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【インド・スリランカ仏跡紀行】(80)
猿王奉蜜の地ヴァイシャーリー~ブッダ逗留の聖地と見事なアショーカ王柱
ケサリア大塔を訪れた私の次の目的地はヴァイシャーリー。ここは仏教の八大聖地のひとつでもある。
ブッダ在世時のヴァイシャーリーはリッチャビ族の都で、インド随一の商業都市として栄えていたことが知られている。
ブッダもこの都市には何度となく滞在し説法をしている。そしてここが八大聖地に選ばれたのはブッダの臨終の旅路の重要なポイントであったことと猿王奉蜜の伝説による。
中村元著『ゴータマ・ブッダ』下巻ではその伝説について次のように説かれている。
ヴァイシャーリーのあたりには、わりあいに池や沼地が多い。アショーカ王石柱の近くの池は、ラマクンド池と呼ばれるが、それが伝説上の「猿の池」であることは疑いない。(中略)
仏典の物語によると、釈尊がヴァイシャーリーのこの池の側を修行僧たちと歩いていたとき、みずからの鉢を他の修行僧たちの鉢と並べて置いたところ、猿は釈尊の鉢を選んでサーラ樹の蜜を満たして奉ったという。
この池は猿たちが釈尊のために掘ったものであるからというので、「猿の池」(猿猴池)と名づけられた。この池はこの地の大林の重閣講堂のかたわらにあったというが、重閣講堂の跡はまだ発見されていない。
春秋社、中村元『ゴータマ・ブッダ』下巻P132-133
では、早速ヴァイシャーリーの様子を見ていくことにしよう。
駐車場から遺跡までの道にはお土産屋などが並んでいた。かなりローカルな雰囲気である。
敷地内に入るとすぐに茶色いストゥーパが目に入った。
近くまで行くと、発掘された僧院跡が現れた。ストゥーパのすぐそばにはアショーカ王柱も立っている。
真下から見上げてみると何とも言えないエネルギーというか迫力のようなものを感じた。
猿王奉蜜の池もこの通りきれいに整備されている。
ストゥーパの奥にはまさに土から出てきたかのように遺構が保存されている。このレンガの基礎部分が地中のどのあたりにあったのかがとてもわかりやすい。
これらの遺構も皆埋まっていて忘れ去られていた。7世紀にここにやって来た玄奘の時点ですでにここは閑散としていたそうだ。商業都市として繁栄していた頃の面影はなかったのである。インドの仏跡は本当にこのような場所が多い。
そしてここから少し離れたところにブッダの遺骨が見つかったストゥーパ跡がある。
この屋根の下にその発掘現場が保存されていて巡礼者がお参りできるようになっている。
こちらが仏舎利が見つかったストゥーパ跡だ。かなりしっかりした基礎が作られていることがわかる。
巡礼者たちはここの周りを歩き、お経を唱えお参りをしていた。
さて、これにてヴァイシャーリー訪問も終了。だが、今日の日程はまだ終わりではない。次の目的地は第三結集の地パータリプトラだ。
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ゴータマ・ブッダ 上 〈普及版〉
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