インドのケンタッキーは辛い!?辛いものが苦手な私にとってインドはスパイス地獄だった
【インド・スリランカ仏跡紀行】(9)
インドのケンタッキーは辛い!?辛いものが苦手な私にとってインドはスパイス地獄だった
突然の嘔吐と下痢というインドの洗礼を受けもだえ苦しんだ私だったが、いよいよデリーへと帰ることになった。あの謎の注射は何だったのか今でも不思議で仕方がないが何はともあれこうして体力を回復することができたのである。
リシケシからデリーに戻るには、来た道を車で引き返すという手もあったが、私は飛行機を利用することにした。リシケシからおよそ1時間弱ほどの距離にあるデヘラードゥーン空港を利用すればデリーまでひとっ飛びである。
空港までは森を突っ切りながらの道であった。
そしてふと思い出す。「私はここに『生命の爆発』を見に来たのであった」と。
「(1)なぜ私はインドに行きたくないのか、どうしてそれでもインドに行かねばならぬのか、それが問題だ。」の記事でもお話ししたように、私が雨季のインドに来たのは「生命の爆発」とも言うべき青々とした世界を見たかったからなのだ。
だが、インドに来て早々ハリドワールのカオスにすっかり圧倒されてしまった私は「生命の爆発」のことなどすっかり飛んでいってしまっていた。それに、そもそもハリドワールやリシケシでは緑を感じることもほとんどなかったのである。私にとってそこは茶色い川と灰色の空のイメージだったのだ。
しかしここに来てついに森の青々とした世界を目の当たりにすることになった。
たしかにこれでは虫を踏みつぶさずに歩くことはほぼ不可能だろう。緑が隙間なく覆いつくしている。
ただ、「生命の爆発」を感じられたかと言われると正直難しい。やはり乾季から雨季のまさにその境目こそ「生命の爆発」という言葉にふさわしいのではないか。最初の雨に立ち会わない限りこれは何とも言えない。
これくらいの緑であるならば日本と何も変わらない。さらに言えば、日本の冬から春にかけての芽吹きも実にドラマチックで清々しいものがあるではないか。
やはり乾季と50度を超える強烈な暑さを経た後の雨季という激烈なコントラストがあるからこその「生命の爆発」なのだろう。これは長期滞在して定点観測しなければわからないことなのかもしれない。まあ、それがわかっただけでも現地に来たかいがあるというものだ。
さて、デリーに戻ってきた私はそのままデリー郊外グルガーオンのサイバーシティへと向かった。
ここ周辺はデリーの先端企業が集う現代都市で、インドのハイテク産業の発展ぶりを見ることができるのだという。
上の写真にもあるように、デリー空港からその周辺の幹線道路は10車線近くもある巨大道路だ。こうした道路がまさに驚くべき勢いで建設されているのだ。インドの勢いをまざまざと感じる。
たしかにサイバーシティに近づくと、ものすごく現代的できれいな建物がどんどん出てくる。デリー中心部を走っていてもこんなにきれいな建物はほとんど目にすることはない。やはり雰囲気が違う。
いよいよサイバーシティに到着だ。綺麗なビルが立ち並んでいる。
ただ、正直に言ってこれなら渋谷や六本木などとあまり変わらない。インド国内と比べるとここはそれこそ圧倒的なのだろうが、これ単体で見る分にはごく普通のビル群といったところだろうか。もちろん、今勢いに乗っているインド経済は日本のそれと比べてもはるかに活気あるものだろう。だが、ここサイバーシティを見た感じでは「かつてのインドではない」ということ以上のものではないように私には思えたのである。まあ、それがここインドにおいてはとてつもない大事件であるのだけれども。
サイバーシティ内には巨大なショッピングモールがあり、ここにはマクドナルドやスタバなど世界チェーンの飲食店も入っている。奥にはユニクロもあった。ここはデリーにあれどインドっぽさをほとんど感じない場所だった。「インドっぽくない」と言ってもそんなの当たり前ではないかと思うかもしれないがこれが一大事なのである。デリーではどこに行っても「インドっぽさ」を感じるのだ。建物や人だけでない。においやらそこに置かれているものまで全てが「インドっぽい」。インドはどこに行ってもインドなのだ。
しかしここは明らかにグローバル。インド臭も感じない。
これを私は楽しみにしていたのである。もう恋焦がれていたと言っていい。
私はリシケシでの療養中、インドらしくないショッピングモールでインドらしくない食べ物、つまりケンタッキーを食べたくて食べたくて仕方なかったのである。
はっきり言おう!私はもうインドにうんざりなのだ!
