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菩提樹をもたらしたサッガミッタ尼来島の聖地とスリランカ最北端サッコタイ岬を訪ねて

スリランカ最北端
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【インド・スリランカ仏跡紀行】(36)
菩提樹をもたらしたサッガミッタ尼来島の聖地とスリランカ最北端サッコタイ岬を訪ねて

ジャフナ沖のナーガディーパ島を訪れた私は次に向かったのがスリーマハー菩提樹をもたらしたサンガミッタ尼が上陸したという浜辺である。

そこには現在ダムバコラパチュナ・サンガミスサ・テンプルという寺院が立っているとのこと。普通の観光客はほとんど行くことのない場所ではあるが、仏教聖地を巡ろうという私には欠かせぬ場である。

さあ、その寺院に到着した。

これまで見てきた寺院と違って控えめな大きさだが、例のごとく新しい。ここも近年聖地化され整備が進められたのだろう。

仏塔の奥に大きな看板があった。覗いてみよう。

ご丁寧に地図上で「YOU ARE HERE」と教えてくれる。それだけここがマイナーな証拠だろう。

そしてその右にはサンガミッタ尼の来島を示す絵が描かれていた。

隣の看板でもまさにそのシーンが別のタッチで描かれていた。ここに描かれているのがインドのブッダガヤからもたらされた菩提樹であり、これがアヌラーダプラに植えられてスリーマハー菩提樹として信仰されることになるのである。

ところで、皆さんはサンガミッタ尼のことを覚えておられるだろうか。以前の記事で少しだけ出てきただけなのでうろ覚えの方も多いかもしれない。せっかくなのでここで再登場を願おう。

サンガミッタ尼はスリランカに仏教をもたらしたマヒンダ長老の妹である。

アショーカ王の息子であったマヒンダの妹ということは、彼女もアショーカ王の娘である。

この高貴な高貴な兄妹がスリランカに仏教をもたらしたのだ。

彼女がもたらした菩提樹については「(29)なぜ私はスリランカの聖地や仏跡に感動できなかったのだろうか~宗教と「人生の文脈」について考える」の記事でもお話ししているのでぜひ参照して頂ければ幸いである。

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私もサンガミッタ尼が上陸したとされる浜辺に出てみた。

おぉ、これは実に美しい。海だ。海に来たぞ!

・・・以上である。

たしかにここはスリランカ仏教においては聖地なのかもしれない。

しかしその文脈にいない私にとってはなかなか共感しにくい場所であったのも事実。やはりシンハラ仏教ナショナリズム的な文脈で創造された聖地に私はどうしても無感覚になってしまうようだ。

そしてこの後、せっかくここまで来たのでスリランカ最北端の地サッコタイ岬まで行ってみることにした。サンガミッタ上陸の地からは車でだいたい1時間ほどの距離である。

地図で見てみるとまさにスリランカの先端。よくぞここまでやって来たものだと自分でも驚く。

間もなく到着だ。海辺は小さな漁村という雰囲気で、函館出身の私にとってもどこか懐かしさを感じさせる。

いよいよ到着だ。岬というから我が函館の立待岬のような断崖絶壁を想像していたのだが、ごく普通の海岸である。

函館の立待岬 Wikipediaより

正直、何もないただの海岸である。しかしここが実に素晴らしい場所だった。この日は移動時間がとにかく長く、もはやヘトヘトだったのだがここに来てずいぶんと救われたものだ。穏やかでのんびりした海辺の空気にすっかり癒されたのである。

私はしばしの間ここで海を眺め続けた。

この美しいスリランカ最北端の景色は今も脳裏に焼き付いている。

さあ、帰ろう。今日も長い一日であった。

スリランカでの日程は想定をはるかに超えるハードスケジュールだった。ほとんど一日中移動時間である。それもそのはず、コロンボ周辺をスタートしてわずか数日でスリランカ最北端まで来てしまっているのだから。

それでも倒れずにいられたのはスリランカの環境の良さと食べ物のおかげだろうと私は思っている。

これにてジャフナでの日程は終了。ここから再びスリランカを一気に南下し中南部の仏教聖地を巡ることになる。次の目的地はダンブッラ。ここも世界遺産となった仏教聖地なのであるが、私はここを生涯忘れることはないだろう。きっとこれからの人生でもここを超える世界遺産と出会うことはないのではないかとすら思っている。ぜひ次の記事もお楽しみいただきたい。

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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

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「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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