サッセールワ大仏とアウカナ大仏~知る人ぞ知るスリランカの傑作大仏を訪ねて山中へ
【インド・スリランカ仏跡紀行】(26)
サッセールワ大仏とアウカナ大仏~知る人ぞ知るスリランカの傑作大仏を訪ねて山中へ
高速道路をひた走った私はある地点からこの便利な道路を降りて一般道へと進路を変更した。
これから私が向かうのはサッセールワ大仏とアウカナ大仏という、知る人ぞ知るスリランカの傑作仏像である。
ただ、これらの大仏はミヒンタレーやアヌラーダプラなどの主要聖地から離れたジャングルの中にある。言うまでもなく、普通の観光客はそんな辺鄙な場所にはまず立ち寄らない。
だが、私はスリランカの仏教芸術をぜひ自分の目で見てみたかったのである。楠本香代子著『スリランカ巨大仏の不思議』でも絶賛されていたこれらの大仏を見ずして帰るわけにはいかない。こういうわけでかなりの強行スケジュールになってしまったが、ミヒンタレーに行く前に両大仏を見に行くことになったのである。
高速道路を降りた後は現地民しか使わないであろう辺鄙な道を走る。あまりに僻地だからかカーナビも困惑し始め、車を降りて現地民に道を聞きながらの道中となった。
いきなり想像以上にマニアックな場所に来てしまったなと一同苦笑いである。
そして忘れもしない。
この看板である。
なんと、「象に注意」の看板である。初めて見た時はそれこそ驚いた。スリランカではこうしたジャングルの至る所で野生の象が出没するのである。
「おぉ、象に会えるなんていいじゃないか。かわいいじゃないか」なんて馬鹿なことを言ってはいけない。野生の象は危険だ。スリランカでは毎年死者が出ている。しかも農作物を食い荒らし、家まで破壊するそうだ。だから現地の人は近隣同士交代制で寝ずの番をして象対策をしているとのこと。
これはおっかない・・・。
だが、ふとこうも思った。これは北海道の熊と似たようなものなのかもしれないと・・・。最近は大都市札幌ですら熊が出没するのである。北海道民は熊の恐怖を痛いほど知っている。スリランカもこの感覚なのではないかと妙な連帯感を感じたものであった。
それにしても美しい。
前回の記事「(25)スリランカの気候は如何?気候と宗教の関係について考えてみた。日本仏教についても一言」でもお話ししたが、ここはスリランカのウエットゾーンに位置しているため水が豊かだ。ここも水田に利用されている。
さあいよいよ山の中に入ってきた。サッセールワ大仏は近い。
いよいよ到着だ。ネゴンボからここまで4時間弱・・・。インドの疲労も蓄積していた私はすでにグロッキーである。
しかも雨が降ってきた。さすがウエットゾーン。冷たい風が吹いてきたと思ったら空が暗くなり強い雨が降ってくるのである。
境内には巨大な菩提樹も。
そして急な階段を上った先に、例の仏像がいきなり姿を現した。これがサッセールワ大仏である。
バーミヤンの大仏と同じように巨大な一枚岩をくり抜いて作られたのがこの大仏である。大きさは12メートルほどだ。
これが私がスリランカで初めて見た仏像である。たしかに大きな仏像だ。よくぞこんな山奥にこれだけのものを作り上げたものである。
ここで楠本香代子著『スリランカ巨大仏の不思議』よりこの仏像の解説を見ていきたい。
まいった。これが最初の印象だった。上手い。実にいい。仏陀が生きている。
なぜこんなにいいのだろう。十ニメートルの巨像であるにもかかわらず、威圧感がまったくない。むしろ温かい雰囲気を持つ、不思議な大仏である。(中略)
しばらく目を凝らしていると、石工の仕事が少しずつ見えてきた。
まず、この像の顔は左右対称でない。特に目は人間に近く、今まで見たどの仏像にも似ていない。次に、顔の位置が全体的に、向かって右側に寄っている。それはまるで故意にそうしたかのように自然で、計算されたもののように思えた。少しズレた頭部によって動きが生じ、仏陀は息をしはじめ、左右少し違う目によって、優しく語りはじめたような気がした。
衣の表現は、アウカナ仏に比べると大雑把に見えるが、揺らぎがあって、それがかえって自然である。足は体の重みをしっかり受け止めて、逞しく立っている。仕上がっていないという見方をする人もあるが、違和感はない。
右手は横向きでなく正面を向いている典型的な施無畏印だが、スリランカでは横向きがポピュラーなのでこういう印は珍しい。いつごろの造像か不明だが、紀元後の早い時期、三世紀か四世紀あたりに造られた、マハーヴィハーラ派(大寺派)に属する仏陀ではないかという説もある。しかしそれではあまりにも早い。