まあ、突然こう宣言されても困ると思うので説明しよう。
まず、私は辛いものが大の苦手である。カレーも甘口派だ。中辛ですら厳しい。激辛料理などもっての外だ。スパイスも正直自信がない。
しかも胃腸が弱い私のことだ。本場インドのスパイスを食べでもしたら実に危険。というわけでこの旅の始まりからガイドさんに私は辛いものもスパイスも一切食べられませんときっぱり断っていたのである。
しかしハリドワール初日の夜に出てきたのがこれだった。
ナンはまだセーフだった。しかし右の皿に盛られたものはどう考えても辛かった。
私は確認した。「これ、スパイス入ってないんですよね?」と。
「そうです、上田さんが食べられるように私が頼んでおきましたから」とガイドさんは自信満々だ。
でも、辛いのである。そして明らかにスパイスも感じる。これは私がおかしいのだろうか。
「私はこれまでたくさんの日本人の方を案内してきましたが、これは皆さん大丈夫でした。だから上田さんも大丈夫です。安心して食べて下さい」
いや、安心がどうというより私にとってはもう辛いのである。筋金入りの甘党の私にはすでに厳しいのである。
「どうぞいっぱい食べて下さい。上田さんでも美味しく食べれるものを私が選びますから」
ごめんなさい。結局私はほとんど何も口にできず食事を終えてしまったのである。
初日にしてインド食が無理であることを確信した私はカロリーメイトで夜を越すことにした。
そして翌朝の朝食も残念ながら食べられそうなものもなく、食パン一枚にマーガリンで退散した。頼みの綱で頼んだコーヒーの味もどうしようもなく、さらに気持ちは沈むばかりだった。私にとってコーヒーが飲めないというのは本当に苦しいことだったのである。
こうしてハリドワールでの食事に絶望した私はほとんど食欲すら湧かなくなり、日に日にやつれ始めた。頼みの綱のカロリーメートにもさすがに飽きてきた。朝夕カロリーメイト。昼は食欲も湧かずごはん抜き。そんな生活をハリドワールで過ごしたのである。
そんなにインド食が嫌なら他のものを食べればいいではないか?マックとかケンタッキーはなかったのか?
ないのである。
何せ、ハリドワールはヒンドゥー教の聖地ということで完全なベジタリアン食しか置いていないのである。肉をふんだんに使うケンタッキーなどもっての外なのだ。
しかもハリドワールはインド人が集まる聖地だ。タージマハルのように世界中の観光客が集まるような場所ではない。グローバル化にそもそもあまり対応していないのである。
というわけで私には他の食べ物に逃げるという選択肢が存在しなかったのだ。どこに行っても「THE インド」しかないのである。
そしてそんな私がリシケシへと移動し、なんとか軽く夕食を取ったその晩、あの悲劇は起こったのである。(「(8)ついにやって来たインドの洗礼。激しい嘔吐と下痢にダウン。旅はここまでか・・・」の記事参照)
なぜあんな悲劇に襲われたのかは私にもわからない。当初はインド名物の食中毒かと思ったが、帰国後に日本のお医者さんに聞くとあの症状はウイルス性のものではないかとも言われた。私もそう思う。ほとんど食事も満足に取れず、さらには疲労困憊、精神的にもかなり追い詰められていたあの状態では免疫力も地に落ちていたことだろう。そんな状態で雨のリシケシで地べたに座り、手をついていたのである。それはああなっても仕方がない。
そしてリシケシでもほぼ絶食ではあったが、医者の指示で朝晩におかゆを少しでも取るようにということになった。
だが、そこで出てきたのが真っ黄色のおかゆだったのである。インド食にトラウマになっていた私にとってこれは地獄以外の何物でもない。蓋を開けた瞬間スパイスの香りが襲って来たのである。おかゆくらい白いものを食わせてくれ!さすがに私も限界だ!
すぐにガイドさんに電話した。
「すみません、おかゆが黄色いんです。スパイスなんです。もう限界です。スパイス抜きのをお願いするようホテルに頼んでくれませんか?」
すると驚きの答えが返って来た。
「いえ、あれを食べて下さい。あのスパイスを取ればお腹の調子がよくなります。だから上田さん、頑張って食べて下さい。私があれを出すようお願いしたんです。食べなきゃ元気になりませんから」
・・・これはあなたの仕業だったのか!!
もう勘弁してくれ・・・!私はこっそりフロントまで行き「ノースパイス!ホワイトライス、オンリープリーズ!」と必死の形相で伝えた。決死の思いが伝わったのかそれからは白いおかゆが出てきた。こうして私は少しずつ回復し始めたのである。
回復してくると食欲も出てくるのも当然である。あれが食べたいこれが食べたいと次から次へと浮かんでくる。そのひとつが何を隠そう、ケンタッキーだったのである!
そう。そのケンタッキーがこのサイバーシティには店舗を構えているのである!
もう私はこれが楽しみで楽しみで仕方なかったのだ!やっとインドじゃないものにありつけるんだ!
ただ、さすがはインドだけあって日本とはかなりメニューが違う。日本のようなオリジナルチキンがないのである。
パッとメニューを見てもよくわからないのでチキンバーガー的な基本セットを私は注文した。
待望のケンタッキーである。私はウキウキしながらそのバーガーを口にしたのだが・・・
辛いっ!!
辛いぞこのチキン!!ダメだ、食べれない!とてもじゃないが無理だ!
何たることか!インドは西洋文明まで呑み込んでしまったのか!ケンタッキーという普遍文明でさえインドの味付けに侵されてしまったのである!
私は慌ててガイドさんに尋ねた。「インドのケンタッキーってこうなんですか?この辛さが普通なんですか?」と。
「はい、そうです。こうじゃないとインド人は物足りないので」
あぁ・・・インドよ。悠久なるインドよ・・・!変わるところは変わってもいいんだよ?ケンタッキーくらい、ありのままを受け入れてあげでもいいのではないかい?
馬鹿を言っちゃいけない。インドはインドなのである。ここは全てが特濃なのである。全てを塗りつぶす圧倒的な世界なのである。インド文明恐るべし・・・いよいよ私はインドが恐ろしくなってきた。
何はともあれ、こうして私の初めてのインド滞在は終わりを迎えることとなった。
残るは帰国のみだ。よくぞここまでたどり着いた。もう何もあるまい。
・・・というのは前フリのようではあるが、実際問題帰る寸前までインドは私を驚かせ続けたのである。
次の記事はこちら
前の記事はこちら
【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら↓
※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。
〇「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
〇「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
〇「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」
関連記事
コメント