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どうしてインド人は聖なるガンジス川が汚くても気にならないのだろうか~沐浴者の横を流れるゴミにふと思う

ハリドワール
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(4)どうしてインド人は聖なるガンジス川が汚くても気にならないのだろうか~沐浴者の横を流れるゴミにふと思う

昨晩のプージャにショックを受けた私は早めにベッドに入った。よっぽど疲れていたのだろう。いつもよりかなり早く眠ってしまった。

しかし明朝、まだ外も暗いかという時間に私は目を覚ました。何やら外が騒がしいのである。

時計は何時だ?ん?まだ朝の5時ではないか。何だこの騒ぎは・・・

気になった私は部屋を出て廊下の窓から外を見てみたのである。

パッと見てすぐにわかった。

あぁ・・・そうか・・・もう朝のお祈りの時間か・・・と。

まだ日も上がらぬ内から巡礼者が行動を始めているのである。それに合わせて露店も商売開始。その喧噪が部屋まで筒抜けだったのである。こればっかりはどうしようもないが、疲労困憊の私にはかなり厳しいものがあった。

この喧噪では再び眠るわけにもいかず、この後私はしばらく目の前を行き交う巡礼者を眺め続けることにした。

私の宿の目の前にはガンジス川が流れており、ここでも沐浴ができるようになっている。

そしてしばらくすると、一人の中年男性が私の目に留まることになった。

この男、ものすごい勢いでガンジスの水を全身に塗りたくっていたのである。しかもそれがあまりに高速で、あまりに気合いの入った動きだったもので、私はその俊敏複雑な動きに目を奪われてしまったのである。

昨日ガイドさんは言っていた。「こうしてガンジスで悪いものを洗い流すと運がよくなるんです」と。

これを迷信と言うのはたやすい。

だが、この男は本気で身体を洗っているのだ。彼にとってガンジスは本当に悪を洗い流す聖なる存在なのである。

だが、そんな気合の入った姿のすぐ横をゴミが流れていくのである。その光景に、私はこう思わずにはいられなかった。「どうしてインド人はこの聖なる川をきれいにしようと思わないのだろうか」と。

しかしすぐにハッとした。

「この川は汚いものを洗い流す川なのだから、汚れていたって構わないのだ」と。悪いものを流してしまうのだから汚れるのはむしろ当然のことなのだろう。

・・・それにしても川に浸かれば自身の悪が浄化されるというのは非常に楽観的な思想ではないだろうか。昨日のプージャの火に殺到した巡礼者も然りだが、自分の幸福に対する飽くなき思いが感じられる。自分の幸せのために何の躊躇もなくぶつかっていく。そこに遠慮なんて存在しない。そんなことをしていたら横入りされて終わりだ。

現世利益、欲望肯定の極み。だがそこには同時に底抜けの明るさがある。自分の感情をそのままぶつけるオープンさがある。幸せになりたくて何が悪い!神様、私に幸運をください!そんなすがすがしささえ感じられないだろうか。

このような人達に仏教の教えのごとく「それは迷信である。悪は日頃の慎み深い行為によってのみ浄化される。ガンジスに入っても意味がない」と言ったところで何になろうか。

だが、今からおよそ2500年前、仏教の開祖たるブッダはまさにそれを説いて回ったのである。ブッダがいかにとんでもないことを言っていたかをまざまざと感じた。今よりももっと迷信的な時代に信じられない程過激なことをブッダは言っていたのである。

となると誰がその教えを聴いていたのかという疑問が浮かんでくる。おそらくインドの一般民衆には厳しいだろう。こうなると当時のアウトサイダーが中心となってくるのではないか。あるいは当時の社会秩序に不満を持っていた新興勢力か・・・。この辺りの事情については以前更新した「⒂なぜ仏教がインドで急速に広まったのか~バラモン教から距離を置く大国の誕生と新興商人の勃興」の記事を参照して頂ければ幸いだ。

いずれにせよ、早朝からインドの宗教について考えざるをえない光景と直面することになった私であった。

※2024年10月追記

私はインド人のガンジス川への信仰を否定しているわけではありません。浄土真宗の僧侶として現地で感じた素朴な思いをこの記事でお話ししました。特に現世利益や欲望肯定についてこの記事で書かせて頂いたのは仏教との対比という面で興味深いものがあったからです。しかし、現世利益や欲望(願いの)肯定を全く含まない宗教は存在しません。たとえ宗教教団設立の段階で厳格な教義や実践があったとしても、教団が拡大し地域に根付くようになると現地の人々との結びつきによってその内実が変わらざるを得ない時がやがて来ます。仏教もまさしくそうした変化をしながら世界各地に広がっていきました。

私はここインドに来てそのガンジス信仰に衝撃を受けました。それはこの記事の通りです。しかし同時に、日本人と変わらぬものもここにあるのだという思いを感じたのも事実なのです。国や文化は違えど宗教心の発露は人間において共通するものが存在するということを感じた体験でもありました。

こうした思いを抱きながら執筆したのがこの旅行記です。この記事だけを見るとインド人の信仰を否定しているように感じられた方もおられたかもしれませんが、私はそのようなことを意図していません。インド人の信仰に度肝を抜かれたのは事実ですが、それはあくまで文化の違いの衝撃を受けたということに他なりません。そうした圧倒的他者の存在を通して自己の信仰心とは何かを問うていく。それが私にとってのインドの旅でした。

この後の記事ではまさにそうした私の思いが感じられるものとなっていますのでこの記事だけではなく、ぜひ続きの旅行記も読んで頂けましたら幸いでございます。

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【インド・スリランカ仏跡紀行】の目次・おすすめ記事一覧ページはこちら↓

※以下、この旅行記で参考にしたインド・スリランカの参考書をまとめた記事になります。ぜひご参照ください。

「インドの歴史・宗教・文化について知るのにおすすめの参考書一覧」
「インド仏教をもっと知りたい方へのおすすめ本一覧」
「仏教国スリランカを知るためのおすすめ本一覧」

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この記事を書いた人

真宗木辺派函館錦識寺/上田隆弘/2019年「宗教とは何か」をテーマに80日をかけ13カ国を巡る。その後世界一周記を執筆し全国9社の新聞で『いのちと平和を考える―お坊さんが歩いた世界の国』を連載/読書と珈琲が大好き/

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