してしまった。

先程も述べたがヴィシュヌパド寺院はヒンドゥー教徒しか入れない。しかしガイドのグプタさんがここのバラモンさんと交渉し、特別に中を案内してもらえることになった。これはすごいことになった!

ここから先の写真撮影は禁止なので残念ながら写真はない。だが、そこで体験したことをこれからお話ししたいと思う。

上の写真の門から境内に入るとすぐそこに寺院本殿がある。外から見えていた塔の場所である。ここにヴィシュヌの足跡がある岩があるのである。

堂内に入ると黒いごつごつした柱が林立するスペースがあり、そこから奥の狭い入り口を通って岩の間に向かう。

この岩の間に向かう前の部屋にはモニターがあって、岩の間の状況がリアルタイムで見れるようになっていた。私はその映像を観て苦笑いせずにはいれなかった。狭いお堂の中での押し合いへし合いのカオスがそこに映し出されていたのである。

今からそこに行くのである。私は腹をくくった。ここまで来たらもう行くしかないのである。

その岩の間は5メートル四方もないくらいの狭い空間だった。そしてその床の中心がくぼんでいるのが見えた。そこに円形の岩が置かれているのである。これがヴィシュヌの岩なのである。この岩めがけて皆が殺到し、あのカオスが生まれていたのだ。

床に置かれた岩の前で跪き、手を触れ、頭をこすりつける人々の群れ・・・。彼らはその岩に沐浴の水もかける。寺院目の前のファルグ川で巡礼者は身体を清める。その水をこの岩にかけることも大きな功徳なのである。そしてその水で濡れた岩に額をこすりつけるので、額の印の彩色だったりが溶け込む。さらに奉納の花やお供え物もここに出されるので様々なものが入り混じった水で床はぐしゃぐしゃの状態である。すでに私の足元はそうしたないまぜの液体でずぶ濡れである。

我よ我よと岩に殺到する人々。そして頭をこすりつけ、人々の声が反響するこの小さな空間はすさまじい混沌であった。私はこのあまりの光景に呆然とし動けなくなってしまった。

そんな私であったがガイドのグプタさんと案内してくれたバラモンさんが岩の方に進み、頭をつけた。私に見本を見せてくれようとしてくれたのである。しかしここでものすごいことが起きた。バラモンさんの後ろから老婆が容器に入れた水を思いっきりぶっかけたのである。この老婆はもう待ちきれなかったのであろう。バラモンさんの肩のあたりがずぶ濡れだ。これにバラモンさんがものすごい剣幕で反応し、その老婆を叱りつけた。しかしその老婆はどこ吹く風。やはりインドは半端ではない。あぁ、とんでもないところに来てしまったぞ・・・。

そしてついに私の番が来てしまった。ぐちゃぐちゃの床に跪き、おそるおそる岩に手を触れる。これでよしと退散しようとすると、「だめだ!頭をつけろ!」とバラモンさんに叱られる。ああ!もうやるしかない!私も覚悟を決めてぐっと頭を寄せてその岩に触れた。額にひんやりとした岩の感触を感じる。数秒経った。顔には水やら何やらのしぶきが飛んでくる。そして後頭部に冷たいものを感じ思わずのけぞってしまった。やられた!私もぶっかけられたのだ!肩回りまで濡れてしまっている。

もう何が何だかわからずやっとのことで戻ると、バラモンさんに花輪を掛けられ、草も渡された。だが、この花輪も濡れている・・・。だが、これも祝福なのである。ありがたく頂戴する。

寺院の目の前にはファルグ川が流れている。かつてはネーランジャラー川と呼ばれていた川だ。ここでブッダが沐浴し、スジャータと出会ったのである。

この川は古くから身を清める聖なる川として親しまれてきた。それは今も変わらない。この寺院でお参りする際もヒンドゥー教徒は皆ここで体を清めるそうだ。

こうして私のヴィシュヌパド寺院での体験は終了した。これは今でも忘れることのできない強烈な体験であった。インド人の熱気、混沌の中心部まで行ったのはこれが初めてではないだろうか。あの岩に向かっていくインド人の真剣さに私は圧倒されてしまった。その熱量に押されて私も顔に水がかかろうとも額をつけることができた。ほんの少しだけインド人の中に入れた気がした瞬間だった。

もしかして、こうしてインド人は混沌の中に一体感を感じているのではないだろうか。インドには秩序がないわけではないのかもしれない。こうしたカオスの中に我々日本人とは異なる「秩序には見えぬ秩序」があるのではないか。各々が好き勝手に動きながらも何らかの一体性を担保する何かがあるのではないか。

こうした体験をすることができたのもガイドのグプタさんや案内して頂いたバラモンさんのおかげである。本当にありがたい体験であった。

このヴィシュヌパド寺院はインド人にとって非常に重要な聖地である。グプタさんもテレビ電話でご家族にこの寺院の外観を見せて会話していた。それほどここに来るのはありがたいことなのである。

インドではたしかにお墓は作らない。だが亡き人への供養は私達日本人と同じように大切に営まれているのである。お墓のあるなしはその地その地の文化の違いである。そこに優劣はない。だが、死別した大切な人への思いや祈りというのはやはり世界で共通するものがあるのではないかと強く実感したガヤーであった。

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「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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