この像は、アフガニスタンのバーミヤンの巨大仏のように岩山に巌を掘って、その中心に仏陀像を彫り出したものである。右手の指先が傷んでいる他は大きな損傷もなく、実に優しい表情をした仏陀像である。
法藏館、楠本香代子『スリランカ巨大仏の不思議―誰が・いつ・何のために』P154-155
この大仏がいつ頃作られたのか未だに謎というのもスリランカらしい。なぜ「スリランカらしい」という言葉が出てくるのかはおいおい皆さんもその意味がわかることだろう。
そしてここから次に向かったのがアウカナ大仏。こちらはサッセールワ大仏と比べると有名な仏像である。およそ1時間ほどでアウカナ大仏付近に到着したのだが、途中の道があまりにも悪路で車が壊れるのではないかと思うほどだった。ドライバーさんもこの道を初めて通ったようで驚いていた。
さて、アウカナ大仏の入り口に到着だ。
アウカナ大仏はミヒンタレーからも行きやすく、比較的観光地化されている印象を受けた。
こちらが高名なアウカナ仏像である。想像していたよりもかなり大きい。思わず「うわぁ」という声が漏れてしまった。
さあ、近くまで行ってみよう。
おお、さすがにものすごい迫力だ。
真下から見上げると大仏の細部まで見えて非常に見ごたえがある。この大仏は後ろの岩と一体化しているためどっしりとした安定感を感じる。
さて、ここでも楠本香代子著『スリランカ巨大仏の不思議』の解説を聞いていくことにしよう。
アウカナ仏を覆っている衣の表現は律動的で、淀みがない。太陽光線が当たると、陰影がくっきりとし、一筋一筋が整然と浮かび上がる。上から下に被るギャザーのような襞を刻んだ石工の、こだわりの技が光る。
一方、その整然とした職人技は、時としてどこか無機的なものを感じさせることも否定できない。アウカナ仏陀の、一糸乱れぬ衣の襞は、気高く、崇高なもののモニュメントのように見え、それはもはや、人間釈迦の姿を超えて、とてつもなく偉大なものの象徴のようにも見える。
法藏館、楠本香代子『スリランカ巨大仏の不思議―誰が・いつ・何のために』P148
たしかにこの仏像の衣の表現は独特だ。これはインドの仏跡でも見られなかったものだ。
そして次の解説も興味深い。
スリランカには岩が豊富にあり、岩が割れるような寒冷に見舞われることもないので、岩は永いながい年月を、巨大な姿のままでいることができた。
アウカナ仏の母岩も、いたる所に点在する巨岩の中の選りすぐりの逸品だったに違いない。
ルネッサンスの巨匠ミケランジェロは、五メートルの美しい大理石を前に、インスピレーションを得て、ダビデ像を彫ったという。
アウカナ仏を彫った石工も、この岩にめぐり合って歓声をあげたに違いない。(中略)
アウカナ仏の母岩は、綿密な設計図と計測によって、土に埋まった状態で、頭から徐々に下の方へ彫り進められた可能性が高いといえる。
アウカナ仏陀の周辺の地形から見ても、母岩の前は人工的に土が取り除かれたような形跡が感じられる。
法藏館、楠本香代子『スリランカ巨大仏の不思議―誰が・いつ・何のために』P151-153
ひとつの石から完璧な彫刻を彫り上げるこの過程はミケランジェロと同じなのだ。実にロマン溢れる解説ではないだろうか。
そしてこの大仏も制作年が正確にはわかっていないが、おそらく8世紀から9世紀頃のものではないかと言われている。
こうしてサッセールワ大仏、アウカナ大仏の下を訪れた私はいよいよスリランカ仏教伝来の地ミヒンタレーへ向けて出発したのである。ホテルを出発してからすでに6時間以上も経過している。さすがに厳しい。私もかなり弱気になってきた。
だが、次の記事でお話しするミヒンタレーはそんな限界間近の私が一気に元気になってしまうほどの素晴らしい場所だったのである。さすがは聖地中の聖地。聖地の名にふさわしい神話的な世界がそこに存在していたのだった。
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※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
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